【シリーズ① 永遠の刑罰について】からの続きです。
Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳)
聖書正典(The Canon of Scripture)について
無神論者:ほほぅ、あなたがたは同じ聖書を用いているにもかかわらず、互いに意見がバラバラだ。これはおもしろい。
カトリックA:公正を期して言いますと、私たちは同一の聖書を使っているわけではありません。聖書の中に別の諸本を含めている宗派もあります。
改革派ユダヤ教徒:それから私たちのように新約聖書を用いていない宗派もあります。私たちは、タルムードに加え、旧約聖書に忠実です。
スンニ派イスラム教徒 A:私たちムスリムの中にはあなたがたの旧約聖書と新約聖書はモーセおよびイエスに真に伝達された証言内容ではないと考えている人々もいます。あなたがたは皆、聖書を改悪したのであり、われわれムスリムこそがコーランによりそれらの経典を回復させたのです。
バプテスト:私たちはカトリック信者が使っている旧約聖書よりはより短いバージョンの旧約聖書を用いていますが、新約聖書は同一です。そして地獄の教義は主として新約聖書に由来しています。
東方正教クリスチャン:私たちが用いているのはカトリック教徒よりも若干大きめの旧約聖書です。
カトリックA:まさかと思うでしょうが、私たちの正典は未だに最終決着していないのです。第二正典(deuterocanonicals*)が旧約聖書の一部であるというのは教会の決定的教説ですが、トリエント公会議の教父たちは、東方正教徒たちが使っている若干大きめの正典に関しては裁定を控えるということで合意しています。
オリエンタル正教クリスチャン:私たちエチオピア正教徒はあなたがたの誰よりも分量の多い新約聖書を使っています。
正統派ユダヤ教徒:正統派ユダヤ教徒として、改革派ユダヤ教徒の立場に私は同意しかねます。あなたがた改革派ユダヤ教徒は、タナハ(Tanakh)およびタルムードに関するあらゆる重大事項を破棄してしまっています。
メシアニック・ジュー:いや、私から言わせれば、正統派ユダヤ教徒も改革派ユダヤ教徒も共に旧約聖書を正しく理解できていません。
カトリックA:あなたがたユダヤ人は、2世紀になるまで決まった書数の旧約聖書さえ持っていなかったではありませんか。あるユダヤ人たちはモーセ五書しか聖書として認めていませんでした。一方、パレスティナのユダヤ人は39巻を聖書として認め、パレスティナ地域外のユダヤ人はそれよりも書数の多い聖書を採用していました。さらに悪いことに、エッセネ派ユダヤ人は他の誰よりも分量の多い正典を奉じていましたよね。
無神論者:うわ、同じ列車にこれだけ多種多様な人が乗っていて、しかも皆がそれぞれの信仰を説明しようと意気込んでいるとはなぁ!しかもあなたがたの中には自分の信仰に関しかなり精通している人たちもいる。こういう場面にはこれまで滅多に遭遇したことがなかった。というのも、ほとんどの人は私が質問し始めるとたじたじになって言葉に詰まってしまうからね。
長老派:「なぜ自分たちが~~の信条を信じているのか」に関し、私たちなりに誠意を尽くし、真摯に知ろうと思っているんです。
無神論者:それは立派だと思う。だが、現実問題として皆が皆それぞれ違ったバージョンの聖書を持っている。とすれば、私のような者はどうすればいいのか。何を信じればいいのか。
長老派:友よ、聖書に関し、私たちが不統一な見解を持っていることであなたをつまずかせてしまっていることを申し訳なく思っています。これは私たち人間がいかに弱き者であるかの反映であって、神および聖書自体の問題ではないと考えるべきだと思います。
無神論者:ま、別につまずいたわけではないが。それにしても正典(カノン)選びに関しこれだけ多様な意見があるとは!でもこれらの‟正典”がいずれも改悪物であり、原著者が書いたオリジナルではあり得ないということ位は私も知ってますよ。ダン・ブラウン(『ダ・ヴィンチ・コード』の著者)やバート・D・アーマン(『ねつ造された聖書』の著者)なんかも読んでます。
カトリックA:ダン・ブラウンは全くといっていいほど歴史的知識に欠けています。ブラウンの作品はなんといってもフィクションです。歴史的観点からいうと誰も彼の言い分をまともに受け取ることはできませんよ。
長老派:それからバート・アーマンの立場に関してもいろいろ言えますよね。人が合法的に直筆によるオリジナル書物を持っていると主張し得ると。
スンニ派ムスリムA:そうは思いませんね。あなたがたの新約聖書は改悪されており、預言者ムハンマドが、モーセとイッサー(イエス)に伝達された神の真の使信をついに回復させたのです。
モルモン教徒:末日聖徒イエス・キリスト教徒として私は申し上げたい。私たちこそ真に回復されたイエスの御言葉を持っているのです。
長老派:私たちの使信は改悪されておらず、且つ、イスラム教、モルモン教共にイエスに関する真の教えをしていないことは、「私たちの新約聖書が信憑性のあるものである」というそれと同じ理由から確証できます。
無神論者:あなたがたの新約聖書が信頼のおけるものであるとなぜ確信を持っているのですか。考えてみてください。まずこれだけたくさんの種類の翻訳聖書があり、しかも新約聖書を伝達する過程で多くの書士たちが写字ミスを犯しているのですよ。写字されたものが本当にイエスおよび使徒たちが教説した内容であるといかにして知ることができるのか。
長老派:各種翻訳も書士による写字ミスも新約聖書伝達には影響を及ぼしていません。そしてどれが使徒的起源をもつ書であるかを私たちは知ることができます。
無神論者:ほぅ、いかにして?
長老派:新約聖書のメッセージは1世紀に、ローマ帝国全体に渡り宣布されました。ですから、そのメッセージは口伝的に知られていたのであり、ただ一つの地域にだけ限定されていたわけではありませんでした。仮に誰かがメッセージを携えてきたとして、その人の使信が使徒たちが伝えたものとは相反する内容だったとします(例えば、グノーシス主義者たちのように。)。そうしますと、使徒たちの使信がすでに宣布されていた諸共同体はすぐさまそのメッセージが改変された種類の偽メッセージであると察知したはずです。
また、仮に——故意によるのものであれ無意識的なものであれ——書士が写本に変更を加えた場合にしても、その他各地域に散在しているさまざまな写本類に影響を及ぼすことはなかったでしょう。ですから、私たちは書士による写字誤謬やその他の異文(variant)を、世界さまざまな諸地域に残存しているその他の諸写本と比較することによって特定することができるわけです。
無神論者:仮に誰かがすべての写本を収集した上で、原本を焼却し、新約聖書テクストを改変したとしたら?
長老派:つまり、カリフ・ウスマーン*がコーランに対してやったことと同じような事が起きたら、という意味ですか?
スンニ派A:イスラムに関する問題はまた別の時に話し合うことにしましょう。さあ、先程の彼の質問を回避せず、答えられるものならしっかり回答してみてください。
長老派:新約聖書の全写本をコントロールすることのできた人物は歴史上皆無です。ですから、あなたがおっしゃったようなことは到底起こり得なかったわけです。
無神論者:さまざまな異本が存在する中、原本が残存しているということをあなたはどのようにして知るのですか。
長老派:異本の諸事例があっても、それで原文(original reading)がないということにはなりません。原文が消失したということを信じる証拠はどこにもありません。実際、問題はちょうどその正反対なのです。どういうことかと言いますと、あまりに多くの原文があるということなんです。各種異本にあっては私たちはオリジナルを持っています。それは譬えていうなら、百万ピース用のパズルに、百万+千個の余剰ピースがあるようなものです。オリジナルのピースは勿論全部そこに完備してあり、後は、本文批評学者たちがどれが原文として最も可能性が高いかということを決定していくのみです。
スンニ派A:「どれが原文として最も可能性が高いか」ですと?!これはこれは!どの書がオリジナルかご存知ないとは。つまり当て推量ってことですね。
改革派バプテスト:いや、「当て推量」じゃありませんよ。原本決定作業にあたり、本文批評において使用されているのは高度にロジカルな諸原則です。また異本は教義には影響を及ぼしていません。
カトリックA:こういった異本が教義に影響を及ぼしていないという点には同意します。ですが、どれが正統教理で、どれが異端教理であるかをあなたはどのようにして決定しているのですか。
【シリーズ③に続く】
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