巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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マルティン・ルターと新約正典(by デヴィン・ローズ)【プロテスタントのジレンマ】

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目次

 

Devin Rose, The Protestant Dilemma, Part 2: The Bible and Tradition(抄訳)

 

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デヴィン・ローズ。ソフトウェア技師。キリスト教を棄教した両親の元で育ち、幼い時から科学主義およびリチャード・ドーキンズ型の新無神論的価値観を吸収しながら育つ。大学時代に、パニック障害やその他の精神疾患を患うようになり、自殺を考える日々が続く。ある日、本棚にあった欽定訳の聖書を目にし、創世記1章を開き読む。「私はあなたの存在を信じていません。ですが私は今どん底にいます。あなたが存在するのでしたら私を助けてください。」と生まれて初めて祈る。南部バプテスト教会の兄弟姉妹との出会いの中で、主イエス・キリストの愛と救いを知る。その後、いくつかの道程を経た後、カトリック教徒に。現在、昼は農夫&ソフトウェア技師、夜はキリスト教弁証家としての働きをしている。4児の父。(testimony

 

もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら、その時・・

 

新約正典の中の書のどれかが霊感されていないと判断された場合、それらを新約正典の中から取り除いてもOKです。

 

なぜ?

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理由

 

新約聖書の正典(カノン)は、キリスト教の最初の300年以上をかけて徐々に形を成してきました。4福音書のように、いくつかの書は初期の時点から広範囲に受け入れられていましたが、他の書は、長い間、多くの人々の論議の対象となっていました。

 

しかし5世紀までに、27巻で構成される新約聖書正典が堅固に確定されました。しかしながら、それにも拘らず、一千年以上後に、マルティン・ルターは、新約聖書をドイツ語に翻訳した際、それら27巻の内の4巻を退けました。

 

まな板の上の4巻

 

マルティン・ルターは1521年に破門されました*1*2。翌年、彼はドイツ語の新約聖書を出版しましたが、その中の4巻を巻末部分に位置させた上で、次のような序文を記しました。「ここまで私たちは新約聖書における真にして確実なる主要諸書を取り扱ってきた。以下に続く4巻は、古代から評価が分かれていたものである。*3」ヘブル書、ヤコブ書、ユダの手紙、ヨハネの黙示録がそれに該当し、彼はこの4巻の霊感を拒絶しました。

 

以下がヤコブ書およぶユダの手紙へのルターの序論です。

 

「私はそれ〔=ヤコブ書〕を使徒の書いた著述だとは考えていません。そして以下が自分がそう考えている理由です。まず第一に、それはーー義認を行ないに帰しているという点でーー完全にパウロおよび聖書の残りの各書に相反しています。・・・それゆえに、この欠陥から証左されるのは、この書簡が使徒の書いた書ではないということです。・・・しかしこのヤコブはひたすら律法およびその行ないに自らを駆り立てています。・・・ヤコブは聖書を台無しにしており、それゆえ、パウロおよび聖書全体に反対しています。・・・それゆえ、私は、自分の聖書の中に、真に主要なる諸書の一つとしてヤコブ書を含めることをしません。

 

 またユダの手紙に関してですが、これがⅡペテロ書の抜粋か複写であることは誰も疑う余地がありません。言葉全てが非常に酷似しています。ユダはまた使徒たちのことを言及する際、彼ら使徒たちのずっと後に来た弟子であるかのように述べており、また彼の引用している〔使徒たちの〕言葉や出来事はこの書以外、聖書のどこにも見いだすことができないものです。」*4

 

ですからルターは聖書の諸書を自らの教理に従わせた上で、それらが自分の教理と一致していないと判断しました*5。彼はまた、ユダの手紙はIIペテロ書の修正版複写に過ぎず、「ユダの手紙の中にのみ見い出される言述は、この書簡を拒絶するさらなる根拠である」旨を付け加えています。またルターはヨハネの黙示録をも激しく非難し、使徒がそれを書いた、もしくは聖霊がそれを霊感したということを否定しました*6。そして新約聖書からこれらの4巻を省略すべく、付録部分に配置しました。

 

カトリシズムは真であるゆえに・・・

 

神は新約聖書を識別すべく初代教会を導き、それ以後、なにびとといえどもそれを変更することはできない。

 

その根拠は?

 

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説明

 

一見したところ、ルターがそれらの各書を拒絶したのは、彼が歴史的に正確であろうとしていたが故であるようにみえます。なぜなら、実際、ルターが問題にしていた4巻のうちの3巻は教会の初期、普遍的に受け入れられていたわけではないからです。

 

しかしながら、ルターがこれらの書の霊感を否定していたのは、歴史的な理由ではなく、主として神学的な諸理由のためであったのは明らかです。たしかに初期教会におけるこれらの書に対する疑いはルターの諸主張をより嗜好性あるものにしたかもしれません。しかし実際には、これらの各書には、ルターの提示していた新奇な諸教理(ソラ・フィデ等)とダイレクトに矛盾するような教えが含まれていたか、もしくは、彼はそれらについて特に考えていなかったか、どちらかでしょう。

 

仮にルターが純粋に歴史的な理由で4巻を拒絶していたのだとしたら、彼はそれと同時に、IIペテロ書や、IIヨハネの手紙、IIIヨハネの手紙も拒絶していたはずです。(この三巻も、初期の段階では普遍的に受け入れられていませんでした。)

 

しかし彼はそれらの三書を拒絶しませんでした。なぜならその中に、彼自身の神学的諸意見と食い違うような内容を見い出さなかったからです。彼の解決法は、歴史的懸念をもろともに無効にし、彼自身の個人的識別以外のいかなる権威にも訴えないことでした。

 

ルターのこういった主張は最終的に勝利を収めませんでしたが、彼の諸意見の大部分は全体としてのプロテスタント宗教改革に受け入れられ、その一般諸教理の土台を形成しました。

 

プロテスタントのジレンマ

 

もしもプロテスタンティズムが正しいのだとしたら、その時、「なぜ今日、誰かが新約聖書の一部を取り除いてはいけないのか」に対する論拠が何もないということになります。

 

そして自らの諸信条と符合する諸書だけで構成されたバージョンの新約聖書をもって「これこそが真の聖書である」と宣言することがなぜいけないのかーーこれに対する論拠が何もないということになります。結局のところ、プロテスタント宗教改革の父自身が、古(いにしえ)のカノンに対し、まさにそのような行為を行なったのですからーー。

 

ー終わりー

 

*1:しかしそうだからといって、教会は彼に‟地獄行きの宣告”を出したわけではありません。破門というのは医薬的戒規であり、その意図は、宣告を受けた者が自分自身の教えや言動を批判的に黙想的に振り返り、やがてキリストの教会とのフル・コミュニオンに戻ることができるよう人々を励ますためのものです。参:マタイ18:15-20、1コリ5:1-13.

*2:訳者所感。このような説明だけを聞くと、ルターがとにかく徹頭徹尾反逆者であり、フル・コミュニオンに戻ってくるよう「励ましている」教会の愛の手を無下に振り払っているイメージが湧いてきますが、16世紀当時のカトリック教会の「医薬的戒規」は、今日の感覚では考えられないほどの剣と権力を帯びたものであったことは当時の歴史資料や裁判記録からも明らかだと思います。ルターの見解の正誤は別として、焚刑に処されたヤン・フスと同様、ルターもまた生きるか死ぬかの極限状況に置かれていたという当時の事情はやはり慎重に考慮されるべきではないかと思います。どうでしょうか。

*3:From Luther's German translation of the New Testament, first edition: http://www.bible-researcher.com/antilegomena.html

*4:Luther's Works, vol.35 (St.Louis: Concordia, 1963), 395-399.

*5:感謝なことに、現代のプロテスタントは、ルターとは逆のアプローチを採ろうとしていると思います。つまり彼らは自らの考えを聖書に従わせようとしているのです。しかしながらこれは、宗教改革者たちによって作られたカノンを受け入れ、彼らの諸意見に影響された上でのみの行為です。

*6:http://www.bible-researcher.com/antilegomena.html