巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

東方キリスト教世界のベール理解と男女観――イコン神学の観点から――(by パトリック修道士)

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Monk Patrick, Head Coverings, Energetic Procession, 2012 (拙訳)

 

聖パウロによると、男性および女性はそれぞれイコン的機能(iconic function)を帯びています。すなわち、男は神の似姿であり神の栄光の現われであり、女は男の栄光の現われであるということです(1コリント11章7節)。こういったイコン的機能は両性の役割のあり方において、その表れにおいて、そして両者間の関係性の中において見受けられます。

 

イコン的機能の目的は神と人間との関係を顕し、私たちの日常生活においてこの関係を触知的なものにすることにあります。男性のイコン的像は、人間に対する神のご統治を表象し、女性のイコン的像は神に対する人間の従順を表象しています。

 

但しこれは万人の、神との関係に関するものですので、基本的に両者共に統治しまた恭順します。ですが、両者の間にはある種の秩序が保たれており、それは、不可視的神との抽象的関係だけではなく、こういった具象的関係を通し神との触知的関係に与るためでもあるのです。

 

この秩序は男性と女性の間の異なる関係諸次元において顕されています。その中でも最も顕著なのが婚姻関係であり、ここにおいて聖パウロは、キリストと教会との関係における夫と妻それぞれの明確な役割について言及しています。勿論、教会の中における公的権威や、教えを執行する許可に関する公的側面もここには有ります。そしてここにおける階層的機能は男性には許可されていても女性には許可されていません。なぜなら、私たちを治め教えるのは神であり、私たちは単なる人間的次元において互いの間でそれらの事を為しているわけではないからです。*1

 

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出典

 

そのため、男性像(male icon)は神的なものを描写しているゆえに階層(hierarchy)にふさわしく、他方、人類を描写している女性像(female icon)は集会の中で静かに学び、黙しています。とはいえ女性たちは家庭の中で私的に治め教えることができ、また女子修道院の中で他のシスターたちを治め、教えることもできます。さらに既婚女性たちはわが子との関係においてこれらの役割を行使することが望まれています。また、女性たちはdeaconessesとして教会で奉仕することができますが、これは他の女性たちへのミニストリーという静かな役割であり、――男性助祭が集会を引導したり、下級聖職位(minor orders)の奉仕者たちの上に権威を行使したりするのと同じ機能で働くわけではありません。

 

被り物(head covering)は像として自分自身を確立する上での枢要的イコン像です。なぜなら、神と人間との間の主要な関係性の側面は、統治とかしら性(headship)に関するものだからです。それゆえ、それを顕すべく、頭(かしら)はある場合に覆われ、別の場合には露わにされます。被り物(ヴェール)は、長い髪と共に、神に対する恭順をあらわす自由な表現として女性たちに求められています。

 

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出典

 

神に対する恭順は人間に強制されているのではなく、人間の側から自発的に差し出されるものであるゆえに、自然のなす側面としての長い髪それ自体では不十分であり、従って、神に対する人間の自由な服従をあらわすものとして被り物が〔長い髪に追加される形で〕求められているわけです。*2

 

被り物はただ単に、それを着用する人のへりくだりや恭順のためだけに存在しているのではありません。それはまた、すべての人を恭順とへりくだりの道へと導くべく、万人の前に、静かに証を立てています。神に対する恭順は私たちに常に求められているゆえ、被り物もまた常時着用されてきました。(特に他の人々が共にいる時。そして家の中であってさえも。)

 

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ウクライナの正教女性(出典

 

被り物は何といっても、祈りあるいは預言している、私たちと神との関係の中にあって最も重要な意味を持っています。祈り預言する際、男性たちは、――①神の権威を顕すべく、そして②人類が神との協働(synergy)の内に統治していることを顕すべく、頭の覆いを取ります。他方、女性たちは神と一つ意志を共有するための恭順の必要性を顕すべく、そのまま引き続き頭に覆いをかぶります。

 

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出典

 

被り物のシンボリズムは男性修道士たちの生涯にわたる恭順を示すべく用いられてもいます。ですが彼らもまた男性像的(male iconic)役割を認識する必要性のある場面では頭から覆いを取り外しています。被り物にかんするシンボルや行為はまた、私たちを見ている御使いたちのゆえでもあります。*3

 

被り物は神への全き恭順を示すものとして頭の部分をフルに覆うというのが基本理解です。それゆえ、東方キリスト教世界においてはベールは頭の部分を適切に覆うものだと理解されており、この理解は、その他の東方世界の被り物をする女性たち(イスラム文化、ユダヤ文化、場合によってはヒンドゥー文化)の被り物のかたちにも共有されています。

 

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正統派ユダヤ教女性の被り物(出典

 

お洒落が目的の頭の上の小さな帽子は(何も被らないよりはまだましですが)適切とは言い難い面があります。〔女性が〕頭をむき出しにするというのはシンボリズムの観点からみますと、神への反逆、もしくは神の御旨に従ってなされなかった場合、神のごとく自らもまた支配するという我意のしるしです。

 

あらゆる文化において神と人の関係が真であるように、被り物の掟もまた普遍的に真です。ベールの型や布地の種類などにはバリエーションがありますが、ベールを着用するというこの点は、教会文化の普遍的側面としてすべての諸文化に適用されます*4

 

イコン的機能は、何か別のリアリティーに関し私たちに教示するためのしるしとしての象徴にとどまりません。それはまた、適切な形態(form)を確立するものでもあり、その中においてキリストは現存されます

 

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人類はその物質的側面において形態(form)を持っているため、私たちの物質的状態のリアリティーを映し出し――受肉的・触知的あり方で――キリストの真の現存を確かなものにすべく、特定の形態が要求されるのです。

 

物質的側面は真に私たちの生および存在に参与しています。そして神秘(mysteries)が顕現すべく、特定の物質的形態が要求されています。――そう、それにより神秘が私たちの存在の霊的側面・物質的側面その両方を包含するため、です。

 

ー終わりー

 

 

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