巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

東方と西方の伝統派信者たちが共に直面している諸課題

 

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東方正教会であれ、西方カトリック教会であれ、聖書および聖伝を遵守し、主イエス・キリストに忠実であろうとしている人々は、現在例外なく以下の諸問題に直面していると思います。

 
1)自由主義エキュメニズムを通し教会内に侵入してきている諸異端およびそれに追従する高位聖職者たちの存在はどう捉えられ、教会法的にどう対処されるべきなのか。当該コミュニオンの頭首が形相的ないしは質料的異端者になった場合、教会法的に言って、この頭首が合法的に退位させられる方法はあるのか。もしあるのだとしたら、実際問題としてそれはどのようなプロセスを経て執行され得るのか。


2)外からの脅威(自由主義エキュメニズム)及び内からの腐敗化(進歩主義的勢力)と闘い、教会の浄化のために祈り奮闘しつつ、且つ、いかにして自らが非合法的シスマ(schism)分派とならず、尚もコミュニオン内の有機的・教会法的一致の内にとどまり続けることができるのか。


1)と2)に加え、各コミュニオンにはそれぞれが対処しなければならない特有の諸問題があります。教会論と首位性(primacy)を巡る問題はその中でも焦眉の課題だと思われます。(さらに西方では典礼乱用、東方では民族対立問題をどうするかという問題があると思います。)

 

ー終わりー

 

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↑24:15~でロフトン師は、首尾一貫した教会論が東方正教会には欠如しており、それが主要因で東方典礼カトリック教会に戻ることにした旨を語っておられます。私も「首尾一貫した教会論などなくてもいい。そういうものを追及する合理主義的ラテン人たちは神をボックスの中に入れようとしている」と言う一部の東方正教の人々の言明がナンセンスであるというロフトン師の指摘には同意します。そして「神は不合理の神ではない。信仰は理性を超越しているけれども両者は矛盾していない」という指摘にも同意します。ですが、ローマ側のコミュニオン内で日々上から降りかかってくる不合理性の嵐が全身に吹きつける中、いかにして懐疑や虚無に陥らず尚も合理的な神を信じ続け、教会の不朽性および教会と教皇の不可謬性を信じ続けてゆくことができるのか――、他の方々はどうかわかりませんが、私個人に限っていえば、いかに努力してもどうもがいても解決を見出すことはできませんでした。(とはいえ、自分の判断が絶対に正しいと断言しているわけではありませんし、この問題をごまかさず、正面から取り組んでおられる伝統派カトリック信者の方々を私は心から尊敬しています。)