巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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トランスジェンダー主義に関し、リベラル派知識人たちが見落としている点について(by ジョン・ミルバンク、ノッティンガム大学)

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国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日(IDAHO)に、LBGT旗を掲揚するノッティンガム評議会。(出典

 

目次

 

トランスジェンダー主義に関し、リベラル派知識人たちが見落としている点について(by ジョン・ミルバンク、ノッティンガム大学)

 

John Milbank, Long read: What liberal intellectuals get wrong about transgenderism, 2017(抄訳)

 

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ある人々は確かに混乱した身体を持しており、私はそのことを否定していませんし、そういった方々が実行可能な個人的解決を見い出すことができるよう、私たちはできる限り協力すべきだと思います。また自らの肉体的外観から離れた理解し難い心理学的状況に置かれている人々がいることも否定していません。おそらく、極限においては、手術というのがこういった方々にとっての唯一の解決なのかもしれません。

 

しかしながら、多くの人々が正当にも察知しているように、トランスジェンダー問題に対するリベラル派の執着は、ただ単にこういったマイノリティーの人々を助けたいという次元をはるかに超えています。実にそれは、ジェンダーに関する私たちの観念を変えようとする全体運動と化してきています。

 

新しいポスト・リベラル主義の場合と同様、要点は「保守主義」vs「プログレッシブ主義」という対立構図にはありません。それはむしろ、「諸事実」と「選択」のみをリアルなものとして認める個人主義的、実証主義的哲学と結びついたリベラル派の新規性に関するものだと言っていいでしょう。この哲学を拒絶したからといってそれであなたが反動主義者になるわけではありません。

 

現代のリベラル世界観ーー特にジュディス・バトラー*1により影響を受けてきたリベラル世界観ーーは、身体的性別という所与の「事実」と、ジェンダーに関する「選び取られた」文化的構築物との間に、鋭利な分離線を引いています。身体的外観はもはや精神と肉体との一致の表れではなく、無意味な物理的状況としか捉えられていません。曰く、真のジェンダーとは、私たちの文化が集合的に空想してきたものであると。

 

〔前世代とは異なり〕今日促進されている種類のトランスジェンダーは、ジェンダーをもろともに廃棄しようとする徹底的な試みです。そして当然ながら、こうした促進の試みは、商業的音楽産業により、もっぱら青少年や子ども達に向けられています。

 

トランスジェンダーの後には何が来るのでしょうか。勿論、来(きた)るはジェンダーの別を完全に失った、孤独な自我でしょう。

 

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出典

 

際限なく二元(binary)に分岐し続ける道々で構成されたラビリンスの中に閉じ込められつつ、あてどもなく彷徨う孤独な自我ーー。それにより、自我はみずからがコントロールできる以上に、コントロールされる状態に置かれることになるでしょう。

 

ジェンダー消滅と共に、自己享楽を除く性行動も消滅してゆき、やがて性行動およびジェンダー双方の消滅と共に、ーー男性と女性の間に存在するーー愛(eros)と関係性に関する最も根本的様態が消滅していきます。

 

イヴァン・イリイチが示しているように、最も独裁的でない人間自治機関というのは、男性ー女性の関係性の上に構築されたものです。またそれは、ヒンズー教から聖書の知恵文学に到るまで、大半の宗教が土台としているところのメタファーをも提供しています。

 

そしてこの消滅に付随して、生殖はますます愛を基盤にした自由な関係性の領域から引き離され、その代りに、市場原理や国家主導の科学的統制の元に引き渡されていくことでしょう。

 

孤立した個々人は依然として子供を欲しがり、それが、商業および国家をして、彼らに子どもを得る人工的諸手段を提供し、一連の過程および結果に対し〔商業および国家が個々人に対し〕影響力を行使していこうとする契機を与えるものとなっていくはずです。

 

そしてこれが、オルダス・ハクスリーが著書『すばらしい新世界(Brave New World)』の中で予見していたことです。彼の‟すばらしい新ディストピア(暗黒郷)”は、真の意味における人間の新しさに終止符を打つ世界です。

 

ー終わりー

 

【関連資料】国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日に寄せる、モゲリーニ EU上級代表の声明(駐日欧州連合代表部HPより)

 

2019年5月15日、ブリュッセル(引用元

 

フェデリカ・モゲリーニ欧州連合(EU)外務・安全保障政策上級代表は、5月17日の国際反ホモフォビアの日に寄せ、EUを代表して以下の声明を発表した。

 

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フェデリカ・モゲリーニ欧州連合(EU)外務・安全保障政策上級代表 (出典)

 

「『国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日』に際し、EUは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・インターセックス(LGBTI)の人々の人権の推進と擁護に対する揺るぎないコミットメントをあらためて明示する。

 

世界中で今もなおLGBTIの人々は、文化的、伝統的もしくは宗教的な価値を根拠とした、しばしば憎悪に起因する犯罪(ヘイトクライム)や拷問・殺人など極度の暴力を伴う、迫害、差別、いじめ、深刻な虐待の対象となっている。

 

今もなお、72の国において、性的指向に関する法律により同性間の性行為は犯罪とされており、それ以外の国でも、十分な水準の法的保護が存在しないため、LGBTIの人々は、生活のあらゆる場面においてさまざまな形態の差別にさらされている。EUは、LGBTIの人々に対する差別は、『世界人権宣言』に謳われている最も基本的な人権の原則の侵害であることをあらためて断言する。

 

EUは、域内外で、LGBTIの人々への差別や暴力行為が処罰されずにいることに対して引き続き闘っていく。これに関連して、欧州委員会は、2016年から2019年に実施する『LGBTIの平等の強化のための行動リスト』を発表した。同行動リストには、非差別、教育、雇用、健康、移動の自由、庇護、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムから拡大と外交政策に至るまで、さまざまな関連する政策分野の活動が含まれている。

 

EUは、対外行動を通じて定期的に第三国と政治的な対話を行い、また的を絞った資金援助を実施して市民団体を支援している。2016年以降、EUは、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、および東欧の市民団体が実施している16のプロジェクトに対して、約520万ユーロ相当の支援を提供してきた。

 

2018年には、EUは、世界中のLGBTI団体を支援するため、1,000万ユーロ相当の特定の提案公募を開始した。さらに、近年『非差別に関するEU人権ガイドライン』が採択されたことで、LGBTIの人々が人権を享受することを推進・擁護するための既存のEUガイドラインも強化された。

 

不正に立ち向かい、抑圧と差別を被っている人々の声を届けようと取り組んでいる数多くのLGBTIの人権擁護活動家が、欧州や世界各地で頻繁に攻撃されている。だからこそ、2018年11月以来、EUは、『民主主義と人権に関する手段』を通じて、LGBTIの人々が最も差別される恐れの高い地域で活動している、LGBTIの人権擁護活動家とその団体を支援している。

 

EUは、加盟国と連携して、こうした人権擁護活動家の重要な取り組みに対する支援を継続し、LGBTIの人々が自由で安全に暮らせるようになるまで支援を止めることはない。」

 

 

ー終ー

 

「新しい全体主義は、『性の自由』という仮面の下に進展しつつあります。」

ーーガブリエラ・クビー(カトリック社会学者)『グローバル性革命:自由という名における自由の破壊』より

 

*1:ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956年2月24日 - )は米国の哲学者、ジェンダー理論家。政治哲学、倫理学、フェミニズムやクィア理論の領域にかかわる研究を行っています。現在、カリフォルニア大学バークレー校修辞学・比較文学科教授。

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同性愛者であることを自ら公言するジュディス・バトラーは、クイア理論などを用いて、「異性愛は人為的につくりだされたものだ」と主張。その論拠は同じく同性愛者であるミッシェル・フーコーに依拠しながら、性の体制が男女という「二項対立」で構成されていることを「抑圧」だと論じています。

主著『ジェンダー・トラブル』

 

本書は、同じく同性愛者である先駆者ミシェル・フーコーのジェンダー及びセクシュアリティ研究を大胆に推し進め、バトラーの理論家としての地位を確立した書物だと評されています。バトラーはジェンダーを文化的に規定された構築物だととらえ、生物学的な性(セックス)とは区別されるものと考えます。さらに生物学的な性の概念も、文化的なジェンダーの規範によって重層的に規定されたものであり、文化的なジェンダーによって汚染されていない純粋な性というものはありえないと主張しています。すなわち、生物学的な定義だとみなされている性の区別は、文化的なジェンダーのパフォーマンスによって構築されるものだと。それゆえ、性的な規範は、文化のレヴェルでなされる撹乱行為(サブヴァージョン)によって変化することが可能なものだとされます。

 それゆえバトラーによると、ジェンダーを決める正しい方法も間違った方法もありません。また、ジェンダーは内のアイデンティティを反映しておらず、逆にパフォーマティブアクトによって構成されたものであるとされています。バトラーによれば、ジェンダーはディスコースによる本物の効果であり、ゆるぎないアイデンティティを反映したものではありません。そして彼女が提案するのは、多様なジェンダー・パフォーマンスによって男/女という‟抑圧的な二項対立”そのものを脱構築していくという、撹乱的な性的実践です。(参照