巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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第二バチカン公会議研究①ーー教皇庁教理省「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」(2007年)

 

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教会とは何だろう?教会が教会である要素は何だろう。そして教会と非教会の境界線はどこにあるのだろう?

絵:フラ・アンジェリコ作、Lunette of the west wall in Niccoline Chapel  

 

目次

 

教皇庁教理省「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」(2007年)

 

序文

 

第二バチカン公会議は、教義憲章『教会憲章(Lumen gentium)』、『エキュメニズムに関する教令(Unitatis redintegratio)』および『カトリック東方諸教会に関する教令(Orientalium Ecclesiarum)』により、カトリックの教会論の刷新に決定的なしかたで貢献しました。

 

教皇たちも実践のための洞察と方向づけを与えることによりこの刷新に貢献しました。すなわち、パウロ六世の回勅『エクレジアム・スアム(Ecclesiam suam)』(1964年)、ヨハネ・パウロ二世の回勅『キリスト者の一致(Ut unum sint)』(1995年)です。
 
教会論のさまざまな側面をさらに明らかにするために続いて行われた神学者たちの努力は、この分野において多くの著作を生み出しました。実際、教会論というテーマはきわめて実り豊かなものであることが明らかとなりましたが、一方で、正確な定義や警告を通じた説明が必要となる場合もありました。

 

たとえば、宣言『ミステリウム・エクレジエ(Mysterium Ecclesiae)』(1973年)、カトリック教会の全司教への書簡『交わりとしての教会理解のいくつかの点について(Communionis notio)』(1992年)、そして宣言『主イエス(Dominus Iesus)』(2000年)です。これらは皆、教皇庁教理省から発布されたものです。 
 
この問題の広がりと、多くのテーマの新しさは、神学的考察が加えられることを求め続けています。そして、この分野の多くの新しい業績のうちには、かならずしも常に誤った解釈から自由でないものも見られ、それが混乱と疑いを招いています。こうした諸解釈のいくつかは教皇庁教理省が検討するために報告されました。

 

カトリックの教会論の普遍性に鑑み、本省は教導職が用いた教会論についてのいくつかの表現の真の意味を明らかにすることを通じて、こうした問いに答えたいと望みます。こうした表現は神学的議論の中で誤解される余地があるからです。

 

問いに対する回答

 

第1の問い――第二バチカン公会議はそれまでのカトリックの教会に関する教えを変えましたか。

 

答え

第二バチカン公会議はカトリックの教会に関する教えを変えもしなければ、変えようとも意図しませんでした。むしろ、第二バチカン公会議はそれを発展、深化させ、より完全なしかたで説明したのです。
 
これこそまさに、ヨハネ二十三世が公会議の初めに述べたことです*1。パウロ六世はそれを確認し*2、『教会憲章』の発布にあたってこう解説しています。

 

「次のようにいう以上の解説はないと思われます。すなわち、この文書の発布は実際に、伝統的な教えの何も変えないのだと。キリストが望まれたことを、わたしたちもまた望みます。かつて存在したことは、今も存在します。教会が幾世紀にわたって教えてきたことを、わたしたちも教えます。要するに、かつて生活の中で実践されてきたことが、今や教えによってはっきりと解明されます。これまで考察され、議論され、ときには論争の対象となっていたことが、今や明快な教理の定式で述べられるのです」*3。司教たちは繰り返しこの意図を表明し、実施しました*4

 

第2の問い――「キリストの教会はカトリック教会のうちに存在する」とはどういう意味ですか。

 

答え

キリストは唯一の教会を、「見える集団と霊的共同体」として「地上に設立」されました*5。この教会は初めから歴史を通じて常に存在し、存在し続けます。また、この教会のうちにおいてのみ、キリストが設立したすべての要素が永続してきましたし、永続し続けます*6

 

「これこそキリストの唯一の教会である。われわれはこの教会を信条の中で、唯一、聖、カトリック、使徒的と宣言する。・・・・この教会は、この世に設立され組織された社会としては、ペトロの後継者と彼と交わりのある諸司教によって治められているカトリック教会のうちに存在する」*7
 
『教会憲章』8において「存在(subsistentia)」ということばは、キリストがカトリック教会の中に設立したすべての要素の、こうした変わることのない歴史的継続性と永続性を意味します*8キリストの教会は、カトリック教会のうちに地上において具体的なしかたで存在するからです
 
カトリックの教えに従い、キリストの教会は、カトリック教会といまだ完全な交わりをもたない諸教会また諸教会共同体においても現前し、働くといっても間違いではありません。こうした諸教会また諸教会共同体の中にも、聖とする種々の要素、また真理の種々の要素があるからです*9

 

にもかかわらず、「存在する(subsistit)」ということばはカトリック教会にのみいうことができます。というのは、このことばは、わたしたちが信条の中で告白する一致のしるしを表しているからです(「わたしは・・・・唯一の教会を信じます」)。そしてこの「唯一の」教会はカトリック教会のうちに存在します*10

 

第3の問い――なぜ単に「ある(est)」ではなく、「存在する(subsistit in)」ということばが採用されたのですか。

 

答え

キリストの教会がカトリック教会と完全に一致することを表すこのことばを用いることによって、教会に関する教えが変わるわけではありません。むしろ、このことばを用いるのは、カトリック教会の組織以外にも「成聖と真理の要素」があり、「それらは本来キリストの教会に属するものであるから、カトリック的一致へと促すものである」*11ということをいっそうはっきりとしかたで表すためです。
 
「これらの分かれた諸教会と諸教団には欠如があるとわれわれは信じるけれども、けっして救いの秘義における意義と重要性を欠くものではない。なぜならキリストの霊はそれらの教会と教団を救いの手段として使うことを拒絶されないからであり、これらの救いの手段の力はカトリック教会にゆだねられた恩恵と真理の充満自身に由来するのである」*12

 

第4の問い――なぜ第二バチカン公会議は「教会」ということばをカトリック教会との完全な交わりから分かれた東方教会にも用いるのですか。

 

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東方教会(出典

 

答え

公会議はことばの伝統的な用法を採用することを望みました。「これらの教会はたとえ分かれてはいても、真の秘跡、特に使徒継承の力により司祭職と聖体をもっていて、それらによって今なお緊密にわれわれと結ばれているのであるから」*13、「部分教会すなわち地方教会」*14の名で呼ばれるに値し、カトリックの部分教会の姉妹教会と呼ばれます*15
 
「これらの個々の教会における主の聖体の祭儀によって、神の教会が建てられ、成長する」*16。しかしながら、カトリック教会――その目に見える頭は、ローマ司教であるペトロの後継者です――との交わりは、部分教会の外的な補充物ではなく、その内的な構成要素の一つです。それゆえ、これらの尊敬に値する諸キリスト教共同体は部分教会としての条件の一部を欠いています*17
 
他方、キリスト者間の分裂のゆえに、ペトロの後継者と彼と交わりをもつ司教によって統治される教会に固有の完全なカトリック性が、歴史の中で完全に実現されないのです*18

 

第5の問い――公会議文書や公会議後の教導職の文書は、なぜ16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教共同体に「教会」という呼び名を用いないのですか。

 

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プロテスタント・キリスト教共同体(出典

 

答え

カトリックの教えによれば、これらの共同体は叙階の秘跡による使徒的継承をもたず、それゆえ教会を教会たらしめる本質的な要素を欠いています。特に司祭職の秘跡を欠くことにより、聖体の秘義の本来の完全な本体を保持していない*19これらの教会共同体を、カトリックの教えによれば、固有の意味で「教会」と呼ぶことはできません*20*21

 

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教皇ベネディクト十六世は、下記の教皇庁教理省長官との謁見において、教皇庁教理省総会で採択されたこの回答を裁可し、その公表を命じた。

 

2007年6月29日、ローマ、教皇庁教理省事務局にて、
教皇庁教理省長官
ウィリアム・レヴェイダ枢機卿
秘書、シラ名義大司教
アンジェロ・アマート(サレジオ修道会)

(*本文中の強調はブログ管理人によるものです。)

*1:ヨハネ二十三世「1962年10月11日の演説」――「・・・・公会議は・・・・カトリックの教えの全体を変えることもゆがめることもなく伝えることを望みます。・・・・しかし現代の状況の中で、キリスト教の教えのすべてが、そこから何も取り去られることなく、新たな熱意と落ち着いた平静な心で受け入れられる必要があります。・・・・キリスト教のカトリックの使徒的な教えに心から忠実なすべての人が強く望んでいるように、この同じ教えが広くまた深く知られることが必要です。忠実な信仰がその基盤とする、確実で不変の教えを、現代の求めるしかたで探究し、説明しなければなりません。ゆだねられた信仰の遺産そのもの――あるいは、尊重すべき教会の教義に含まれた諸真理――と、同じ意味とメッセージを保ちつつ、その教義を提示する方法は、別のことがらです」(AAS 54 [1962] 791; 792)。

*2:パウロ六世「1963年9月29日の演説」(AAS 55 [1963] 847-852)参照。

*3:パウロ六世「1964年11月21日の演説」(AAS 56 [1964] 1009-1010)。

*4:公会議はキリストの教会とカトリック教会が同一であるといおうと望んだ。このことは『エキュメニズムに関する教令』をめぐる議論から明らかである。本教令の草案は1964年9月23日に「報告(Relatio)」によって公会議議場で提案された(Act Syn III/II 296-344)。キリスト教一致推進秘書局は1964年11月10日に、その後数か月に司教たちから提出された提案にこたえた(Act Syn III/VII 11-49)。この最初の応答に関するExpensio modorumから4つのテキストを引用する。
A) [In Nr. 1 (Prooemium) Schema Decreti: Act Syn III/II 296, 3-6]
"Pag. 5, lin. 3-6: Videtur etiam Ecclesiam Catholicam inter illas Communiones comprehendi, quod falsum esset.

R(espondetur) : Hic tantum factum, prout ab omnibus conspicitur, describendum est. Postea clare affirmatur solam Ecclesiam catholicam esse veram Ecclesiam Christi" (Act Syn III/VII 12).

B) [In Caput I in genere: Act Syn III/II 297-301]
"4 - Expressius dicatur unam solam esse veram Ecclesiam Christi; hanc esse Catholicam Apostolicam Romanam; omnes debere inquirere, ut eam cognoscant et ingrediantur ad salutem obtinendam...

R(espondetur): In toto textu sufficienter effertur, quod postulatur. Ex altera parte non est tacendum etiam in aliis communitatibus christianis inveniri veritates revelatas et elementa ecclesialia"( Act Syn III/VII 15). Ibid., n. 5も参照。

C) [In Caput I in genere: Act Syn III/II 296s]
"5 - Clarius dicendum esset veram Ecclesiam esse solam Ecclesiam catholicam romanam...

R(espondetur): Textus supponit doctrinam in constitutione ‘De Ecclesia’ expositam, ut pag. 5, lin. 24-25 affirmatur" (Act Syn III/VII 15).このように、『エキュメニズムに関する教令(Unitatis redintegratio)』への反応を評価することを使命とするこの委員会は、キリストの教会とカトリック教会の同一性、またカトリック教会の唯一性をはっきりと表現し、この教理が『教会憲章』によって基礎づけられるものであると考えた。

D) [In Nr. 2 Schema Decreti: Act Syn III/II 297s]
"Pag. 6, lin. 1-24: Clarius exprimatur unicitas Ecclesiae. Non sufficit inculcare, ut in textu fit, unitatem Ecclesiae.

R(espondetur): a) Ex toto textu clare apparet identificatio Ecclesiae Christi cum Ecclesia catholica, quamvis, ut oportet, efferantur elementa ecclesialia aliarum communitatum".

"Pag. 7, lin.5: "Ecclesia a successoribus Apostolorum cum Petri successore capite gubernata (cf. novum textum ad pag. 6, lin.33-34) explicite dicitur ‘unicus Dei grex’ et lin. 13 ‘una et unica Dei Ecclesia’ " (Act Syn III/VII).
引用された2つの表現は『エキュメニズムに関する教令』2・5と3・1である。

*5:第二バチカン公会議『教会憲章』8・1参照(Lumen gentium)。

*6:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』3・2、3・4、3・5、4・6参照。

*7:第二バチカン公会議『教会憲章』8・2。

*8:教皇庁教理省宣言『ミステリウム・エクレジエ』1・1(Mysterium Ecclesiae: AAS 65 [1973] 397)、宣言『主イエス』16・3(Dominus Iesus: AAS 92 [2000-II] 757-758)、「レオナルド・ボフ神父(フランシスコ会)の著作『教会――カリスマと権力』についての告示」(Notificatio de scripto P. Leonardi Boff, OFM, "Chiesa: carisma e potere": AAS 77 [1985] 758-759)参照。

*9:ヨハネ・パウロ二世回勅『キリスト者の一致』11・3(Ut unum sint: AAS 87 [1995-II] 928)参照。

*10:第二バチカン公会議『教会憲章』8・2参照。

*11:第二バチカン公会議『教会憲章』8・2。

*12:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』3・4。

*13:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』15・3。教皇庁教理省書簡『交わりとしての教会理解のいくつかの点について』17・2(Communionis notio: AAS 85 [1993-II] 848)参照。

*14:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』14・1参照。

*15:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』14・1、ヨハネ・パウロ二世回勅『キリスト者の一致』56以下(Ut unum sint : AAS 87 [1995-II] 954s.)参照。

*16:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』15・1。

*17:教皇庁教理省書簡『交わりとしての教会理解のいくつかの点について』17・3(Communionis notio: AAS 85 [1993-II] 849)参照。

*18:教皇庁教理省書簡『交わりとしての教会理解のいくつかの点について』17・3(Communionis notio: AAS 85 [1993-II] 849)参照。

*19:第二バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令』22・3参照。

*20:教皇庁教理省宣言『主イエス』17・2(Dominus Iesus: AAS 92 [2000-II] 758)参照。

*21:訳注:↓カトリック教会がWCC(World Council of Churches)のメンバーでない理由について

↓カトリック教会の属性と「改宗/帰正」概念に関する神父の問いかけ

↓カトリック教会の属性と救済論について