『至聖三者』(アンドレイ・ルブリョフによるイコン)出典
「キリスト教礼拝の音楽は三重の意味でロゴスに関係します。キリストにおいて人となったみことば、ロゴスは、個々に意味を与える力ではなく、また単に歴史に意味を与える力でもありません。
そうではなく、創造的な意味、そこから万物が生じ、そこに万有、つまり宇宙が反映するものです。それゆえ、このみことばは、私たちを個々バラバラの状態から、時間と場所を超えて拡がる聖人たちの交わりに導き入れます。それが「広々とした所」(詩31:9)であり、主が私たちを置かれる救済の広場です。
しかし、活動範囲はさらに広がります。キリスト教典礼は、すでに私たちが見たように、常に宇宙的典礼でもあります。それは私たちの問題に何を意味するのでしょうか?奉献文の初めの部分である叙唱は、いつも決まって、私たちがケルビムやセラフィム、天のすべての使いたちと共に「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と歌うとネべることで結ばれています。
これにより典礼は、イザヤ6章で述べられている神の示現と結び付きます。預言者は神殿の至聖所に神の王座を見ます。それは「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ」(イザヤ6:3)と互いに呼びかけるセラフィムに護られています。この、常に私たちに先立つ典礼に、私たちはミサ聖祭の祝祭において、私たち自身を重ね合わせます。私たちの歌のすべては、被造物全体を抱える巨大な典礼と共に歌い、共に祈るものです。
ヨーゼフ・ラッツィンガー著『典礼の精神』p.164-65
聖なる神、聖なる勇毅(ゆうき)、聖なる常生の者や、我等を憐れめよ。
ギリシャ語
Ἅγιος ὁ Θεός, Ἅγιος ἰσχυρός, Ἅγιος ἀθάνατος, ἐλέησον ἡμᾶς.
Agios o Theos, Agios ischyros, Agios athanatos, eleison imas.
アラビア語
قدوس الله قدوس القوي قدوس الذي لا يموت ارحمنا
qudus allah qudus alqawii qudus aladhi la yamut arhamana.