巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

『グローバル性革命ー自由という名における自由の破壊』ガブリエラ・クビー女史へのインタビュー(by アルヴィノ・M・ファンティーニ記者)【カトリック・ワールド・レポート紙】

カトリック社会学者ガブリエラ・クビー女史(写真右)出典

 

目次

 

Europe’s Cassandra – Catholic World Report(抄訳)【再掲載】

 

『グローバル性革命ー自由という名における自由の破壊』ガブリエラ・クビー女史へのインタビュー【カトリック・ワールド・レポート、アルヴィノ・M・ファンティーニ記者】

 

アルヴィノ・M・ファンティーニ記者:あなたの精神的行程に最も影響を及ぼしたものは何ですか?


ガブリエラ・クビー:生涯をかけた真理への探究心です。私の父、エリッヒ・クビーは左翼系の作家であり、ジャーナリストでした。こういった父の影響下、私は1968年の学生蜂起に加わり、その後、西ベルリンにて社会学を学ぶに至りました。

しかし私にとって、コミュニズムもフェミニズムも、性革命も、自分を納得させるものではありませんでした。ーーとくに、人間の現実と、そういったグループの説く理想との間にあるギャップに直面してからは。それで私はすぐにこういったものから離れていきました。

1973年に神様と出会って後、私は神様を求め始めたのですが、残念なことに、主を見つけることのできない道に迷い込んでしまいました。つまり、秘教と心理学にはまってしまったのです。

その後20年余りに渡り、私はこの分野で翻訳者として働きました。私は現代のイデオロギー潮流を進み、それゆえに教会の戸を開け、教会が差し出している宝を発見することが非常に難しい状況にありました。しかし1997年、ついに私は発見したのです。それ以後、私は霊的なこと及び、社会・政治的な問題について著述を続けています。


記者:昨年の9月、あなたは『グローバル性革命:自由という名における自由の破壊』という本を出版されましたね。どんな反応がきましたか?

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Gabriele Kuby, The Global Sexual Revolution: The Destruction of Freedom in the Name of Freedom

 

クビー:カトリック信仰に回心後、私は「性規範の規制撤廃こそ、今日の文化戦争の最前線だ」ということに気づきました。それで2006年、私はこのトピックについての最初の著書「Gender Revolution: Relativism in Action」を書きました。実際、この本は隠れたアジェンダに光を当てた最初の本の一つだったといってもいいでしょう。

しかしその後、社会の動向を観察していく中で、問題の全体像を示していく必要性を感じました。それが本書『グローバル性革命』の中で私が試みていることです。主流メディアはこの本を無視しましたが、それにもかかわらず数カ月のうちに三版を重ねました。

ドイツでは「何かを死ぬまで黙殺せよ(totschweigen)」という言い回しがあります。しかし、その目論見は失敗に終わったようです!本書はポーランドとクロアチアで出版され、今秋、ハンガリーとスロヴァキアでも出版される予定です。またその他の諸国の出版社とも現在交渉中です。

2012年9月31日、私は教皇ベネディクト十六世にも本書を手渡す光栄に与りました。その際、教皇は「(この問題について)声を挙げ、執筆してくれたことを神に感謝します。」と言ってくださいました。とても励まされました!



記者:この本の主要メッセージは何ですか?


クビー性規範の規制撤廃は、文化の破壊をもたらします。なぜかとお尋ねになりますか?なぜなら、世界人権宣言(1948年)の中で述べられているように、家族というのが社会の基本単位だからです。
そしてそれが生かされ続けるためには、いくつかの基本的な倫理条件が必須だからです。

しかし今日、性強調社会(hyper-sexualized society)で育った子どもたちは、娯楽産業、メディア、義務教育を通して、異常な性的方向付けをされています。そしてそういった子どもたちは結婚をする責任能力、および責任ある父親、母親としての義務を行なう、成熟した大人になることができなくなっています。

さらにこういった性強調社会は、避妊や中絶なしに成り立ちえません。そしてそういったもののもたらす結果は何かというと、「死の文化」(ヨハネ・パウロ2世の言葉)に他ならないのです。


記者:あなたの本の副題は「自由という名における自由の破壊」となっています。これはどういう意味なんですか?


クビー:20世紀の独裁政治の萌芽期、そして哲学的な意味における個人の賛美がもたされて数世紀経った今、現代の最高価値は、なんといっても「自由」です。性規範の規制撤廃は、この自由の一部分として人々に「売却」されているのです。しかしもし私たちが性衝動をコントロールせず、それを克己しないのなら一体どんなことになりますか?私たちはその強力な衝動の奴隷になってしまいます。つまり、常に性的満足を求めて徘徊をつづけるセックス中毒者になってしまうのです。

2400年前、プラトンがすでに示しているように、これはやがて圧政(専制政治)へとつながっていきます。もちろん、これらはもっと複雑なプロセスであるといえます。しかし、単純に考えても、この問題は明らかです。もし、人々が、自己犠牲的な愛を見失った文化の中に生きるとしたら、、、そして相手に自分を与える愛ではなく、性的満足のためにお互いを「利用」するのだとしたらどうなるのでしょう。

そうなると、やがて人々は、自分のニーズを満たすためならどんなことでも他の人を利用するようになっていくでしょう。そして唯一の制限としては、各個人がどれだけ(コントロールする)力を宿しているかという点だけにかかってくるでしょう。そのような性規制撤廃によって、次に起こってくるのは社会的混沌状態です。そしてそれは最終的に、かつてなかったようなレベルでの、国家による統制を促すことになります。



記者:しかし、真の自由とは、なんの規制も、規範も、法律もなしに生きていくことができる、、、そうではありませんか?


クビー:実際、自由とは、根本的な人間価値です。そして意志の自由こそ、人間と動物を隔てている本質的な違いです。神様でさえも、私たちの持つ自由を尊重され、私たちが自身を、そして自分たちの世界を破壊することを堪忍してくださっています。しかし、自由とは、それが真理と結びついている限りにおいて実現されうるのです。

真理、つまり、人間にかかわる真理、関係における真理、状況における真理です。イエス様は「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)とおっしゃいました。自由とは、自らの行動が自分にそして他者にもたらす結果に対して責任をとっていく姿勢にかかっているのです。

どの社会においても、自由の成就とその保持は、戦いであり、その戦いは成熟した人間によってのみなされうるのです。つまり、自分自身の中に、内的自由を宿す人間によってのみなされうるのです。何でも自分の好きなようにすることができるっていうのが「自由」なんだという考えは、三歳児には適当なものかもしれませんが、それ以上の年齢の方にとってはふさわしいものではありません。


記者:第15章で「人はエゴイストとして生まれる。しかし彼/彼女は徳を教えられる必要がある。」と書いていらっしゃいますね。ここのところをもっと詳しく説明してくれますか。


クビー:新生児は、何か不満足なことがあるとオギャーと泣きます。そして一年か二年の間、両親は、できる限りにおいて、赤ちゃんにパラダイス体験(迅速にして完全な満足を与えること)をさせてあげる必要があります。しかし、その子は成長していく中で、そのパラダイスを去り、自分と同じようなニーズを持っている人が周りにいるんだということを学んでいかねばなりません。そして(子どもは元々知っているのですが)この世には善と悪があるということを学んでいく必要があります。

そしてこれは、良いことを選ぶにあたって自制が要求されていること、よりすぐれた目的を達成するために小さな満足を否む能力を身につけていくことを意味します。社会学者はこれを「満足の遅延パターン(deferred gratification pattern)」と呼んでいます。しかしこれは子どもたちが学び、また教えられる必要のあるものです。そして何より、子どもたちは両親の模範(それが良いものであれ悪いものであれ)から学んでいきます。両親のすばらしい模範をみてそこから学ぶことのできる子どもは幸いです。


記者:あなたはオルダス・ハクスリーの古典『すばらしい新世界』(1931年)についてかなり言及していらっしゃいますね。どうしてですか?

 

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オルダス・ハクスリー著『すばらしい新世界(Brave New World)』


クビー:今日、ハクスリーの預言的な作品は驚きです!『すばらしい新世界』を読むと、人間は瓶の中で生産されており、彼らはメディアや向精神薬によって「幸せ」であるよう、集合的に条件付けがされているのです。

子どもたちはといえば、他の誰もと同じように、セックスの快楽にふけり、すべては「フォード」という名の主によってコントロールされています。ハクスリーは元来、このユートピア思想を600年後に起こるものと想定していましたが、1949年にしてすでに、それが起こり始めたことを彼は目の当たりにしたのです。

当時は、人工授精、出生前選択、代理母、遺伝子操作、(「父」「母」ではなく)「親1」「親2」、、、といったものは存在していませんでした。しかしその後50年もしないうちに、これらの「進歩」は誰の目にも明らかになったのです!

ハクスリーにとって、新しい全体主義が古い全体主義と似ていなければならない理由はありませんでした。この独裁者は、より多くの性的自由を与えるだろう――そしてその分、政治的、経済的自由がこれまでよりも規制されるようになるだろうことを、ハクスリーは気づいていました。真の革命は、「人の魂と体のうちで」起こることを彼は知っていたのです。


記者:これまでに私たちは多くの新しい権利を獲得してきました。それにもかかわらず、どうして人はこれほどまでに尊厳を失ってしまったのでしょうか。


クビー:私たちは自らを造り出したわけでもなく、また、いのちを造り出すこともできません。私たちのいのちは神様から受けたものであること、神様はご自分のかたちに私たちを造ってくださったこと、そして神様は私たちに不滅の魂を与えてくださったこと、、、これらに対する認識を失うなら、私たちは尊厳を失ってしまいます。

そうして人は、遺伝子操作を通し、また出生、臨終において好き勝手に人間のいのちを止めることにより、人間を「改良する」という誘惑に屈服してしまっているのです。私たちは、かなり厳格な法律でもって、作家の著作権を守っています。ならば、人の創造に関する、神の著作権をも守ろうではありませんか。それを守ることで、私たちは多くの人為的な問題から救われるのです。


記者:では、私たちは今、危機ーー文明の危機、家庭の危機、信仰の危機ーーに立たされているということですか?どこに問題の根があるのでしょうか?


クビー:私は時々、聴衆者のみなさんに、「これから30年後、私たちの子どもの生きる環境は今より良くなっていると思いますか?そう思われる方は手を挙げてください。」と問いかけます。そうすると手を挙げる人はほとんどいません。自分たちが今危機に置かれていることを「感じては」いても、それを引き起こしている悪については盲目であるという奇妙な現象が起こっているのです。

1968年の文化革命により、多くの思想や社会運動が絶頂に達しました。この革命は、ヨーロッパ文化の驚くべき繁栄をもたらしたキリスト教価値観(つまり家庭を支える価値観)を攻撃したのです。こういった価値観は、ナチスや共産主義者でさえも、完全には撲滅することのできなかったものです。


記者:1968年の文化革命の意義についてもう少し詳しくお話くださいませんか?

クビー:1968年の文化革命は、特に何か不満があるわけでもなかったぼんぼん育ちのブルジョワ学生世代によって引き起こされたものですが、この革命は、以下にあげる三つの革命的欲求が統合したものでした。

まず、ベルリンが分断され、ロシア軍のタンクがプラハになだれ込んできたあの当時、若者たちが共産主義の思想に魅了されていたことです。また二番目に、彼らはラディカルなフェミニストであったシモーヌ・ド・ボーヴォワールを始めとする人々の呼びかけに従ったのです。


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シモーヌ・ド・ボーヴォワール、1908-1986

その呼びかけとは、「母親業という奴隷の身分から解放されよ!」でした。そして何にもまして、彼らは「性的解放」思想を広め、それに生きたのです。

第三番目として、セオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー、ヘルベルト・マルクースといった、フランクフルト学派からの哲学的動向がありました。


1968 Cultural Revolution in Germany


その際の有害な誘惑はこれでした。「もしあなたのセクシュアリティーを『解放』するならーーつまり、倫理的な規制をことごとく解体するならーーあなたは、抑圧のない社会を構築できるのだ」と。一方、もっと素朴な人たち(そしてヒッピーたち)にとって、それは「戦争じゃなくて、セックス(とドラッグ)をしようぜ。」というスローガンに凝縮できました。

 

1968年のアカデミックな学生世代は、自分たちが大衆を(ましてや「プロレタリアート」を)動員することなどできないことを悟りました。それで、彼らは「高等機関を行進」することにしました。こうして彼らは政治、メディア、大学、司法界における中枢としての地位を獲得するようになっていったのです。

1968年の目標は今や達成されようとしています。そうです、主流メディアの強力なサポートを背景に、国連やヨーロッパ連合、左翼(ならびに幾つかの「保守」)政府などの機関を通して達成されようとしているのです。


記者:ブリュッセルを拠点として活動しているアナリスト、マルガリータ・ペーテル氏も、この革命のグローバル化について書いておられます。


クビー:マルガリータ・ペーテルの著書『西洋文化革命のグローバル化(The Globalization of the Western Cultural Revolution)』は、私の目を開かせるものでした。私はこの革命の核心部分に注目しました。それにはセクシュアリティーに関するモラル規範の規制撤廃も含まれています。

このグローバル性革命は今やパワーエリートによって遂行されようとしています。具体的にいうなら、それは国連やヨーロッパ連合のような国際機関、傘下機関のウェブ、アマゾン、グーグル、マイクロソフトといったグローバル企業、ロックフェラー、グーゲンハイムといった大きな財団、ビル&メリンダ・ゲイツ、テッド・ターナー、ジョージ・ソロス、ワレン・ブフェットといった個々の億万長者たち、そして国際家族計画連盟や International Lesbian and Gay AssociationといったNGOなどを含みます。こういった役者たちは、巨額の財源でもって、最高レベルの権力を行使しています。*1

 
そして彼らは皆、同じ利害を共有しています。つまり、この地球上での人口増加を減らそうというのです。中絶、避妊、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイ・セクシュアル、トランス・ジェンダー)のアジェンダ、家族の崩壊、、、これら全ては、上に述べたただ一つの目的を成就するために仕えています。

しかしながら、例えば、なぜアメリカの理論家であるジュディス・ブットラー(彼女は社会を弱体化させるべく、男性と女性のアイデンティティを破壊しようとしており、それを『ジェンダー・メインストリーミング(=ジェンダー主流化)』という政治戦略を通して成し遂げようとしています。)が、そういったエリートたちの間で優れた哲学者だともてはやされているのかについては、上述のことだけでは説明がつかないかもしれません。

 

Related image

同性愛・フェミニズム理論家、カリフォルニア大バークレー校教授ジュディス・バットラー(Judith Butler)出典

しかしそれは、新しい世界秩序に関する隠されたアジェンダを示すものであるかもしれません。


記者:「ジェンダー主流化(gender mainstreaming)」とは何ですか?


クビー:「ジェンダー」という用語は、1994年、カイロで開催された国連の国際会議(国際人口開発会議)および、1995年、中国の北京で開かれた第4回世界女性会議において、公的文書の中に導入されました。


Cairo conference


これによって、新しいイデオロギーのための言語的媒体を造り出すためでした。男性と女性という双対の性的秩序を言及するという意味において、「ジェンダー」は「性別」という語に代わって用いられるようになりました。こうして過激なフェミニスト思想と、LGBTアジェンダは団結し、「ジェンダー主流化」という思想を生み出したのです。

「ジェンダー」という用語は、人の性的アイデンティティは、必ずしもその人の生物学的性別と一致するわけではないということを暗示しています。それは人間における「男性―女性」という双対の性的本質を打ち壊すものです。

こういった双対の性的本質の解体行為には、二つの目的がひそんでいます。まず、それは男女間に存在するいわゆる「ジェンダー・ヒエラルキー」を破壊する目的があります。換言しますと、ジェンダー思想によれば、性別はただ二つあるのではなく、数多くあるのだというのです。そこにはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャルの男女も含まれます。

二番目に、それは規範としての異性愛を消滅させる目的を持しています。こういったジェンダーを基礎とした男女の捉え方は、社会の主流にのし上がろうとしています。そして実際、これはすでにものすごいスピードで実現しつつあるのです。


記者:あなたの診断するところでは、ポルノグラフィーはどのような役を演じていますか?


クビー:この革命の中で、ポルノグラフィーはとてつもなく大きな役割を演じています。おそらくこれは、男性を敵にまわしたフェミニスト戦争への、男性側からの一種の復讐行為みたいなものかもしれません。

定期的にポルノの虜になっている人は、愛や家族、そして父親や母親になる能力を失ってしまっています。こういった人はやがてポルノ中毒者となり、その多くは性犯罪に関わるような危険な坂道をころげ落ちていく結果になっています。

憂慮すべき事実として、ポルノが若者にとって「フツーのこと」となっている事が挙げられます。現在、ドイツでは十代の男の子の20%が毎日ポルノを観ています。また、42%が週一の割合で観ています。こういった若者たちは今後どんな大人になっていくのでしょうか?

ヨーロッパ連合(EU)は喫煙による大気汚染に対し、あれほど強硬に戦っていながら、なぜ、ポルノによる汚染に対しては戦おうとしていないのでしょうか?私はそこのところの理解に苦しんでいます。後者は家庭を破壊するものですから、より深刻なのです。たとえそうしたくても、人は自分の脳裏に刻まれたイメージを取り除くことはできないのです。


記者:第5章で、「ジョグジャカルタ原則(Yogyakarta Principles)」について言及しておられますね。これは何ですか?


クビー:ジョグジャカルタ原則〔性的指向およびジェンダー・アイデンティティ(=性自認)に関する国際人権法への願書〕は、ジョグジャカルタというインドネシアの町で開かれた、「人権専門家たち」の会合を通して作成された文書です。


map Yogyakarta


この文書はその後、2007年3月に、ジュネーブの国際連合人権理事会に提出されました。このメディアイベントは、一見、それが公式のUN文書であるかのような印象を世界に与えました。しかしそうではないのです!どうぞインターネットで少し検索してみてください。このイベントの背後で、どれほど多くの政府、政党、組織が立ち働いていたかに驚愕すると思います。


yogyakarta NY


私はこの文書に件に丸々1章を割きました。というのも、これはまぎれもなく、LGBTアジェンダの全体主義的傾向を表しているからです。例えば、第29原則の中には、

性的指向や性自認に関する差別の撤廃を保障するため、法の制定や施行、政治を監視する独立した有効な機関や制度を確立する。


とあります。これは何を意味するかといいますと、LGBT運動の優遇に向け、社会全体を再組織しコントロールするために、国民国家レベルの上をいく上部構造が構築されるべきだというのです。この文書の全体主義的アジェンダの意味を理解するために、ジョクジャカルタ原則を(少なくとも第29原則だけでも)一度ぜひお読みになってください。


記者:寛容や多様性という価値観も、このアジェンダを推進する原動力となっているようです。


クビー:自由、正義、平等、非差別、寛容、尊厳、人権、、といった現代の基本的価値観は、文化革命家たちによって、乱用され、歪められ、操作されています。胎芽が操作されているように、そういった誉れある概念の核が抜き取られ、全く新しい何かで埋められているのです。

本書の中の第1章のタイトルは、「言語による政治的レイプ」ですが、私はこの章で、こういった現象について取り扱っています。言語の機能とは、真理を伝えることにある、それを私たちは覚えなければならないと思います。ですから、政治的大衆操作のために、言語を改悪するのは非常に危険なことです。歴代、人々を操作しようと、全体主義システムは言語を改悪してきました。

ロシアの主要新聞はPravda(=真理)という名前だったことを覚えていらっしゃるでしょうか。悲しいことに、今日のメディア時代にあって、こういった大衆操作を行なう行為は以前よりもずっと洗練されているのです。


記者:徳、美しさ、真理などという概念は、現代世界にあって意味を失ってしまっていると、哲学者アラスダイル・マクリタイル(Alasdair MacIntyre)は述べています。もはやそのようなものが理解されえない世にあって、私たちはいかにしてそれらを語っていくことができるのでしょうか?


クビー:それらの概念が理解されないとは思いません。むしろ問題は、そういった内容を破壊しようとしている文化革命にあり、そのために立ち上がろうとしない私たちの臆病さにあると思います。

LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)運動がますます全体主義的様相を帯びてきている真の原因は、人間には良心がある。そしてその良心は愛を求め、真理、美しさ、善を探し求めている、、、そこにあるのであり、そのことをLGBT運動が認識しているからなのです。

したがって、人の良心を呼び覚ますようなものは全て抹殺されなければならないのです。そのためには、子どもたちは幼稚園でプログラミングされ、性的に操作されなければならない。そうすれば、子どもたちは何が善で何が悪かを識別する自然能力を失いますし、善の方に向かおうとする自然の内的指向を失うことになるのですから。


記者:ヨハネ・パウロ2世は、人間の性的本質について、また夫婦という結合の美しさについて尻込みすることなく語っておられます。彼のこうしたビジョンについてどうお考えですか?


クビー:ヨハネ・パウロ2世は、「からだの神学」を通し、教会に大きな祝福を与えています。また回勅や手紙により、からだ、魂、霊という人間における統合されたビジョンについて述べておられます。

この大混乱の時期にあって、彼のメッセージは私たちの思考、心、そして夫婦生活に光を照らしています。もし神が愛であり、私たちが神の家族として召されているのなら(エペソ2:19)、この人生を生きる中で、私たちは愛することを学んでいく必要があるということになります。

(そういった人間愛の中で)最も親密かつあますところない表現は、男女の性的結合であり、そこから新しいいのちが生まれ出るのです。現代世界は、この性的結合を肉体的満足だけに減少させ、そうすることで、体と魂を分裂させてしまったのです。

体と魂の永久的な分離を表す言葉はすでに存在しています――そうです、それは「死」です。セックスを体のレベルに、つまり動物のレベルに貶めることで、私たちは「死の文化」を造り出したのです。

セックスというのは、おのれを与える自己犠牲の表現であり、相手に命を与える愛の表現であることを私たちはもう一度学び直す必要があると思います。そうする中で、ひどい病気に侵されている私たちの社会は回復していくのではないかと思います。


記者:第10章で述べていらっしゃる「新しい人類学」とは何ですか?


クビー:教皇ベネディクト16世は、2012年12月21日の降誕節に、とても啓発的なスピーチをされました。彼は、まことの家族構造が攻撃されている事実を指摘した上で、現代の「人類学的革命」について述べられました。

もし人が、神のかたちに従って男と女に造られたこと(創1:27)を否定し、自分の性は「本質の要素として(神より)授与されたものであること」を否定し、他者を愛し、命を与えるために召されていることを否定するなら、その人の人間存在の根幹が破壊されていることになります。「新しい人類学」とは、こういった意味での人間理解を意味しているのです。


記者:あなたは自分自身をどうみていますか?文化評論家、思想史家、もしくは宗教社会学者、、、でしょうか?


クビー:私のことを「預言者」という人がいますが、もちろん私はそのような者ではありません、、、でもたとえ何が起ころうとも、内的に真理を語る責務があると感じている限りにおいて、私は過去に生きた類似の人々と家族のようなつながりを覚えます。


記者:真摯なクリスチャンは、こういったグローバル性革命に対してどのように応答していくべきだと思いますか?


クビー:もちろんそれは、私たち一人一人にとって大きな問題でしょう。好きであろうがなかろうが、私たちはそれぞれ、自らの性的生活をきちんと整え、まことの貞節な、そして自己犠牲的な愛に従って秩序づけていく必要があると思います。もしそうしないのなら、私たちは明瞭な視野をもって物事を見ることができず、現在進行中の戦いに加わる士気もなければ、力もないといった風になるでしょう。

これは人間の尊厳のための戦いであり、家族、子どもたち、そして未来のための戦いです。そして最終的な意味において、これは神の国のための戦いなのです。神様は私たちが生きることを望んでおられます。イエス様はこう言われました。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)。

現在ヨーロッパでは、多くの前向きな動きがみられます。―フランス、リトアニア、ロシア、ハンガリー、ノルウェー、クロアチアといった国々から、グローバル性革命に抵抗する人々が起こされ始めているのです。しかし、性的規範の根絶は人を、家族を、そして文化を破壊するということを認識している人々により強く勇気に満ちた運動が各国で起こされる必要があります。


記者:はたして私たちは成功を勝ち取ることができるのでしょうか?


クビー:成功するしないについて心配するのはやめましょう。私たちは今、良い目的のために働いているのであり、私たちのいのちは(神の目に)価値あるものです。最終的な成功は、神の御手にあります。


(以上インタビュー記事終わり)

 

ジョグジャカルタ原則

 

blue Yogyakarta

 

第29原則 責任追及

 

人権蹂躙を受けた者は全て、上記の諸原則に反する場合も含めて、人権蹂躙の直接的または間接的責任に対してその加害者が公務員であっても、そうでなくても、その行為を人権蹂躙の重大さに相応して責任追及を行うことができる。

 

性的指向や性自認に関連して人権蹂躙を行った加害者が処罰されないことはあってはならない

 

国家は、

(a)性的指向や性自認に関して人権蹂躙を行った加害者の責任の所在を明らかにする為、利用が容易で効果的な刑事訴訟、民事訴訟、行政訴訟制度を確立すると共に諸機関を監視する

 

(b)実際の、或いは認知された性的指向や性自認を理由に犯された犯罪が発覚した場合は、全て上記の諸原則に記されたものも含めて速やかに且つ一貫して捜査され、適切な証拠が発見されれば、これらの犯罪は起訴され、裁判に付され、厳正に処罰されるように保障する。

 

(c)性的指向や性自認に関する差別の撤廃を保障する為、法の制定や施行、政治を監視する独立した有効な機関や制度を確立する。

 

(d)性的指向や性自認を理由として人権蹂躙を行った者に対する責任追及を妨げるあらゆる妨げを除去する

 

(以上、ウィキペディア 「ジョグジャカルタ原則」より)

 

補足

 

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ページをめくると、次のような驚くべきことが書かれています。

 

【今こんなことが起こっています。あなたはご存知ですか?】

 ー1999年以降、ジェンダー主流化(Gender Mainstreaming)がドイツ連邦政府の「主要綱領」になったこと。

 

ージェンダー主流化の目標は、男女間における「本質的な平等」の創出にとどまらず、規範としての異性間セクシュアリティーの解体自体にあること。

 

ー1999年以降、欧州議会は、「同性愛恐怖(“homophobia”)」を「レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー者に対する不合理な恐怖および拒絶」と定義した上で、これに対する刑事訴追を求める五綱領を採択したこと。

 

ー国連の採決した「ジョクジャカルタ原則」は、LGBTマイノリティーの利害に奉仕すべく、社会における全体主義的変革を促し求めるものであること。

 

ーポルノグラフィーは中毒的なものであり、成人男性の約20%がこれを毎日観覧しており、約42%が毎週観覧していること。

 

ー性教育ネットワーク(世界保健機関〔WHO〕、国際家族計画〔IPP〕、ドイツ州機関)が、性に関する子どもの「権利」を促進しようとしていること。つまり、幼稚園生であっても性行為をして差し支えないという権利、および「あらゆる性活動および同性婚が許容されるべきものなのだ」ということを子供たちに教えていく権利を、現在、促進しているということ。

 

ーヨーロッパにいるクリスチャンに対する社会的・法的差別が、近年、急増していること。過去5年の間に、800件以上の訴訟が起こされたこと。

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また目次は次のようになっています。

 

1.自由という名による自由の破壊

2.性革命の先駆者たち――フランス革命から今日まで

3.フェミニズムからジェンダー・イデオロギーへ

4.国際連合(UN)を媒介とした性革命のグローバル化

5.全体主義の統御:ジョクジャカルタ原則(The Yogyakarta Principles)

6.ジェンダー行路に関するヨーロッパ連合(EU)の動き

7.草の根レベルにおけるジェンダー革命

8.言語の政治的レイプ

9.ポルノグラフィー:全く「ノーマル」なもの?

10.異性愛者、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー:任意のもの?

11.キリスト教と同性愛

12.学校および幼稚園における性教育

13.カトリック教会における自由「性教育」:その内容と課題

14.非寛容と差別

15.新しい外観を装った「全体主義」への下り坂

*1:訳注:人身売買問題専門の弁護士でありカトリック信者であるElizabeth Yore女史による分析「清くない同盟ーーUN、ソロス、フランシスコ教皇体制」