巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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イグナティオスによるスミルナ人への手紙【AD2世紀前半】第1章

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目次

 

手紙の背景について(アンドリュー・ラウス、ダラム大学教父学、ビザンティン学)

 

この手紙は、「イグナティオスのフィラデルフィア人への手紙」と同様、トロアスで執筆されたものです。少し前に彼がスミルナに滞在していた際に、自分をあたたかく歓迎してくれたことについて、イグナティオスはスミルナの教会の兄弟姉妹に感謝の意を示しています。

 

しかしながら、手紙の主要テーマは何といっても、ドケティズム(キリスト仮現説)の脅威と闘うことにありました。というのも、イグナティオスは、当時スミルナでこの異端がはびこっているのを目撃していたからです。*1

 

また、こういった異端者たちはさかんに分離主義(separatism)を推進していましたので、彼はこの傾向を強く非難し、教会が一致を保ち続けることの責務について通常時以上に強く主張しています。*2*3

 

*イグナティオスの書簡全般に関する説明は、ココをご参照ください。

 

本文

 

セオフォロスとも呼ばれているイグナティオスから。憐みの内にあらゆる賜物を受け、信仰と愛に満ち、賜物に欠けることなく、神の前に価値があり、且つ聖潔で飾られている*4ーー小アジアにあるスミルナの、父なる神および愛するイエス・キリストの教会へ。汚れなき御霊および神の御言葉を通し、あなたがたにあふれるばかりの至福がありますように。

 

原文

Ἰγνάτιος, ὁ καὶ Θεοφόρος, ἐκκλησίᾳ θεοῦ πατρὸς καὶ τοῦ ἠγαπημένου Ἰησοῦ Χριστοῦ, ἠλεημένῃ ἐν παντὶ χαρίσματι, πεπληρωμένῃ ἐν πίστει καὶ ἀγάπῃ, ἀνυστερήτῳ οὔσῃ παντὸς χαρίσματος, θεοπρεπεστάτῃ καὶ ἁγιοφόρῳ, τῇ οὔσῃ ἐν Σμύρνῃ τῆς Ἀσίας, ἐν ἀμώμῳ πνεύματι καὶ λόγῳ θεοῦ πλεῖστα χαίρειν.

 

第1章 あなたがたの信仰ゆえに神に感謝する

あなたがたにこのような知恵を与えてくださった神であるイエス・キリストに栄光を捧げます。あなたがたが、ーー肉においても霊においても、あたかもわれわれの主の十字架に釘づけにされたかのように、そしてキリストの血潮によって愛の内に建てられーー揺るぎない信仰の中で全きものとされていることを私はみています。

 

あなたがたは私たちの主に関し堅固なる確信を持っています。すなわち、主が真に、肉においてはダビデの子孫であり*5、神の聖意図および御力によれば神の御子であること。主が真に乙女から生まれ、あらゆる義が主によって成就されるべく*6ヨハネによってバプテスマを受けたこと。主が真にポンティオ・ピラトおよび領主ヘロデの下、ご自身の肉体において私たちのために〔十字架に〕釘づけにされたことーー。

 

神的に祝福された受難により私たちに命を分与するところのこの〔十字架上のキリストという〕実により*7、主は、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、主の全ての聖く忠実なる者たちを、主の教会という一つのみからだに召し入れるべく、ご自身の復活を通し、永遠に旗(のろし)*8を揚げてくださったのです。

 

第1章の原文

1 Δοξάζω Ἰησοῦν Χριστὸν τὸν θεὸν τὸν οὕτως ὑμᾶς σοφίσαντα· ἐνόησα γὰρ ὑμᾶς κατηρτισμένους ἐν ἀκινήτῳ πίστει, ὥσπερ καθηλωμένους ἐν τῷ· σταυρῷ· τοῦ κυρίου Ἰησοῦ Χριστοῦ σαρκί τε καὶ πνεύματι καὶ ἡδρασμένους ἐν ἀγάπῃ ἐν τῷ· αἵματι Χριστοῦ, πεπληροφορημένους εἰς τὸν κύριον ἡμῶν, ἀληθῶς ὄντα ἐκ γένους Δαυεὶδ κατὰ σάρκα, υἱὸν θεοῦ κατὰ θέλημα καὶ δύναμιν θεοῦ, γεγεννημένον ἀληθῶς ἐκ παρθένου, βεβαπτισμένον ὑπὸ Ἰωάννου, ἵνα πληρωθῇ πᾶσα δικαιοσύνη· ὑπ ̓ αὐτοῦ·  ἀληθῶς*9ἐπὶ Ποντίου Πιλάτου καὶ Ἡρῴδου τετράρχου καθηλωμένον ὑπέρ ἡμῶν ἐν σαρκί, ἀφ ̓ οὗ καρποῦ ἡμεῖς ἀπό τοῦ θεομακαρίστου αὐτοῦ πάθους, ἵνα ἄρῃ σύσσημον εἰς τοὺς αἰῶνας διὰ τῆς ἀναστάσεως εἰς τοὺς ἁγίους καὶ πιστοὺς αὐτοῦ, εἴτε ἐν Ἰουδαίοις εἴτε ἐν ἔθνεσιν, ἐν ἑνὶ σώματι τῆς ἐκκλησίας αὐτοῦ.

*1:訳注:ドケティズム(キリスト仮現説)についての関連記事

*2:The Apostolic Fathers Early Christian Writings, Penguin Classics, 1968, [Reprinted with new editorial material by Andrew Louth, 1987], p.100.

*3:日本語翻訳にあたっての参照文献:原文 Προς Σμυρναίους Επιστολή του Αγίου Ιγνατίου του Θεοφόρου、現代ギリシャ語訳 Αγίου Ιγνατίου του Θεοφόρου, Επιστολές προς Σμυρναίους και προς Πολύκαρπον、英文:Phillip Schaff, ANF01. The Apostolic Fathers with Justin Martyr and Irenaeus, The Epistle of Ignatius to the Smyrnæansおよび、The Apostolic Fathers Early Christian Writings, Penguin Classics, 1968, [Reprinted with new editorial material by Andrew Louth, 1987]

*4:文字通りには“holy-bearing”; ἁγιοφόρῳ

*5:訳注:ローマ1:3.Phillip Schaff, The Epistle of Ignatius to the Smyrnæans, chap 1. 注釈参。

*6:訳注:マタイ3:15.Phillip Schaff, The Epistle of Ignatius to the Smyrnæans, chap 1. 注釈参。

*7:ἀφ ̓ οὗ καρποῦについて。フィリップ・シャフ編の注釈では、i.e., the cross, “fruit” being put for Christ on the treeと記されてあります。また、アンドリュー・ラウスは、「カルバリーの木は、複数の初期教父たちにより、パラダイスに植えられたいのちの木になぞらえています。参:The Epistles of Ignatius: To the Trallians II, それからDanielou J., The Theology of Jewish Christianity (E.T., London, 1964), op.cit., pp.276-7.」と注釈しています。

*8:旗(のろし, signal, beacon)=σύσσημον. 教父学者アンドリュー・ラウスは、これをイザヤ49:22(LXX)への暗示であると注釈しています。[Isa 49:22:οὕτως λέγει κύριος ἰδοὺ αἴρω εἰς τὰ ἔθνη τὴν χεῖρά μου καὶ εἰς τὰς νήσους ἀρῶ σύσσημόν μου καὶ ἄξουσιν τοὺς υἱούς σου ἐν κόλπῳ τὰς δὲ θυγατέρας σου ἐπ᾽ ὤμων ἀροῦσιν. //* σύσσημον=ヘブライ語聖書ではנֵס nec. H5264]

*9:訳者所感:「主が真に(ἀληθῶς)、肉においてはダビデの子孫であり」、「主が真に(ἀληθῶς)乙女から生まれ」、「主が真に(ἀληθῶς)、、〔十字架に〕釘づけにされたこと」。この一パラグラフの中で、イグナティオスが三回も、真に(ἀληθῶς; truly)という語を用いているのがとても印象的でした。この語の使い方をみても、彼がスミルナを当時席巻していたドケティズム異端の存在をかなり意識していたことが伝わってくると思います。