一人の人間が画面に映っている。彼女は、各自が家で自在にできる「セルフ・コミュニオン」というもののハウツーを聴衆に教えている。
彼女は自分で司祭の祝祷をし、自分で聖餐のパンを裂き、自分で口に入れ、自分で葡萄酒を領している。彼女は「個」として充足・完結している。彼女は牧師であり司祭だ。なぜなら彼女が自らそのように規定したのだから。だからそれでいい。自律した人間は自己決定することができる。そうではないだろうか。
Former Female Episcopal Priest Links Women’s Ordination to LGBT Activism
Alice C. Linsley, Ten Objections to Women Priests, 2019. (拙訳)
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至聖三者(しせいさんしゃ、ギリシア語: Αγία Τριάδα, ロシア語: Пресвятая Троица, 英語: Most Holy Trinity)は、キリスト教における三位一体の神を表す正教会用語であり、日本正教会で用いられる訳語。祈祷文においては単に「聖三者」「三者」と訳されるケースも少なくないが、説教・文章・日常生活においては「至聖三者」が用いられる事が殆どである。正教会においては、正教会における定義を元に作られた神学用語を「代用となる語」に置き換える事は望ましくないことであり、至聖三者を三位一体という語に限定するのは誤りであるとされる*1。ウィキペディア「至聖三者」より
*1:高橋保行『ギリシャ正教』291頁 - 292頁、講談社学術文庫、1980年。