巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第3章 いのちの道③

Γ'

1. Τέκνον μου, φεῦγε ἀπὸ παντὸς πονηροῦ
καὶ ἀπὸ παντὸς ὁμοίου αὐτοῦ.

わが子よ。悪および、悪の様相を帯びているいかなるものからも離れなさい。

 


2. Μὴ γίνου ὀργίλος, ὁδηγεῖ γὰρ ἡ ὀργὴ πρὸς τὸν φόνον, μηδὲ ζηλωτὴς μηδὲ ἐπιστικὸς μηδὲ θυμικός·
ἐκ γὰρ τούτων ἁπάντων φόνοι γεννῶνται.

自分の激情に支配されるままになってはいけない。なぜなら、これはやがて殺人につながっていくからだ。また人をうらやんだり、口論したり、短気であってもいけない。というのも、殺人はこういった事から生まれるのだから。

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ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第2章 いのちの道②

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Β'

1. Δευτέρα δὲ ἐντολὴ τῆς διδαχῆς·

ディダケーの二番目の掟はこれである。

 


2. οὐ φονεύσεις, οὐ μοιχεύσεις (Ἔξ. 20,13-15), οὐ παιδοφθορήσεις,
οὐ πορνεύσεις, οὐ κλέψεις (Ἔξ. 20,14), οὐ μαγεύσεις,
οὐ φαρμακεύσεις, οὐ φονεύσεις τέκνον ἐν φθορᾷ,
οὐδὲ γεννηθὲν ἀποκτενεῖς,
οὐκ ἐπιθυμήσεις τὰ τοῦ πλησίον.

殺してはならない。姦淫してはならない。子どもたちを堕落させてはならない。不品行をおこなってはならない。盗んではならない。

占い師の所へ行ってはならない。魔術をおこなってはならない。

中絶によって子どもを殺してはならない。胎児殺しをしてはならない。あなたの隣人のものをむさぼってはならない。

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ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第1章 いのちの道①

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ディダケー(十二使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή)は、「教え」を意味する、初期キリスト教の文書です。

 

十二使徒の教えと伝えられていますが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられています。(参照:ココ

 

ギリシャ語本文は、このサイトから転載しています。また、本文の日本語訳及び章タイトル名はブログ管理人によるものです。

 

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 1873年に発見されたディダケ―写本のタイトル部分(引用元

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美しいフランスとそこに息づく美しい人々

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Head Covering Movementで共に翻訳の働きをしているフランスのカロリーヌが家の近くの写真を撮って送ってくれました。

 

目の覚めるようなブルーと若緑。彼女は、フランスの片田舎に居を構えているのですが、なんとそこはGPSにも探知されないくらい鄙(ひな)びたところにあるのです。

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私がクリスチャンの教理論争史を愛しんでいる理由――Exclusive Psalmody Debateの事例から【キリスト礼拝の本質を考える】

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私は、クリスチャンの教理論争史にとても興味があり、それらの文献を読むのが好きです。そして今日はみなさんに、私がなぜExclusive Psalmody Debate(礼拝時に詩篇歌だけを歌うべきか否かの論争)を愛しているのか、その理由をお分かち合いしたいと思います。

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奥まった森林を歩いていたら

親愛なる私の姉妹へ

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奥まった森林を歩いていたら、上のような可憐な花をみつけました。

 

狭く、身動きのとれない場所にあなたはいます。

〈私には、移動の自由はありません。〉

 

細い根と、細い茎でやっと立っています。

〈だから乱暴な風さん、どうか私のところには来ないでください。〉

 

ああ、あなたは美しい。

あなたのその小さな身には、

創造主の美がくまなく映し出されています。

 

ゴスペルフラ問題 Q&A+検証記事のご案内

ゴスペルフラ現象に関することですが、あるサイトで、この問題について真摯に取り組んだ末、ゴスペルフラを習うことにした方のコメントを拝見いたしました。この方のご見解と信仰に最大限の敬意を払いつつ、みなさんとご一緒に考えていけたらと思います。

 

 イスラエルの民謡舞踊マイムマイムが実はイスラエルの賛美の一つだというのをご存じでしょうか。聖書には歌って踊り賛美をした、喜び踊ったという表現が数多く出てきます。

 日本に伝わったキリスト教は西洋からのものでオルガンや讃美歌による礼拝の形が出来上がったもので、それが正統で厳かで正しいというのが一般的な認識でしょう。ではイスラエルでオルガンや讃美歌がなければ主を賛美出来ないかと問われたらそうではないと思います。

 その国、その土地にあった礼拝の仕方や賛美があってしかるべきだと思います。日本でも方言で聖書を翻訳し(ケセン語)それが高齢の方々に受け入れられているということもあるそうです。

 ゴスペルフラの起源は、キリスト教を忌み嫌い全く受け入れてくれない母親にある少女が何とか母にわかりやすい形でイエス様を伝えられないかと考え出したもので、馴染みの踊りの形に手話で福音を語ることから始まったそうです。

 日本のゴスペルフラの主宰の方々は「主の前で、力の限り踊ったダビデのように、こころからの賛美を捧げること、神への真の礼拝を捧げることを学びます。それが、喜びとなり、あなたの人生が変えられ、霊的に豊かに成長することが、目的です。」と述べられています。

 異教の神を崇める激しい動きのタヒチアンと性格が異なります。聴覚障害や言語障害の方が手話で讃美歌を歌うのと同じです。

 私も、聖書や讃美歌を拒否して読むことも歌うこともしないけれどもハワイは好きという80歳の母に福音を伝えたいと祈り、最近ゴスペルフラの練習を始めました。

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