先日の記事の中で、ある姉妹が、教会の主日礼拝で催される賛美フラのあり方に良心のつまずきを覚え、苦悶しておられる旨をみなさんに共有しました。
その後も私は、「元々異教女神に捧げられていたフラダンスをキリスト教礼拝の中に取り入れる」という発想の源流(ルーツ)を追い求めてリサーチを続けていました。
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What's So Dangerous About Emerging Church? (Grace to You)
読者からの質問:イマージング・チャーチ・ムーブメントとは何ですか。そしてどのようにしたら私たちはその動きを識別することができるのでしょうか。
John MacArthur
ジョン・マッカーサー:ひと言で言いますと、イマージング・チャーチ・ムーブメントというのは、「聖書に関する『不確かさ』という点に価値があり、美徳さえある」と考える、無定形のゆるい教会諸連合のことをいいます。この運動の根幹にあるのは、「聖書が何を意味しているのか正確に理解できる、などと考えることさえすべきでない」という彼らの信奉です。
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A.W. Tozer, Daring to stand for Truth(全訳)
神のこころに近づけば近づくほど、私たちは論争を好まなくなる。神の御胸に抱かれる平安のあまりの甘美さに、「ああ、できるものならたえずフルにその中にとどまっていたい」――そう願うのが人の自然の情というものであろう。
御霊に満ちたクリスチャンというのはけっして「良い」戦士ではない。戦士としての不利な条件が彼にはあまりにも揃い過ぎている。その点、敵はいつも相手を糾弾することにおいて、彼よりずっと上手(うわて)だ。
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宗教改革期の教会
Francis A. Schaeffer, Escape from Reasonより抄訳
ルネッサンスと宗教改革思想との間の相違は、多くの実際的結果を生みだした。例えば、ルネッサンスは女性たちを「解放」し「自由」にした。そしてそれは宗教改革とて同様である。――しかし後者が女性たちにもたらした自由は前者のそれとは大きく異なっていた。
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真理が否定された後には、セラピーが残る――。こうして決定的な問いが、「何が正しいのか?」から「何が私の気分を良くさせてくれるのか?」へと移行していきます。こういった文化的傾向は何世紀にも渡って発展してきたものですが、今やそれは最高潮に達しつつあります。
私たちの日々向き合う文化は、ほとんど完全に、フィリップ・ライフの言う「セラピーの凱旋」の征服下にあります。ポスト近代の世界では、すべての問題は結局、「自我」を中心に廻っています。
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