〈オジサン〉たちも泣きたい時がある。ーー嘆きと受容の空間
主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。詩篇102:1-2
先日の記事の中で、私はイマーム・レザー廟に関する歌のビデオを貼り付けました。
この中でとりわけ印象的だったのが、レザー廟の前で嘆き、男泣きする高齢者の男性たちの姿でした。実際、おじいさんたちの嘆き祈る姿を見て、私は涙を抑えることができませんでした。
「そういえば、公共の場で、日本の男性たちがこういう風に男泣きしている姿は今まで一度も見たことがない。でもそうだからと言って、日本の〈オジサン〉たちに何も嘆き悲しむことがないかといったらそうではないと思う。
シーア派のおじさんやおじいさんたちはいたたまれなくなり、精神の限界に達した時、きっと一人レザー廟に向かい、そこでさめざめと泣き、自分の心の内にある耐えがたい重荷、苦しみ、嘆きを吐露しているのだろう。
それでは日本のおじさんやおじいさんたちはそんな時、どこに向かうのだろう?どこに向かうことができるのだろう?教会だろうか。教会の中には限界に達したおじさんたちの嘆くスペースはあるのだろうか。教会でおじさんたちは泣くことができるのだろうか。」
おお主よ、憐れみ給え!
「♪神よ、我らを赦し給え」Zarzma修道院の修道士たちによる祈りの歌(グルジア語)