巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「『男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリストにあって一つだからです』(ガラ3:28)というパウロの言明によって、ジェンダーの壁が取り除かれたのではありませんか?それゆえに女性教職の門戸は開かれてしかるべきなのです。」

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John Piper and Wayne Grudem, 50 Crucial Questions About Manhood and Womanhood | Desiring God, 2016

 

Q. パウロはガラテヤ3:28で、「男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリストにあって一つだからです」と言いました。ですから、もはや教会内での(性別による)役割区分という基盤は取り除かれなければならないと思うのですが、どうでしょうか。

 

回答:

いいえ、それは違います。今日においても依然として、多くの福音派・聖霊派信者の方々は、この聖句が同性愛を正当化する根拠にはならないことに同意しておられます。つまり、私たちの大半は、パウロのこの「男子も女性もない」という言葉を――彼が別の諸聖句で是認していることを超えたところまで――無理やりに解釈していこうとはしていないのです。

 

例えば、ローマ1:24-32の聖句から分かるのは、「ガラテヤ3:28のこの聖句をもって、(性的関係における)男女の異なる役割という創造の秩序を転覆させなさい」というのがパウロの意図するところではなかったということです。

 

ガラテヤ3:28の文脈をみると、男性と女性がキリストにあって等しい(equal)ということの意味が非常に明瞭に示されています。つまり、私たちは男女共に等しく、信仰によって義とされ(24節)、律法主義の縛りから解放され(25節)、神の子どもとされ(26節)、キリストをその身に着(27節)、キリストのものとされ(29節)、アブラハムの子孫であり、約束による相続人(29節)とされました。

 

特に最後に挙げたこの祝福――女性も男性と等しく、神の約束の相続人とされる――は重要なものです。1ペテロ3:1-7で、「いのちの恵み」(7節)を共に受け継ぐ者とされたという祝福が、①妻の夫に対する恭順への勧告(1節)および、②「自分よりも弱い器として」尊敬をもって妻を扱いなさいという夫への勧告(7節)――との関連の中で述べられています。

 

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換言すると、ペテロは次の二つの事がらの間になんら摩擦を見い出していなかったのです。

1.私たちの相続に関する、「男子も女子もない」という原則。

2.私たちの役割に関する、かしら性(headship)・恭順(submission)の原則。

 

ガラテヤ3:28は、ジェンダーを基盤にした諸役割を廃棄しませんそれは、神によって建てられ、キリストによって贖われたものです。最後に、パウロがガラテヤ3:28で実際に言っていることに綿密な注意を払うことが大切です。彼はここで「あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、同一(same)だからです」とは言わず、「あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つ(one)だからです」と言っています。パウロはキリストにある男女の同一性(sameness)ではなく、一致(unity)を強調していたのです。