巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

三位一体論

かしらの聖域

アトス山、シモノペトラ修道院、13世紀創設(出典) 目次 アトス山修道院群 ウラノポリにて 男のかしらはキリスト、女のかしらは男、そしてキリストのかしらは神 天的/地上的かしらの聖域 おわりにーー全てはつながっている

朝の讃歌ーーミラノの聖アンブロシウス(340-397)

出典 目次 朝の讃歌(聖アンブロシウス) 聖アンブロシウスについて ♪ テ・デウム(我ら神なる汝を讃えん)

偉大にして永遠なる神への讃歌(F・W・フェーバーの信仰詩)

目次 永遠の御霊 主への畏れ 神の永遠を想う 神聖なる威光!

原ニケア信条(325)およびニケア・コンスタンティノープル信条(381)について(by E・ケアンズ)

コンスタンティヌス帝を描いたイコン。周囲に立っているのは第一回ニケア公会議(325)に出席した司教たち。彼らが掲げているのは、381年に定められたニケア・コンスタンティノープル信条。(出典) 目次 なぜ信条(Creed)の必要性が生じたのか? 三…

ブログ内の用語説明・定義――相補主義と対等主義について

目次 相補主義(Complementarianism) 相補主義に立つ教団・教派の一例 相補主義キリスト者の一例 対等主義(Egalitarianism) 対等主義に立つ教団・教派の一例 対等主義キリスト者の一例 「相補主義」と「対等主義」について――福音主義教会を二分する二つの…

ウィリアム・ポール・ヤング著『神の小屋』書評(ノーマン・L・ガイスラー&ビル・ローチ)

Norman L. Geisler and Bill Roach, The Shack: Helpful or Heretical? A Critical Review (here) より一部抜粋 『神の小屋(The Shack)』は、現代文化に触れ、それを理解するという点では得るところがあるかもしれませんが、キリスト教真理への妥協は避け…

「三位一体の中で、御父もまた御子に恭順(submit)しているのです。ですから、御子との関係において、御父に固有の権威があるわけではないのです」という主張はどうでしょうか。【三位一体論とフェミニズム】後篇

人間の友に向けられる中傷に対し、われわれは憤りを覚えている。 しかるになぜ、我々の神が、これほどまでに卑劣きわまりない中傷をお受けになっている現状をみながら、われわれはここまで平気でいられるのだろう? J・グレシャム・メイチェン Wayne Grudem,…

「三位一体の中で、御父もまた御子に恭順(submit)しているのです。ですから、御子との関係において、御父に固有の権威があるわけではないのです」という主張はどうでしょうか。【三位一体論とフェミニズム】前篇

以下は、ウィリアム・P・ヤング著『神の小屋』の中で、「イエス」が、三位一体の神のことを説明する場面です。 「イエス」が主人公のマックに言うセリフ: これこそ、パパ(御父)およびサラユ(聖霊)と私(イエス)の関係にある美しさなんだ。 私たち[三…

1コリント11章「祈りのベール」弁証シリーズ①:創造の秩序

Jeremy Gardiner, Why Head Coverings? Reason #1: Creation Order 「、、、ここで最も驚くべきことは、パウロが、コリントのことではなく、創造のことに論拠を求めていることだ。何であれ、地域的習慣を超えるものは創造に根付き秩序づけられているものであ…

「創世記1-3章によれば、男性のかしら性(male headship)というのは、人類が堕落する以前には存在していませんでした。ですから、これは罪がもたらした負の産物です。」という主張はどうでしょうか。【前篇】

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 3 これは、私が知るすべての対等主義者が皆一様に論じている根本的主張です。例えば、アイダ・スペンサーの著 Beyond the Curse(「呪いを超えて」)というタイトルそれ自体が、この主張を…

「もし、人類の堕落以前にすでに『男性の権威(male authority)』が存在していたのなら、男性の方が女性よりも優越しているということになり、男女は平等ということではなくなってしまいませんか?」という疑問に対する応答。

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 3 平等というのが、役割における同一(no difference)を意味していると対等主義の人々は考えています。そしてそういった対等主義的観点でみるなら、男性の権威というのは必然的に男性の優…

ケファレー(かしら、"head")をめぐるジェンダー論争―福音主義フェミニズムに対する応答④:G・ビレジキアン氏の論への反証/"Source”説 徹底検証〔英文〕

他の諸領域と同様、宗教の領域においても、次のことが言えると思う。つまり、皆が皆、容易に合意できるような事柄というのは概して、「それらを保持するに余り価値のないものである」というきらいがあるのだ。しかし真に重要なことを巡っては、[それらを保…

ケファレー(かしら、"head")をめぐるジェンダー論争―福音主義フェミニズムに対する応答③:Philip B. Payne氏の "source" 論への反証/三位一体論におけるフェミニスト神学者たちの重大な誤謬について〔英文〕

愛する読者のみなさんへの注意喚起 グルーデム氏がこの論文の後半部分で警告しているように、福音主義フェミニスト神学者たちは、家庭内における夫のリーダーシップ(headship)を否定したいがあまりに、正統的な三位一体論からも逸脱傾向にあります。また、…