巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

女性牧師問題とフェミニスト聖書解釈――「軌道解釈(Trajectory Interpretation)」に対する応答(by ウェイン・グルーデム)【前篇】

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 9より翻訳抜粋

 

対等主義側の主張:「軌道解釈(Trajectory Interpretation)」

 パウロを始めとする新約記者たちは、完全な形での女性リーダーシップに向けての「軌道」を移行中でした。しかし新約聖書が完成した時点ではまだ、彼らはその最終目標に達してはいませんでした。しかし今日、私たちは当時の彼らが目指していた方向性を目の当たりにしており、それゆえ、彼らが当初目標としていた対等主義的諸結論を是認することができるのです。

 

 

R・T・フランスは、著書Women in the Church's Ministry: A Test Case for Biblical Interpretation(「教会のミニストリーにおける女性たち:聖書的解釈の試験的論拠」)の中で冒頭の立場を表明しています。

 

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二種類の謙遜――謙遜と確かさは両立可能(G・K・チェスタトン)

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G.K. Chesterton

 

G.K. Chesterton, Orthodoxy [reprint, San Francisco: Ignatius, 1995], 36-37より翻訳抜粋

 

今日の私たちの災難は、誤った位置に置かれている「謙遜」である。謙虚さは、「熱望」の器官から移動し、今や「確信」の器官の上に落ち着いてしまった。――本来、決して意図されていないその場所に。

 

人は自分自身に関しては不確かさや疑いをあるいは抱いてしかるべきであろうが、しかし、こと真理に関してはこれを疑うよう造られてはいない。しかし今や全くこの逆のことが起っているのである。

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失われつつある聖書の権威――教会の女性化(feminization)と聖書的男性像の喪失〔フランスにて〕

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現在、フランスでは、アラブ系の移民子弟だけでなく、一般のフランス人若者たちもまたイスラムの教えに惹き付けられ、ISISに加入していることが社会問題になっています。パリ近郊で滞在した家庭には高校一年生の男の子がいましたが、数週間前、彼の級友のフェイス・ブックに、イスラム国からの個人的勧誘メッセージが届いたと聞きました。特にニース市などフランス南部でこの傾向が強いようです。

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「聖書的」であることの意味について

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「何かが『聖書的である』という時、それは一体どういう意味なのでしょう。私たちは『聖書的』という言葉を、記述的な意味(つまり、「聖書に見いだされるもの」)というよりも、「何を神様が望んでおられるか」という規範的な意味で使うことに慣れっこになっています。しかし、聖書的なライフスタイルや考え方を主張するあらゆる言明の背後には、聖書解釈や適用に関する一連の複雑な諸前提が存在しているのです。」

レイチェル・ヘルド・エヴァンズ*1

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ユダヤ・キリスト教的な時間観について――時の螺旋(らせん)構造と歴史認識

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 時というものには、創造から終末に向かう「線分」という側面と、「円環」という側面があり、したがって聖書的な時間観というのは螺旋(らせん)的である、というとても興味深い記事を読みました。それをみなさんにも共有したいと思います。

 

以下、苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳より一部抜粋(ココ

 

聖書の時間論と歴史

 

 一般に古代インド、古代ギリシャ的な時間観は円環であるといわれる。それは自然宗教的な世界に共通した時の見かたである。春夏秋冬の自然の営みから敷衍して、時というものは同じことの繰り返しなのだという考え方がその根っこにあると思われる。

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イマージング運動――昔風のリベラリズム(by ボブ・デウェイ)【後篇】

前篇〕からの続きです。

 

目次

  • オーソ・パラドクシー:逆説と矛盾の受容
  • 結語
  • Ideas Have Consequences: A Partial Paraphrase and Review of Modern Fascism by Gene Edward Veith 
    • Back to Nature
    • Martin Heidegger the Fascist
    • The Rejection of the Value of the Individual
    • The End of Transcendence
    • Anti-Semitism
    • The Real Problem
    • Conclusion
    • End Notes

 

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本書中、もっとも神学的リベラリズムが顕著な例として挙げられるのが、サミール・セルマノヴィック(Samir Selmanovic)執筆による論文「包含性という甘美な問題――他者の中にわれわれの神を見い出す("The Sweet Problem of Inclusiveness – Finding our God in the Other")」だった。(Doug Pagitt and Tony Jones edit.,An Emergent Manifesto of Hope, Grand Rapids:Baker, 2007, pp190-199)

 

彼のこの「包含的」見解は、ローマ・カトリック教会の神学者カール・ラフナー(Karl Rahner)によって普及するようになった説であり、「匿名のキリスト教」と呼ばれ、セルマノヴィックが脚注をつけている。

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イマージング運動――昔風のリベラリズム(by ボブ・デウェイ)【前篇】

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Doug Pagitt and Tony Jones, Emergent Manifesto of Hope, An (emersion: Emergent Village resources for communities of faith)

 

Bob DeWaay, Emergent Old Fashioned Liberalism

 

最近、出版されたドーグ・パジット/トニー・ジョーンズ共編『希望のイマージング・マニフェスト(An Emergent Manifesto of Hope)』の中には、イマージング「会話」運動のさまざまな指導者たちによる25篇の論文が掲載されている。

 

この運動を神学的に特定することは難しいものの、この本はイマージング・チャーチ・ムーブメントの鍵となる統一的な神学的観点が何かをかなり明確に示している。そう、それは神学的リベラリズムである。

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