巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーーケイティー・ウィング姉の信仰行程

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レンブラント作(出典

 

目次

 

Katie Wing, Testimony, Journey Home, 2018(拙訳)

 

カトリック家庭に生まれる

 

私は米国ニューヨーク州のカトリック家庭に生まれました。弁護士であった父親はドイツ生まれで、彼の父親はホロコーストを生き延びたユダヤ人でした。(彼の母親、つまり私の祖母はルーテル派でした。)

 

ホロコーストの死の恐怖の中で、祖父母は、キリスト教宣教師たちによって救出され、米国に逃れることができました。後に、祖父母はカトリックに改宗し、そういういきさつがあって私はカトリック家庭に生まれたのです。

 

私たちは毎週ミサに行き、二週間に一回告解に行っていました。しかし残念なことに、これら一切のことは私の心の芯奥に触れていませんでした。また、地域もカトリック世帯がほとんどでしたが、私たちは学校においても家庭においても信仰について何かを互いに語り合ったりすることはほとんどなく、私にとってカトリシズムというのは、行なうなにかではあっても、実際に信じ、それを生きる実体ではありませんでした。

 

そのため大学進学後、「自分には何かが欠けている」という魂の欠乏感を覚えるようになっていき、自然に教会から足が遠のいていきました。

 

東洋宗教、瞑想の世界へ

 

大学では、ユニタリアン主義に触れたり、その観点からの聖書史などを学びましたが、次第に私は東洋諸宗教の世界に惹かれていくようになりました。東洋諸宗教の瞑想や哲学は、「関係性」を求める私の魂の飢え渇きに答えを提供してくれているように思われたのです。

 

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ヨガナンダのセルフ・リアライゼーション(出典

 

瞑想やヨガの世界は、曖昧ではっきりしない観念で溢れており、「神はあなたの内にいる。」「神はあなたの中に宿っている。」といった教えは私にとってとても魅力的なものに映りました。

 

また当時、私は瞑想・ヨガの世界で「神」を求めていると思っていたのですが、実際には、それは自己凝視でした。そしてこの自己凝視の世界が行き着く終点は「私が神である」ということに対する「悟り」であり、自分は自分以外のなにをも必要としていないということに対する「気づき」です。

 

そしてこの惑わしは創世記のエデンの園での出来事にまで溯ることができます。自分も含め多くの人々がこの世界の虜になっていった(いる)理由は、瞑想・ヨガの哲学が、エデンの園での出来事(=人間の罪と堕落、蛇の惑わし)の周りを精巧かつ魅惑的なコーティングで覆い、そこから「神」を、「関係性」を、「人生の意味」を求めることができるという風に人々に思い込ませているからではないかと思います。*1

 

米国におけるニューエイジ・スピリチュアリティーのメッカは何といってもカリフォルニアですので、私はカリフォルニア州にある大学院を選び、そこでカウンセリングとコミュニティー・メンタルヘルスを学ぶ一方、瞑想関係のものを探求していました。

 

「私は誰なのだろう?」「私はなぜ存在しているのだろう?」必死に答えを探していました。ある日、友人が「インドからグルが来て教えを説いてくださる」と誘ってくれ、私はアシュラム・センターに足を運び、それをきっかけに、本格的にインド瞑想・ヨガの世界に入っていくようになりました。

 

そしてアシュラム・センターで私は将来の夫となる男性に出会いました。彼もまた聖公会信者の家庭で生まれ育ったものの内側に渇きを感じ、求道者としてインド瞑想を実践していました。私たちは結婚し、その後、また東海岸に戻りました。二人の子が授けられ、私たちは引き続きアシュラムで瞑想を続けながら、八年間に渡り、そういった生活を続けていました。

 

内的幻の中にイエスが現れる

 

そんなある日、センターで瞑想していた私に突如としてイエスが内的に現れたのです。神は全能、遍在の御方であり、私たち一人一人の状態を完全に把握しておられ、その人が現在いる「場所」にまで降りてきてくださり、ご自身を啓示してくださる愛なる御方です。

 

そのセッションが終わった後、私は夫に言いました。「私、内的幻の中にイエスを見たの。」すると驚くことに彼がこう言ったのです。「ああ、そうか。やっぱり。実はね、僕もここ最近、瞑想センターにいることが苦しくなってきていたんだ。」神は、驚くべき仕方で、私たち夫婦の心の内にほぼ同時に働きかけてくださっていたのです。

 

そしてその日を境に、私の目を覆っていたものが一つ一つ剥がされていき、私の中の暗闇に光が射し込み始めたのです。突如として私は創作詞の中でイエスのことを書き始めました。そして、無教派(non-denominational)クリスチャンたちの著述を読むようになりました。

 

無教派クリスチャンになる

 

無教派クリスチャンの人々は私が求めていた「関係性」のことに多く言及していました。こうして私たち夫婦は、東洋諸宗教、瞑想・ヨガの世界から徐々に離れ、無教派キリスト教に接近していきました。

 

イエス・キリストとの個人的関係の大切さ、祈り、感情的高揚ーー。今振り返ってみますと、神は御霊を通し、私たちにそういった諸過程を踏ませることにより、それぞれの段階で私たちが学ばなければならないことを学ぶことができるよう、介助してくださっていたのだと思います。

 

メシアニック・ジュダイズムの集会へ

 

ある日、私たちは無教派のある集会に参加していたのですが、分かち合いの場で私は、自分の祖父がユダヤ人であることを話しました。するとその場にいた一人の方が、「ああ、それなら、あなたは一度、メシアニック・ジュダイズムの集会を訪問なさるといいと思いますよ」と助言してくださいました。

 

そこで私たちはニューヨークのオーバーンにあるメシアニック集会に行ってみたのですが、それは、無教派キリスト教にまさるものを提供してくれているように思え、私たちはそれ以後、この集会に通うようになりました。

 

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メシアニック・ジュダイズム(出典

 

イエスとの個人的関係に関しては無教派から大いに恩恵を受けていたものの、信仰のルーツという点において無教派キリスト教は根無し草であるように思われました。そんな中で出会ったメシアニック・ジュダイズムは、私の家族の歴史に直接関わっているだけでなく、イェシュア(=イエス)がユダヤ人であったという事実にも深く触れており、「ここは本当にすばらしい」と思ったのです。

 

私たちは絶え間なく真理を求め、動いていました。どこに行っても完全には満たされず、魂が飢え渇いていたので、私たちは各地を転々としていましたが、各段階の要素には、それ以前よりも多くの光が与えられており、こうして私たちは求道の旅を続けていました。

 

時折、近所のカトリック教会からうちのメシアニック・ジュダイズム集会に来客がありました。そこの神父および何人かの信徒たちはキリスト教のユダヤ的ルーツに関心を持っており、それゆえ、私たちの集会の牧師夫妻とも親交を持っていたのです。

 

夫と私はその時点で8年間、集会の忠実なメンバーとなっており、「執事」として奉仕していました。しかしカトリック信者たちとの接触を通し、私の中でまた魂のざわめきが起され、それは源流を求めて止むことがありませんでした。

 

またその頃、夫は、私たちの集会の中に説明責任(accountability)がないことに頭を悩ませ始めていました。(例、金銭の使われ方、諸決定の下され方など。)夫がその事を牧師に打ち明けると、牧師は、「新約時代、使徒パウロも、使徒ペテロもそれぞれが御霊に示され決定を下していた」という旨のことをおっしゃいましたが、集会の中に「役員会」的な機関がないというのはやはり問題ではないだろうかと主人は納得がいっていない風でした。

 

神父に内密に打ち明ける

 

ある日、神父が集会にみえた際に、(自分でも驚いたのですが)、私は彼の元に駆け寄り、誰にも聞かれないように神父の耳もとで小さく囁いたのです。

 

「神父様。おそらくですが、、私、カトリック教会に帰還しなければならないように感じているんです。」(もし私の言った内容を集会の人々が聞きつけていたなら、彼らはすぐさま、私の上に手を置き邪念追い出しの祈りをしていたことでしょう!)

 

すると神父もまた小さな声で囁き返しました。「スコット・ハーンの書いた『子羊の晩餐』を読むことをあなたにお勧めします。*2

 

そこで私は早速、その本を購入し読み始めました。そしてその中に書かれてある内容に圧倒されました。またこの時期、夫も私と並行する形で、サクラメントを求め始めていました。

 

ペサハのセーデルが始まる頃までに私の葛藤はますます大きくなっていきました。そこでついに私は親しい間柄である牧師の奥さんに自分の心境を打ち明けることにしました。彼女もまた私と同じようにカトリック家庭で生まれ育ち、その後、ユダヤ教に改宗し、そこから(ユダヤ人の夫と共に)メシアニック・ジュダイズムに移った経緯を持っていました。

 

「神様は私を再びカトリック教会に呼び戻しておられるような気がするんです。」私は言いました。すると、牧師の妻は答えました。

「ケイティー。神があなたをカトリック教会に呼び戻すことは絶対にあり得ない。なぜなら神は、人を、『死んだ教会』に呼び戻すようなことは絶対になさらないから。」

 

それまで私は霊的な次元における戦いというのを余り経験したことがありませんでしたが、旅路の最終段階に入り、悪魔はさまざまな方法で猛烈に私たちを阻止しようと立ち働いてきました。

 

「東洋宗教」から「無教派キリスト教」に移った際、それから「無教派」から「メシアニック・ジュダイズム集会」に移った際、私たちの決断に対する反対はほとんどありませんでした。それがどうでしょう。「カトリック教会」に帰還しようとするや、ものすごい力でのpush backが始まったのです。

 

「カトリシズム」と「メシアニック・ジュダイズム」

 

また、「カトリシズム」と「メシアニック・ジュダイズム」に関し、私の中にはまだ未解決の問題が幾つかありました。そこで私は、ヘブライ人カトリック協会(Association of Hebrew Catholics)に連絡を取ることに決意しました。

 

そして協会のデイビッド・モス氏に電話すると開口一番、彼に言いました。「ケイティー・ウィングと申します。私たち夫婦は現在、~~の状況にあり葛藤しています。モス氏、あなたはなぜメシアニック・ジューではなく、カトリック教徒なのですか?」

 

するとモス氏からの回答があったのですが、私は彼の次の言葉を一生忘れることができません。彼は言いました。「メシアニック・ジュダイズムは、宗教改革の傘下に分類されます。そしてこれもまた数ある無教派の一つです。確かにメシアニック・ジュダイズムも信仰におけるユダヤ的ルーツを受容している点で美しさがありますが、依然としてそれは宗教改革の枠内における無教派グループであるに過ぎないのです。」*3

 

「モス氏、一度、お会いして直接お話を伺ってもよろしいでしょうか?」そこで私たち夫婦はモス氏に会いに行き、なんとその年のぺサハ・セーデルをユダヤ人カトリック教徒のモス氏と共に祝ったのです。本当に彼を通し、私たちは、「カトリシズム」と「メシアニック・ジュイズム」との間のリンクおよび相違点を理解することができるようになりました。

 

また私は、当時カトリック・アンサーズの弁証サイトで奉仕していたモス氏の妹ロザリンド(現:マザー・ミリアム)にも電話し、相談に乗っていただきました。彼女は私に言いました。「とことんユダヤ人であることを追及したいのですか?それならカトリック教徒になりなさい。」*4

 

ゆるしの秘跡

 

こうして私たちはマサチューセッツにあるカトリック教会(Shrine of the Divine Mercy)に行き、神父と話し合いを始めました。しかし私はまだゆるしの秘跡を受けていませんでした。

 

考えてみてください。最後の告解をしてから実に30年という年月が経っていたのです!霊的離反だけでなく、私は堕胎等、その他の罪も犯していました。ですから、30年間溜まりにたまった罪を告白した暁には、私はきっと教会から破門宣告を受けるのではないかと思いました。

 

しかしついに告解に行き、私は教会を離れてから今日に至るまでの人生を語りました。途中で号泣して言葉が出ない時もありましたが、なんとか30年分の告解を終えました。

 

ポーランド人の聴解神父は長い長い告解を聞き終えると一言、「これは、、、奇跡です。」とおっしゃいました。まさしくそれはルカ15章の放蕩息子のような帰郷でした。そしてすべてが神の恵みの内にありました。

 

おわりにーー驚くべき神の恵みと赦しの中で

 

その後、神は驚くべき恵みにより私の心の目を開いてくださいました。それまで全く見えなかったのに、今や、目の前で繰り広げられているミサの中に、私はぺサハのセーデル、シャバット、、それら全ての成就を見い出し始めたのです*5*6。さらにミサにおいては、ユーカリストの中にキリストの現存があります。*7

 

この旅路全体を通し、私は神がご慈愛と赦しにあふれた方であることを知りました。そしてずっと切望していた「関係性」がカトリック教会の中でイエス・キリストを通し豊満に満たされることを知るに至りました。感謝します。

 

ー終わりー

*1:訳注:

それから、セラフィン・ローズ正教修道士は『Orthodoxy and the Religion of Future』の中で、ヨガ、禅、超越的瞑想(TM)、マハラージ、ハーレ・クリシュナ、カリスマ運動等を検証しつつ、キリスト教界を席巻している現代リベラル・カトリック/プロテスタント霊性の本質とそれが向かっている危険な方向について鋭い洞察をしています。回心前、彼自身、東洋諸宗教、超越瞑想、ヒンドゥー教、ヨガに深く関与していただけに、彼の警告は今後ますます重要性を帯びていくようになると思います。

 

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Seraphim Rose. 1934年米国サンディエゴ生まれ。14歳の時メソディスト教会で洗礼を受ける。その後、キリスト教を棄教し、無神論者になる。ポモナ大学で中国哲学を専攻、56年に最優秀で卒業。61年、カリフォルニア大バークレー校にて「老子思想における空(くう)および満」を研究。卒業後、さらに仏教およびその他のアジア諸哲学の研究に打ち込む。

アラン・ワッツのアジア研究米国アカデミーに在籍中、フランスの形而上学者ルネ・ゲノンの著作に触れ、また中国の道教学者Gi-ming Shienに感化され、古典中国語での初期道教文献の読解に集中するようになる。

研究を深めていく過程でローズは次第に自らの霊的伝統であるキリスト教を再発見していくようになる。1962年、ロシア正教会に受け入れられる。68年、ローズと朋友ポドモシェンスキーは共に修道士になり荒野に隠遁。アラスカの聖ヘルマン修道院コミュニティーが誕生した。その後終生にわたり、小屋の中で隠遁士として修道生活を送りつつ、人々を助けた。

*2:訳注:The Lamb's Supper by Dr. Scott Hahn

*3:訳注:

*4:訳注:

*5:訳注:ヘブル人カトリック教徒であるロイ・シューマン師はこの点に関し次のように述べておられます。「旧契約と新契約の間の関係を理解するには、ユダヤ教が《メシア以前のカトリシズム》であり、カトリック教会が《メシア以後のユダヤ教》である点を押さえることが重要だと思います。両者は同一のものですが、それと同時に両者は、人として『神が受肉された』という世界史上における中心的出来事が起こった結果としてもたらされた神と人との間の関係性の変化によって分かたれています。そして両者間にみられるあらゆる相違点、あらゆる類似点は、この事実から生じてきています。」出典

*6:関連記事:私にローマを指し示した一人のラビ.

*7:訳注:

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Brant Pitre. コロラド州デンバーにあるアウグスティヌス神学院教授。ノートル・ダム大(Ph.D)。新約学および古代ユダヤ教が専門。主著Jesus, the Tribulation, and the End of the Exile (Baker Academic, 2005),Jesus and the Jewish Roots of the Eucharist (Image Books, 2011), Jesus the Bridegroom (Image Books, 2014), Jesus and the Last Supper (Eerdmans, 2015) 等。