巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

アンチノミアニズム(無律法主義)①-6つの類型

Antinomianism (Japanese) | Grace Valley Christian Centerより一部引用

執筆者:P・G・マシュー師

 

「Concise Theology」(『聖書教理がわかる94章』篠原明訳)という本の中で J. I.パッカーは、アンチノミアニズム異端をいくつかのタイプに分類している。

 

第1のタイプは、「二元論的なアンチノミアニズム」である。これはギリシャ哲学の、人は体をもちそして魂を持つ、しかし体は物質でできており悪である、という二元説に基づいた教えで、「救いは魂の救いであって、体の復活は存在しない。なぜならば、体は悪だからである。従って、あなたが体でなにをしてもかまわない、思う存分罪をおかしても問題はない。罪を犯せ!魂が救われていることには影響しない。」と言う。

 

第2のタイプとして、J. I.パッカーは、「魂中心アンチノミアニズム」というものを挙げている。それは次のように教える。「聖書の教えが大事なのではない。私は霊的な人間で、聖霊に満たされている。だから、聖書の律法を凌駕している。聖霊に導かれており、聖霊は聖書の言葉を支配しておられる。聖霊は時として聖書と矛盾することもある。私は霊的なキリスト者で、聖霊によって導かれている。私は聖霊が言われることに従えば良いので、聖書の言葉に悩まされることはない。」

 

Iコリント5章で言われているように、コリント教会は、霊的な賜物に恵まれた教会であったので、自らを誇り高い存在であるように誤解し、結果として間違った道を歩んでいた者がいたのである。そもそも聖霊は聖書の著者であり、聖霊が我々を真理に導く。だから、聖霊の働きは決して聖書と矛盾しない。事実、聖書を理解しそれに従うように力を与えられるのが聖霊である。従って、我々が真に霊的であれば、神の律法に従うはずである。律法をないがしろにすることはない。

 

第3のタイプは、リベラル、即ち「自由主義的アンチノミアニズム」である。リベラルは、「聖書が神の言葉である」ことを否定する。絶対的なものは存在せず、従って神も存在しないという、世間一般に信じられている、相対論的価値観に生きている。何にも動かされない神の律法というものはない、と聖書を否定し、心の赴くままに生きるというのが、自由主義的アンチノミアニズムである。

 

第4のタイプとして、「状況しだいのアンチノミアニズム」というのがある。それは、あなたの心の奥底に愛の動機があるならば、神の律法をなおざりにしてもかまわない、と教える。たとえば、「わたしは、他人の妻を愛している。だから、『姦淫してはならない』とか『他人の妻をほしがってはならない』といった律法は、この際なおざりにしてもかまわない。そうだ姦淫にはあたらないのだ。」と言う。この様な間違った考えは、聖書が教えている愛を倒錯している。真の愛は聖霊の力によって神の律法を守る

 

第5のタイプは、「キリスト中心アンチノミアニズム」である。これは、信じる者一人ひとりは其々キリストと一体となっていて、キリストの中に存在している、と教える。神の内におられるキリスト、その中に信じる者の命が宿っているので、神が個々人を見られる時、それは律法を完全に守り通されたキリストを見ておられ、私たち個々人の罪を見ておられない。従って、信じる者が神の律法を破っても、神様は依然、清いキリストを見ておられるのだから、何の問題も起こらない、と教える。なんともナンセンスな教えである。

 

第6のタイプ、それは「現代的アンチノミアニズム」。「イエスは救い主アンチノミアニズム」とも言う。救われる為には、イエスを救い主として受け入れなければならない、と教えるが、あなたの人生の主、即ちリーダーとする必要はない、と説く。救われた後は、イエス・キリストに従う必要がなく、信仰をもってイエス・キリストを救い主として受け入れたなら、それで万事は良い、と教えるのである。

 

これは間違いで、聖書が言っていることではない。「もし口で『イエスが主である』と告白し、心で神がイエスを死から蘇らせたと信じるなら、あなたは救われる」(ローマ10:9)とたしかに書いてある。だが、神の前で真実に罪を悔い改めるならば、「そむいたことを赦してください。すべての主であるイエス・キリストに従います」と言うはずである。この「イエスは救い主アンチノミアニズム」は、アメリカ人には魅力的らしい。事実このナンセンスを信じている人は教会に群がっている。「倫理的な律法を守る必要はキリスト者には一切ない」と彼等は教える。

 

聖書が、そして主なる神が、これら全てのアンチノミアニズムを罪に定めている。Iコリント6:9-11で、アンチノミアニズムを行っている者に対し、神は次のように言っておられる。

 

「正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通するもの、男娼、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。」

 

これが聖書の言っていることである。さらに聖書は、黙示録の21:8で、「しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。これが第二の死である。」と言っている。

 

聖書はアンチノミアニズムを罪に定めている。使徒もそれを罪に定めている。イエス・キリストもそれを罪に定めている。アンチノミアニズムは異端宗教であって追放されるべきものである。我々は信仰によってのみ恵みの救いを受ける。そして、我々に内在される聖霊の力づけによって神の律法を守ることができる。この倫理的律法を守るということは、キリスト者が信仰によって恵みの救いを受けていることの証拠となるのである。

 

あなたが、アンチノミアニズムの誤りに陥ることなく、聖書の真の教えを信じるよう、祈ります。アーメン。