- キャサリーン・タララスさんの証(聖キャサリーン教会 教区民)
- おすすめのヴェール・ショップ(海外篇)
- 礼拝中にヴェールがずれ落ちてこないようにするにはどうすればいい?
- 解決策その① ピンでとめる。/ あご下でゆるく結ぶ。
- 解決策その② ヴェール着用者専用のヘッドバンドを購入する。
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Seraphim Hamilton, Rethinking Romanides, Apologia Pro Ortho Doxa(拙訳)
私は、イオアンネス・ロマニデスは正教神学に非常にネガティブな影響を及ぼしていると考えています。(少なくとも一般信徒レベルにおいて)。善意の人々がこれらの諸思想を吸収し、「正教徒であるということの意味」をそこから定義するようになっています。そして後になり、それが誤りであったことに気づいた彼らは茫然自失となり、こうして彼らの世界観は粉々に壊されてしまいます。
Seraphim Hamilton, Why Orthodoxy? 4. Orthodox theology is beautiful and useful.(拙訳)
〔アンチ・カトリックではないにも拘らず〕依然としてなぜ私がローマ・カトリックでないのか、をここで説明できるように思います。聖書、教会史および哲学的神学を学ぶ中で、私は、フィリオクェ条項への正教反論論証がとてつもなくパワフルであることを発見しました。ウーシア(essence)、ペルソナ(person)、エネルゲイア(energies)という三重の区別という教義を肯定してはじめて、御子の御霊に対する永遠の関係を理解することができるということが分かったのです。
彼がなにかを叫んでいる。一生懸命なにかを訴えかけている。
彼は伝統を尊守しようとしている。ある人は彼のことを現代のアタナシオスと呼び、別のある人は、彼のことを分離主義者、ファンダメンタリストと呼ぶ。
なぜ彼はその〈場所〉にいるのだろう。何が彼をしてその孤独の行に耐えさせしめているのだろう。それは的外れからくる誤った忠誠なのだろうか。ああ、もしかしたら、もしかしたら、、悲劇にもそうなのだろうか。そんな事があってよいのだろうか。それにしても、彼はなんと澄んだ清い眼をしていることだろう。なんという一途な献身だろう。
己の人生すべてをひっさけ、彼はなにかを叫んでいる。彼に友はいない。一人もいない。彼の相棒は荒野だ。洞穴だ。山野だ。そこに独り坐し、欣求する。そこにはなにか言い得ぬ感動と凄みがある。単純に正誤では言い表しがたい人の真実があり、神の熱心がある。
彼の人生に最善あらんことを。
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Fr. John Whiteford, Allegorical Interepretations of Scripture?, Orthodox Christianity, 2015(拙訳)
最近、当該サイトにおいて、私たちはジョン・A・ペック神父「聖書における四通りの意味(The Four Senses of Scripture)」という記事を掲載しました。本記事においては、ジョン・ホワイトフォード神父が、その中でも特に、――さまざまな西方キリスト教諸伝統に属している多くの現代クリスチャンによってしばし拒絶されていますが――新約聖書および教父的伝統において用いられているこのアレゴリカル(寓意的、寓喩的)解釈における意味について言及しています。
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1 わたしは夜、床の上で、わが魂の愛する者をたずねた。わたしは彼をたずねたが、見つからなかった。わたしは彼を呼んだが、答がなかった。
2 「わたしは今起きて、町をまわり歩き、街路や広場で、わが魂の愛する者をたずねよう」と、彼をたずねたが、見つからなかった。
3 町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので、「あなたがたは、わが魂の愛する者を見ましたか」と尋ねた。
4 わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへや にはいった。
5 エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すこと も、さますこともしないように。雅歌3章1-5節
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