巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ああ、翼にのり、深遠な御言葉の高みに昇ることができたならーー「主の祈り」の黙想(ニュッサの聖グレゴリウス、4世紀)

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聖ソフィア大聖堂のイコン(出典

 

Πάτερ ἡμῶν ὁ ἐν τοῖς οὐρανοῖς· ἁγιασθήτω τὸ ὄνομά σου· ἐλθέτω ἡ βασιλεία σου· γενηθήτω τὸ θέλημά σου, ὡς ἐν οὐρανῷ καὶ ἐπὶ τῆς γῆς·(マタイの福音書6章9-10節)

 

主は弟子たちに言われました。「だから、こう祈りなさい。『天にいます我らの父よ。』また、ダビデは詩篇55:6で、『ああ、私に鳩のように翼があったなら。』と言いました。ああ、私もダビデと同じような告白をします!

 

だれが私にそのような翼を与えてくれるのでしょうか。それが与えられるなら、わが思いは、翼にのり、こういった深遠な〔主の祈りの〕御言葉の高みに昇ることができましょう。そうすれば、私はこの地を後にし、天空を駈け廻り、夜空の星々とその美しい秩序を目の当たりにするでしょう。

 

しかし、その思いはここで止まりません。それどころかそれはさらに進み、やがて、それは、流動し、たえず移り変わる一切のものに対し「よそ者」となる時点にまで進みます。

 

ですから、まず私の思いは、絶え間なく流転し変化する一切のものから分離(detached)され、おだやかな霊的静けさの内に休息し、そういったものの内に導かれる必要があります。

 

そうすれば、永久(とこしえ)に変わらない不変のお方である主に似せられた者として変えられていくでしょう。そうして後、わが魂は、いとも親しみ深きこの名をもって、この方にお呼びかけします。「御父よ!」と。

 

ニュッサの聖グレゴリウス(335-394)

 

 

(主の祈り、教会スラブ語)

 

天にましますわれらの父よ、

願わくは御名の尊まれんことを、

御国の来たらんことを、

御旨の天に行わるる如く

地にも行われんことを。

われらの日用の糧を

今日われらに与え給え。

われらが人に赦す如く、

われらの罪を赦し給え。

われらを試みに引き給わざれ、

われらを悪より救い給え。

アーメン。