現代宗教建築にみる反サクラメンタリズムーー世俗性の空虚なる直解主義(literalism)
神の聖所だろうか、それともレクチャー・ホールだろうか?ーーエホバの証人、王国会館(出典)
目次
反サクラメンタリズム(by ステファン・フリーマン神父)
「幾つかのクリスチャン・グループの中に見られる、反サクラメンタリズム(そして非サクラメンタリズム)は、意図せずして、あらゆる現代誤謬の中でも最も有害かつ致命的なものです。
それは教理における些細な相違点のように取り扱われがちですが、その実、それは、世俗性の空虚なる直解主義(literalism)へと世界を崩壊させるものです。
現代世界の直解主義(ソレがソレであることがソレである世界)においては、全ては見えているもの以上の何物でもありません。それゆえ、霊的リアリティー、神秘などは、どこか他の場所ーー通常、神や信仰者の精神内ーーにおいて言及されなければなりません。こうしてキリスト教は一つのイデオロギー、一つの空想になり、それは宗教信仰を二階建て宇宙に変形させていきます。」
ーーステファン・フリーマン神父
写真でみる現代宗教建築
St. Bartholom'us Church(出典)
San Giovanni Church(出典)
Suvela Chapel, ヘルシンキ、フィンランド(出典)
Donau City Catholic Church, ウィーン、オーストリア(出典)
Church of Our Lady of The Needs, ポルトガル(出典)
Church of Our Lady of The Needs, ポルトガル(出典)
Kamppi Chapel of Silence, ヘルシンキ、フィンランド(出典)
Kamppi Chapel of Silence, ヘルシンキ、フィンランド(出典)
Kamppi Chapel of Silence, ヘルシンキ、フィンランド(出典)
Church of Saint-Jacques de la Lande(出典)
The Wotruba Church, ウィーン(出典)
Revelation Church Assemblies of God, フロリダ(出典)
Fraterinidad Christian de Guatemala, Evangelical church, グアテマラ(出典)
ドイツ、ケルン市にある教会(出典)
St. Trinitatis Church(出典)
フリーメーソン、ロッジ(出典)
フリーメーソン、オーランドロッジ69(出典)
国際連合、瞑想ルーム(出典)
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教会建築と美(by ブライアン・ホールズウォース)
Brian Holdsworth, Make Church Architecture Great Again, 2017(拙訳)
キリスト教神学の中で、神は、真、善、美として表現されています。神は美そのものであられます。ですから、仮にあなたがクリスチャンで、「美というのは所詮、全く見る人の眼によるのだ。;《美は見る人の目の中にある》」と言っているのなら、その時あなたは、美というものがあなたの〈外〉に存在するという事を否定していることになります。
もし美があなたや私次第(contingent)のなにかであるとしたら、神もそのような存在だということになり、従って、神は私たち自身の創作物に成り下がります。しかし聖書はそのような事は言っていません。ですから、神が美であるなら、私たちが美と出会う時、神と出会うのです。
日曜日、礼拝のために集う私たちは、神との親密さにおいて成長していきたいと願っています。それゆえ、そういった経験に関する全てーー教会音楽、説教、共同体、環境ーーは、真、善、美における神をより深く体験することができるよう、私たちを介助すべくデザインされている必要があります。教会建築もまた、神の美しさを反映するものとならなければなりません。それにより、ご自身を私たちに啓示する一つの方法として神がそれをお用いになることができるからです。
キリスト教はサクラメント的霊性です。つまり、それは物理的、霊的その両方におけるリアリティーの全体性を包含しているということです。サクラメント的霊性は、多くの異教ないしはグノーシス主義的諸体系とは異なり、物理的・肉体的なものを拒絶していません。神は物質を創造され、それを贖うべく物質内において受肉までされたのです。そしてそれと同じ受肉を通し、神は現在も恩寵の管として物質に生気を与えておられます。
そしてこういった理解は、私たちが教会をデザイン・建築する方法にも表れていてしかるべきでしょう。キリスト教史の大部分において歴代のクリスチャンたちはそれを理解していました。教会はキリスト者である芸術家やデザイナーたちをその働きに任命し、彼らは作品を通し神の美が世界に伝達されるべく自らを聖霊の良き管として捧げました。こうして彼ら芸術家たちは世界史に不朽の名をとどめる数々の優麗壮大なる聖堂を造り出したのでした。
しかしながら遺憾でならないことに、私たちはそのサクラメント的理解を破棄し、新しいデザイン哲学を受容するに至りました。そう、モダニズムです。
モダニズムにはかなり虚無主義的底意があります。ニヒリズムは、宗教を含めた、文明の旧き諸伝統を捨てようとする欲求により突き動かされている運動です。それは高度に脱構築主義的であり、彼らは、キリスト教的現実理解の上に築かれた西洋文明という古く‟時代遅れ”な枠組みを脱構築しようと躍起になっています。《美は見る人の目の中にある》といったフレーズも実にここより由来してきているのです。
こうして芸術は、混乱し相対主義的で、且つ、自己満足的なもの、功利主義的なものへと変容を遂げていくことになります。現代美術に一つのスローガンがあるとしたら、「それはアートである。なぜなら私がそれをアートだと言っているからだ。」という風になるでしょう。ここには、「自分たちこそが美の所有者(master)であり、それゆえ何が美であるのかは自分たちで定義するのである」という思想が横たわっています。
ー終わりー