巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

蜜の流れる博士(Doctor mellifluus)ーークレルヴォーの聖ベルナルドゥスの信仰と中世シトー会詠唱

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス1090-1153)出典

 

目次

 

中世後期のシトー会詠唱 O odoriferum lilium(♪おお甘美なユリ)

クレルヴォーの聖ベルナルドゥスの日に(朝課)

 

 

O odoriferum lilium, spargens ubique uivificum suavitatis odorem cuius apud nos memoria in benedictione est, apud superos praesentia in honore, da canentibus te tantae plenitudinis participio on privari.

Cuius apud nos memoria in benedictione est, apud superos praesentia in honore.

 

クレルヴォーの聖ベルナルドゥス(by 教皇ベネディクト十六世)

 

今日はクレルヴォーの聖ベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis 1090-1153年)についてお話ししたいと思います。クレルヴォーの聖ベルナルドゥスは「最後の教父」と呼ばれます。なぜなら、彼は12世紀に、教父たちの偉大な神学をあらためて刷新し、提示したからです。

 

ここでわたしはベルナルドゥスの豊かな教えの二つの中心的な側面を考察したいと思います。すなわち、イエス・キリストとその母である至聖なるマリアです。

 

ベルナルドゥスは、キリスト信者をイエス・キリストにおける神の愛に深く生き生きとしたしかたであずからせようとする熱意をもって、神学の学問的な意味での新たな方向づけを示しはしませんでした。

 

しかしこのクレルヴォーの修道院長は、きわめてはっきりとしたしかたで、観想的かつ神秘的な神学者の姿を示しました。当時の複雑な弁証論的な推論に対してベルナルドゥスはいいます。イエスだけが「口で味わう蜜、耳にする歌、心の喜び(mel in ore, in aure melos, in corde iubilum)」です。

 

まさにこのことばから伝統的に彼に帰された「蜜の流れる博士(Doctor mellifluus)」という称号が生まれました。実際、彼のイエス・キリストへの賛美は「蜜のように流れた」のです。

 

当時流行した哲学の学派である、唯名論と実在論が延々と争う中で、クレルヴォーの修道院長ベルナルドゥスはうむことなく、誇るべき唯一の名であるナザレのイエスの名を繰り返して述べました。ベルナルドゥスは告白していいます。

 

「この油が注がれていないなら、魂の食物はすべて干からび、この塩でもって味付けられないなら、味がなくなる。あなたが何かを書いても、そこにイエスの名を読まないなら、わたしには少しも味わいがない」。

 

結論として彼はいいます。「あなたが何を論じたり考えを述べても、イエスの名が響いていないとしたら、わたしには少しも味わいがない」*1

 

実際、ベルナルドゥスにとって神を真に知るとは、イエス・キリストとその愛を深く個人的に体験することでした。親愛なる兄弟姉妹の皆様。これはすべてのキリスト信者にいえることです。

 

信仰とは、何よりもまず、イエスとの深く個人的な出会いです。そして、イエスの近さ、友愛、愛を体験することです。そのようにして初めて人はイエスをますます深く知り、愛し、彼に従うことができるようになるのです。わたしたち皆がそうできるようになりますように。

 

Saint Bernard devant la Vierge à lâenfant, Juan Carreño de Miranda, 1668 - Ta Miséricorde a, pour des malheureux, une saveur plus douce⦠Bernard de Clairvaux, Docteur de l'Eglise

出典

 

さらに、有名な『聖母の被昇天の八日間中の主日の説教*2』の中で、聖なる修道院長ベルナルドゥスは、マリアが御子のあがないをもたらすいけにえに深くあずかったことについて、情熱的なことばで述べます。彼は叫んでいいます。

 

「ああ聖なる母よ。まことに剣はあなたの心を刺し貫きました。・・・・激しい痛みがあなたの心を刺し貫きました。それでわたしたちは正しい理由をもってあなたを殉教者以上のかただと呼ぶことができます。あなたは殉教者が肉体で苦しむよりもはるかに深く御子の受難にあずかったからです」*3

 

ベルナルドゥスは、わたしたちが「マリアを通してイエスへと(per Mariam ad Iesum)」導かれることを疑いませんでした。彼は伝統的なマリア論の原則に従って、マリアがイエスに従属することをはっきりとあかしします。

 

しかし、『説教』は、おとめマリアが救いの営みの中で特別な位置を占めることも述べています。聖母は御子のいけにえにきわめて独自のしかたであずかる(compassio)からです。

 

ベルナルドゥスの死から150年後、ダンテ・アリギエリ(Dante Alighieri 1265-1321年)が『神曲』(La Divina Commedia)の最終歌で「蜜の流れる博士」の口にマリアへの最高の祈りを語らせているのは偶然ではありません。

 

「処女(おとめ)にして母、おん子の娘、いかなる被造物にもまして低められ、高められたる者、永遠の勧めのゆるぎなき目的(まと)」*4

 

聖ベルナルドゥスのようにイエスとマリアに心をとらえられた者の特徴をなす、こうした考察は、現代においても、神学者だけでなくすべての信者にも有益です。

 

人は時として、神と人間と世界に関する問いを理性の力だけで解決できるかのように思い上がることがあります。しかし、聖書と教父にしっかりと基盤を置く聖ベルナルドゥスは、わたしたちに思い起こさせてくれます。神への深い信仰をもたず、祈りと観想と主との深い関係によって養われていなければ、神の神秘についてのわたしたちの考察は空しく知性を働かせるだけで、信頼性を失う恐れがあるということを。

 

神学は「聖人の知」に帰らなければなりません。「聖人の知」とは、生きた神の神秘についての洞察であり、知恵であり、聖霊のたまものです。これこそが神学的考察の基準となります。

 

わたしたちもクレルヴォーのベルナルドゥスとともに認めなければなりません。「議論によるよりも祈りによるほうが」神をよりよく探求し、容易に見いだすことができるということを。

 

結局のところ、神学者、そしてあらゆる福音宣教者の真の模範は使徒ヨハネであり続けます。使徒ヨハネは、師であるかたの胸に頭をもたせかけていたからです。

 

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イエスと使徒ヨハネ(出典)〔ヨハネ13:23〕

 

聖ベルナルドゥスに関するこの考察を、彼のすばらしい説教に書かれたマリアへの祈りをもって終わりたいと思います。ベルナルドゥスはいいます。

 

「危難と、不安と、悩みのときに、マリアのことを思い、マリアを呼び求めなさい。マリアがあなたの口からも心からも離れることがないように。そして、マリアの祈りの助けを得られるように、マリアの生涯の模範を忘れてはなりません。マリアの模範に従うなら、道に迷うことはありません。マリアに願い求めるなら、希望を失うことはありません。

 マリアのことを思うなら、誤りに陥ることはありません。マリアに支えられるなら、つまずくことはありません。マリアに守っていただくなら、決して恐れることはありません。マリアに導いていただくなら、疲れることはありません。マリアに守っていただくなら、あなたは目的地に着くことでしょう」*5

 

教皇ベネディクト十六世の197回目の一般謁見演説 クレルヴォーの聖ベルナルドゥスより一部抜粋(引用元

 

*1:『雅歌講話』:Sermones super Cantica Canticorum XV, 6, PL 183, 847〔金子晴勇訳、『キリスト教神秘主義著作集2 ベルナール』教文館、2005年、146頁〕

*2:Sermo in Dominica infra octavam assumptionis Beatae Virginis Mariae

*3:『聖母の被昇天の八日間中の主日の説教』:Sermo in Dominica infra octavam assumptionis Beatae Virginis Mariae 14, PL 183, 437-438

*4:『神曲』天国篇第33歌1行以下〔寿岳文章訳、集英社、1987年、295頁〕

*5:『「天使ガブリエルは・・・・遣わされた」(ルカ1章26-27節)についての説教』:Homilia II super 《missus est》 17, PL 183, 70-71