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- はじめに
- 新約聖書における第二正典言及について
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「進歩の理論はあらゆる人間的世代、あらゆる人間的人格、あらゆる歴史的時期を、終極の目標に対する一個の手段、一個の道具に変えてしまう。。進歩の宗教は死の宗教であって、復活の宗教でない。永遠の生のために生きとし生けるものを復活させる宗教でない。。
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『女神 聖と性の人類学』(女神研究序論)の中で田中雅一教授は現代における女神崇拝について次のように概説しています。
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薄暗い礼拝堂は、聖なる静寂で満ちていました。街の喧騒を後にし、私たちはマリア様のイコンの前にたたずみます。1世紀、2世紀、5世紀、7世紀、10世紀、13世紀、15世紀、17世紀、19世紀、20世紀、、ああ、これまでどれだけ多くの女性たちがマリア様に執り成しを願い、彼女の謙遜、美徳、やさしさ、貞操、純潔、慎み、信仰に倣おうと額づいたことでしょう。
祈りと言う時、私が意味しているのは口から発せられることばだけでなく、心の芯奥から湧き出てくるものをも指しています。深く根を張った樹々が嵐に害されたり根こそぎにされたりしないように、心の奥底という深い根から汲み出される祈りというものもまた、全き確信とともに天へと昇ってゆき、それらはいかなる思念によっても打ち負かされることはありません。それゆえに詩篇はこう言っているのです。「主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めます。」(詩篇130篇1節)
ー聖ヨハネ・クリュソストモス(4世紀)On the Incomprehensibility of God, Sermon 5.(拙訳)
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