巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

〈ローマ〉について(by G・K・チェスタートン)&「ロシアと普遍教会」(by ウラジミール・ソロヴィヨフ)

目次

 

 〈ローマ〉について(G・K・チェスタートン)

Image result for chesterton conservatives and progressives

G.K. Chesterton (1874-1936)

 

宗教が〈ローマ〉との紐帯を失うやいなや、それはーーその本質そのものにおいて、そしてそれが造られたところの要素それ自体においてーー即座に、内的に、頭のてっぺんから足の先まで変貌を遂げる。

 

それは本質において変化を遂げる。必ずしも、形態や容貌や外観においてそれは変化していないかもしれない。以前と変わりなく同じ事がらを執り行っているのかもしれない。だが、もはやそれは同じではあり得ない。同じような事を言い続けることは今後もできるだろう。だが、それらを言明していたかつての言明とはもはや同じではなくなっている。

 

ヘンリー8世は、ーー彼がカトリックでないという一点を除きーーその他あらゆる点においてカトリックであった。

 

f:id:Kinuko:20181023162604p:plain

ヘンリー8世

 

彼はロザリオからキャンドルに至るまで、微に入り細をうがって全てを遵守した。定義から演繹的に引き出されるあらゆる事がらを彼は受諾した。とどのつまり、彼は全てを受け入れていたのである。ーーローマという一点を除いて。

 

そしてその拒絶の瞬間、彼の宗教は違う宗教に変貌した。異なる種類の宗教、異なる種類の事物へと変化を遂げた。その瞬間、それは変化を始めたのである。そしてその変化は今に至るまで止むことがない。

 

現代教会人の何人かがそういった継続的変化のことを『前進』と呼んでいることを、われわれは皆、物憂げに知っている。ーーウジ虫がうようよしている死体にいよよ増し加わる生命力があり、あるいは、少しずつ水たまりになりつつある雪だるまが、己の付着物から自らを清めているのだとでも言っているかのように。

 

G.K. Chesterton, The Surrender on Sex: From December 1, 1934(抄訳)

 

ロシアと普遍教会ーーロシア民衆の「真の正教」及び、アンチ・カトリック神学者たちによる「疑似正教」について(by ウラジミール・ソロヴィヨフ)

 

f:id:Kinuko:20181020235950p:plain

ウラジミール・ソロヴィヨフ(Владимир Сергеевич Соловьёв;1853-1900)。ロシア正教が生み出した19世紀最大の神学者、哲学者の一人。その思想はフョードル・ドストエフスキー、ニコライ・ベルジャーエフ、セルゲイ・ブルガーコフ、パーヴェル・フロレンスキー、ニコライ・ロースキー、セムヨン・フランク、アレクサンドル・コジェーヴなどに影響を与え、その文学理論はヴァチェスラフ・イヴァーノフ、ブローク、アンドレイ・ベールイなどのロシア象徴主義の詩人たちに影響を与えた。スイスの神学者ハンス・フォン・バルタサル(1905-1988)は、ソロヴィヨフを「聖トマス・アクィナスに次ぐ存在」と高く評している。

 

 

Vladimir Soloviev, Russia and the Universal Church, Part 1. The State of Religion in Russia and the Christian East, chap. III. The true Orthodoxy of the Russian people and the pseudo-Orthodoxy of the anti-Catholic theologians.(初版1889年、拙訳)

 

ロシア人特有の宗教的性格及びわれわれの哲学、文学、美術の中に示されている神秘主義的傾向は、ロシアの持つ大いなる宗教的使命を顕していると言っていいだろう。

 

さらに、われわれの‟愛国者たち”がわが国の至高使命もしくはロシア的‟思想”とは何ぞやと問い詰められるならば、彼らはそれらを宗教に訴えざるを得ない。

 

彼ら愛国者たちによると、ーー西洋の宗教機関とは対照的にーー正教(ないしはギリシャ・ロシア教会の宗教)はわれわれの国家的存在の真の基盤を成しているのだという。さて、ここにおいてすでに、明らかなる悪循環が始まっている。

 

「分離した東方教会は自らの存在をいかにして正当化しているのか?」という問いに対し、彼らは次のように答える。「ロシアの人民を形成し、その霊的滋養物を提供することによってである。」

 

さらに、「では、そういった人民たちは自らの存在をいかにして正当化しているのか?」と尋ねると、次のような答えが返ってくる。「分離した東方教会に属することによってである。」

 

こうしてわれわれは、自分たちがモノポリー(独占)を主張しているところの、この ‟正教” なるものの真の意味を捉えるに当たっての困難性により、袋小路に追いつめられている。

 

この困難性は、良心および心の単純さにあって心底正教徒である人々の内には存在しない。自分たちの宗教に関し知的に訊かれるなら、彼らは次のように答えるだろう。

 

「正教徒であるというのは、バプテスマを受け、十字架像を首にさげ、聖像を胸元につけ、キリストを礼拝し、聖母マリアおよびイコンや聖遺物の中に描写されているあらゆる聖人たちに祈り、祝祭日を守り、伝統的慣習に倣い断食し、主教や司教を敬い、聖サクラメントや聖体礼儀に参加することである。」

 

これがロシアの民の真の正教であり、われわれにとっての正教でもある。しかし戦闘的愛国者にとってはそうではない。真の正教は、個別主義者/排他主義者の類を一切含まず、ーーわれわれを西洋の人々から分離させるところのーー国家的ないしは地域的特質を形成するようなこともあり得ない。

 

なぜなら、こういった西洋の人々(カトリックの民)の大部分は、まさしくわれわれと同じ宗教的基盤を有しているからである。なんであれわれわれにとって聖く崇高なものは、彼らにとってもまた同じく聖く崇高なのである。

 

一つの肝要点を挙げよう。(一般にロシア正教でも実践されている)聖母マリアへの崇敬がカトリシズムの特徴の一つであるばかりでなく、ローマ・カトリック教徒、ロシア正教徒双方によって共通に崇敬されている特別な(奇蹟を行なう)イコンもまた存在している。(例:ポーランドのチェンストホーヴァにある聖母マリアイコン画)。

 

もしも実際、‟敬虔さ”がわれわれの国家的特質なのだとしたら、その敬虔の核心がわれわれにも西洋の人々にも共通であるという事実は、否が応でもわれわれをして、(自分たちが最も肝要だと考える点において)われわれが、彼ら西洋人と一つであるということを是認せしめるだろう。

 

東方世界の観照的敬虔さと、西方世界の活動的信心との間の深遠なるコントラストについてだが、この純粋に人間的にして主観的なものは、われわれの信仰および礼拝の神的諸目的とは一切関係がなく、それらの違いでもって分裂(schism)を正当化するなどというのはもっての他である。むしろ、こういった対比は、キリスト教世界の偉大なる二翼を、より親密にして、たがいに相補的なる結合へと向かわせるのである。

 

しかしながら、この地上において絶え間なく働く悪の原則からの影響下、そういった両者の相違は、さんざんに悪用され歪曲された上で分裂を生み出している。

 

ロシアがコンスタンティノープルから洗礼を受けた時、フォティオスの一次的分裂以後、その時点ではまだ公式的コミュニオン関係にあった)ギリシャ人たちはすでに国家的個別主義にどっぷり浸かっていた。そしてそれは聖職者たちの論争好きの精神、皇帝たちの政治的野心、神学者たちの論争に培養されていた。

 

その結果、ロシアの民衆が、聖ウラジミールという人格(パーソン)の内に買い取った福音という真珠は、ビザンティウムの埃で一面覆われてしまった。

 

国民の大部分は聖職者の野心や憎悪などに利害関係をもたず、(彼ら聖職者たちが生み出す実であるところの)神学的屁理屈の類についても理解していなかった。そして国民の大半は、正教キリスト教の本質ーーつまり、信仰および、神的恩寵により形成され、敬虔と愛の行ないの内に表現される宗教生活ーーを純粋に単純に受け入れ、それを保持してきた。

 

しかし、初期よりギリシャ人の中から採用されてきた聖職者、そして神学者たちは、真の宗教の統合的一部として、フォティオス*およびキルラリオス*による悲惨な遺産を受け入れたのである。

 

神学学派におけるこうしたまがい物の正教(pseudo-Orthodoxy)は、普遍教会の信仰やロシアの民衆の敬虔さとは縁もゆかりもなく、何ら積極的要素を包含していない。そしてそれは、論議を呼ぶ偏見によって造り出され、維持されたきた恣意的否認によって構成されているに過ぎない。

 

「御子なる神は聖霊の発出に関する神的秩序に寄与していない。」

「乙女マリアは、存在の初めの瞬間から無原罪であったわけではない。」

「管轄権の首位性はローマの座に属しておらず、教皇は普遍教会の牧者および博士としての教義的権威を所持していない。」

 

こういったものが主要な否認事項であるが、これらに関しては後に詳述することにしたい。差し当たっては、こういった否認事項がこれまでいかなる種類の宗教的批准も受けておらず、また、拘束力あり無謬なものとして正教界全体によって許可されたいかなる教会的権威にも依拠しているわけでないという点に触れて置くだけで十分であろう。

 

こういった論争家たちによってアナテマ宣言されたカトリックの諸教理を糾弾(ないしは批判)した全地公会議は存在せず、また、こういった新種の否定的神学が、普遍教会の真の教理として提供される時、私たちがそこに見るのは、無知もしくは悪質の信仰に由来する、突飛なぺてんに過ぎないのである。

 

二番目に、こういった虚偽の正教は、‟ロシア的思想”のための積極的基盤としての真の正教と同じく適切ではない。さあ、真の諸価値を、‟正教”と呼ばれるこういった見知らぬ分量で置き換えようではないか。そこではまがい物の愛国的報道機関が常に人工的熱狂主義を煽り立てているのだ。

 

あなたの見解によれば、ロシアの理想的本質は正教であり、ーーそしてあなたがとりわけカトリシズムと対比させているところのーーその正教は、二つの信仰告白という相違だということになっている。

 

そしてわれわれ及び西洋人たちに共通の、真の宗教的基盤は、あなたにとっては二次的関心でしかない。つまり、われわれの間に存在する相違ーーこれこそがあなたが真に固着している部分なのである。

 

よろしい。それなら、こういった特定の諸相違を、‟正教”という漠然とした用語で置き換え、「ロシアの宗教的理想は、フィリオクエ、無原罪の御宿り、ならびに教皇の権威を否定することにある」と公に宣言したまえ。

 

上記の内容の内、最後の一点(=教皇の権威)があなたの主要な懸念事項である。あなたもよく知っているように、残りの二つは名目上のものに過ぎない。主権的主教というのがあなたにとっての真の悩みの種である。

 

あなたの‟正教”全体、‟ロシア的思想”の全体は、根本において、教皇の持つ普遍的権威に対する国家的プロテストなのだ。しかしそれは何の名によって、だろう?ここから、あなたの立場の真の困難が始まるのである。

 

教会のモナルキーに対するこういった苦々しい抗議はーーそれが人々の心や思いに届かんとするならばーー幾つかの偉大なる肯定的原則によって正当化されなければならない

 

あなたは神政政治の形態に対峙し、何か別の、より良い形態に比してそれに反対している。そしてまさにそれこそ、あなたができないでいることなのだ。あなたは、いかなる種類の教会的政体を西洋の人々に授与しようと思っているのだろうか。公会議政治を称揚し、彼らに全地公会議のことを話すつもりだろうか。医者よ、汝自身を癒せ(Medice, cura teipsum)。

 

なぜ東方は、トレント公会議やヴァチカン公会議に抗して真の全地公会議を立ち上げなかったのだろう。誤謬の厳粛なる自己主張に直面する中でなぜわれわれは真理の側に立ち声を挙げず、無力な沈黙の内にあったのだろう。この沈黙についていかに弁明すればよいのだろうか。一体いつ頃から正教の守護者たちは、塀の背後からしか吠えようとしない卑劣な臆病犬になってしまったのだろうか。

 

事実、カトリシズムの教えや生活の中において教会の大きな諸会議が重要な位置を占め続けていたのに対し、東方キリスト教においては千年以上に渡り、普遍教会のこの重要な様相がはく奪され、モスクワのフィラレート(1782-1867)のごとき最良の神学者たち自身、「東方教会が西方から分離し続けている限り、全地公会議は不可能である」ということを認めているのである。

 

モスクワのフィラレート府主教(Василий Михайлович Дроздов; 1782 -1867)

 

しかしながら、われらの自称する正教が、ーー開催不可能な〔架空の〕公会議と比較しつつーーカトリック教会の実際の公会議に対峙し、自らの大義を、喪失した武器およびはく奪された旗の下に維持していこうとするのは、いとも容易なことである。

 

教皇制というのは肯定的原則であり、実際的制度である。そして仮に東方キリスト者たちがこの原則を虚偽とし、この制度を悪だとみなすなら、その時彼らは、自らが教会の内に見たいと望む組織を造らなければならない。

 

しかしながら彼らはそうする代わりに、好古趣味な伝統に言及するのだ。ーーそれらが現行の状況に何ら今日性を持ち得ないということを彼ら自身認めながら。

 

われわれのアンチ・カトリック主義者たちは実際、それらの主張の根拠を求め、はるか遠くまでいくもっともな理由を持っている。事実、彼らは、「聖ペテルブルグのシノドやコンスタンティノープルの総主教職が普遍教会における真の代表者である」と宣言することによって自らを全世界の嘲りの的にさらすような真似はさすがにしない。

 

しかし全地公会議がもはや実行不可能であることを認めざる得ない状況において、今さら彼らはいかにしてそれらに訴えることができるのだろう。そういった無駄な努力は、アンチ・カトリック的正教の持つ虚弱性を否が応にも露呈しているのである。

 

もしも普遍教会の正規組織や妥当な政体が全地公会議を要求するのなら、ーー教会生活におけるこの不可欠なる機関を致命的にはく奪された状態にあるーー東方正教が、もはや真の教会政体もしくは正規の教会政治体を有していないことは明らかである。

 

キリスト教の初期3世紀の間、殉教者の血で固められた教会は、世界規模の公会議を召集しなかった。なぜなら当時の教会にはその必要がなかったからである。それに対し、麻痺し分割された状態にある今日の東方教会は、ーー教会がぜひとも公会議を必要としていると感じているにもかかわらず、それを召集することができない。

 

それゆえに、われわれはジレンマに陥っている。つまり、

①極端なセクト主義者たちと共に、「ある時期以降、教会はその神的性格を喪失し、もはや実際にはこの地上に存在していない」と認めなければならないか、もしくは、

②かくまで危険な結論を回避すべく、統治機関や東方での代表を持たない普遍教会は、それらを〔教会の〕西側半分の領域に所持しているということを認めなければならない、

という二択をわれわれは迫られているのである。

 

これには歴史的真理に対する認識が含まれるが、現在においてはプロテスタント信者たちでさえも、次の点を認めているのである。つまり、今日の教皇制というのは、恣意的横領ではなく、諸原則の合法的発展であり、それらの諸原則は教会大シスマ以前に有効だったのであり、また教会もそれらに対し決してプロテストしていなかったという点である。

 

しかし仮に教皇制が合法的制度として認められるのだとしたら、その時、‟ロシア的思想”や国家的正教の特権は一体どうなるのだろう。

 

ー終わりー

 

ロシアと普遍教会ーーコンスタンティノープルやエルサレムに《疑似教皇制》を設立しようとする試みについて(by ウラジミール・ソロヴィヨフ)

 

Vladimir Soloviev, Russia and the Universal Church, Part 1. The State of Religion in Russia and the Christian East, chap. X. The design to establish a quasi-Papacy at Constantinople or Jerusalem(初版1889年、拙訳)

 

「何が何でも普遍教会の中心地は東方世界に置かれるべきである」という彼の先入的決心が示しているのは、ーーキリスト者の一致を確立するよりは分裂(schisim)を生じさせるような種類のーー局地的エゴイズムおよび人種的憎悪心である。

 

むしろ、そういった偏見を一旦脇に置き、本来の一致が見い出されるべき場所にそれを探そうとするのが筋ではないだろうか。仮にそういった中心をどこにも見い出せなかったとしても、それを勝手にでっち上げようとするのは無論子供じみた行為である。

 

ひとたび、「教会の標準的生活にとって、そういった中心がどうしても必要だ」ということが認識されるのなら、教会の神的かしらであり創立者である神が、われわれの持つこの必要性を見通しておられなかったとか、神はご自身の御働きに不可欠な基礎を、偶発的諸状況や人間の気まぐれのなすがままに放置されたとかいうのは考えられない。

 

仮に、「一致のための国際的中心なしには教会というのは自由に行為し得ない」ということを諸事実が強いてわれわれに認めさせるのであれば、われわれはまた、「東方キリスト教界はここ千年余に渡り、この必須器官をはく奪された状態にあり、それゆえに単独では普遍教会を構成することができない」ということを率直に認めるべきである。

 

もちろん、これだけの長い歳月の間には、普遍教会は己の一致をどこか別の場所において顕現させていたはずである。東方のどこかに普遍教会のための中央統治体を見い出そう、あるいは東方版〈対抗教皇〉を打ち立てようという試みのハイブリッド的観念に実際性が伴っていないことは、その唱道者たちが次の問いに対し、(仮にそれを単なる理論的計画ないしは敬虔なる願望として捉えたにしても)互に同意することができていない事実からも十分に顕示されている。

 

その問いとはこれである。「東方教会のどこ(どの高位職)に、こういった不確かなるタスクが委譲されるべきなのだろうか?」

 

ある人々はコンスタンティノープルの総主教庁を支持し、別の人々はエルサレムの主教座を「あらゆる諸教会の母」として、より好んでいる。

 

こういった感傷的ユートピア構想を公平に評価せんとするなら、彼らがそう主張しているのは、それらの本質的重要性ゆえではなく(それは全く零〔ゼロ〕である。)、ただ単にある種の高名な著述家たちに対する敬意に起因しているのである。これらの著述家たちは、諸教会の再統合という真の理想を、自分たちの想像上の諸観念で置き換えようと必死である。

 

一致の中心が神的主権によっては存在していないのだとするならば、(たとい自分たちのことを‟完全なる有機体”として自認していたにしても)とにかく今日の教会はーー18世紀余にわたる生命の後にーー自らのために、自分の存在それ自体が依って頼むところの一致の中心を造り出さなければならない。

 

この状態は、脳以外の部分はすべて完備している人間の体が、自身のために中枢的器官を製造しなければならないと気負っている様に譬えることができるだろう。しかしながら、われらの反対者たちは、この種のセオリーの荒唐無稽さに気づいていない様なので、われわれは彼らの構想をもう少し掘り下げる必要があるだろう。

 

管轄権の首位性を牧者の一人に授与するに当たり、教会は、①教会的伝統によって裏付けられている宗教史の諸事実によってか、あるいは②純粋に政治的な諸考慮により、その選択をしていくだろう。

 

自らの国家的野心に宗教的是認というお墨付きを与えるべく、ビザンティウムのギリシャ人たちは「われらの教会は使徒アンデレによって建立された」と主張した。そして彼らは使徒アンデレに「最初に呼ばれし者(protokletos ; first-called)」という称号を授けた。

 

この使徒とコンスタンティノープルとの間の伝説的コネクションは、(たといそれが十分なる根拠を持って設立されていたにしても*1.)この帝国都市にいかなる教会的大権をも授与することもできない。なぜなら、聖書も聖伝も、聖アンデレには使徒的集団の中における首位性を何ら帰していないからである。

 

使徒アンデレは彼自身が有していない特権を、彼の教会に委譲することはできなかった。そしてカルケドン公会議(451年)の席で、東方におけるコンスタンティノープル司教座の首位性および、普遍教会において「古いローマ」の主教に次ぐ第二の位置を帰したいと望んでいたギリシャ主教たちは、聖アンデレに訴えることを慎重に避けつつ、自らの提案をひたすら帝国都市の政治的卓越性(βασιλευουσα πόλις)に訴えた

 

究極的にビザンティウムの諸主張における唯一の論拠となったこの議論は、実際、それらの主張を正当化するものにはなり得なかったし、今後もそうである。 *2

 

仮に‟統治都市”の卓越性が、そのまま教会的首位性につながるのだとしたら、もはやその卓越性を享受していないローマという古代都市はとうの昔に、教会のおける自らの指導的位置を放棄していたはずである。

 

しかし、ビザンティン総主教という条件的且つ部分的首位性を賜わってくださるようと、ギリシャ主教たちがへりくだった懇願をしたのは、他ならぬ教皇自身に対してであった。そしてこういったローマの立場に関し、これまで異議を差し挟もうとした者はなかった。

 

今日の状況に関して言うと、仮に、コンスタンティノープルに正教皇帝がおらず、聖ペテルブルグにも総主教がいない状況の中で、正教皇帝の宮廷にて任命されたあの総主教に首位性が帰属しているのだとしたら、一体何がなされるべきなのだろう。

 

あるいは、この困難が仮に克服されたと仮定しよう。そしてコンスタンティノープルは再び正教世界及び(ロシア人であれ、ギリシャ人であれ、グレコ・ロシア人であれとにかく)東方皇帝の宮廷が所在する統治都市になったとしよう。だが、そうであったにしても、教会にとってそれは、ただ単なる第二帝国における皇帝教皇主義(カエサロパピスム)への回帰であるに過ぎない

 

帝国の総主教の首位性はく奪というのは、東方世界における教会の自由及び権威にとって致命的であったというのは事実としてわれわれが知っているところである。カエサロパピスムをコンスタンティノープルに移転させることにより、聖ペテルブルグでの皇帝教皇主義を逃れた(と思っている)人々は、結局、‟小難を逃れ大難に陥った”に過ぎない。

 

一方、旧約聖書における国家的神政政治の中心地であったエルサレムであるが、この都市は、キリストの普遍教会における至高性を何ら主張していない。伝統が伝えるところによれば、聖ヤコブがエルサレムの最初の主教であった。しかし聖ヤコブは(聖アンデレと同様)使徒的教会においていかなる種類の首位性も有しておらず、それゆえ、自らの司教座になんら特別な特権を伝達し得なかった。

 

さらに、長い間、彼には後継者がいなかった。ウェスパシアヌスの軍団が接近する中、クリスチャンたちは責めを負ったこの都市を捨て、避難した。そして次の世紀には、この都市はその名称さえ失ったのである。

 

コンスタンティヌス帝の治世下におけるエルサレム回復作業の時期、聖ヤコブの司教座はパレスティナのカエサレアの首都大司教(府主教)の管轄権に従属していた。(それはちょうど、381年まで、ビザンティウムの主教が、トラキアのヘラクレア首都大司教(府主教)に従属していたのと同じである。)しかしその後においてさえ、エルサレムは長い間、名義上の主教座であったばかりで、ようやく独立した管轄権を取得した際にも、この都市はその他の主教座の中にあって最下位を占めていた。

 

今日、「諸教会の母」であるエルサレム司教座は、ファナリオティス部族主義*に従属しつつ、排他的な国家政策を追求する同人グループと化している。

 

仮にエルサレムが普遍教会におけるヒエラルキーの中心になるのだとしたら、その際には、汎ヘレニスト主義者たちの派閥が解体され、新しい秩序体制が無から造り出されなければならない。しかしそのような達成が可能性の範囲内にあったとしても、それは、ロシアによってのみ成し遂げられ、その際には、ギリシャ人と決定的断絶という代価が伴うはずである。

 

その後、ロシアが提供する出来合い〈独立的権威中心地〉としての普遍教会はどうなるのだろう。そこにはもはやグレコ・ロシア教会は存在しないだろう。そして実質上、新しいエルサレム司教座は、全ロシア人の司教座と化すだろう。

 

もちろん、ブルガリア人やセルビア人は教会の独立をそれ以上推し進めようとはしないだろうし、それゆえ、われわれは、公認指導者が国家の臣下及び僕(しもべ)でしかあり得ないーー、そのようなヒエラルキー制を持つ国民教会へと立ち返るべきなのだろうか。

 

このように、東方世界においては、普遍教会のための一致の中心を見い出したり、あるいは造り出したりすることは明らかに不可能である。そしてこの不可能性は、われわれをして、その中心をどこか別の場所に探すことを否が応にも強いるのである。

 

何よりまず我々は、現実の中で自分たちが一体何であるのかということを直視する必要があり、キリスト教圏という壮大なる御体の中にあって自分たちが有機的一部であると認識することが肝要である。そうした上で、自分たちに欠けている中枢的器官を所有している西洋の兄弟たちとの親密なる連帯(solidarity)を是認することが是非とも必要だ。

 

正義と慈愛におけるこういった倫理的行為は、それ自体において、われわれの側における非常に大きな一歩であり、それ以降のあらゆる前進の必須条件である。

 

ー終わりー

*1:It was the town of Patras which was hallowed by the martyrdom of St. Andrew and had the honor of originally possessing his relics.

*2:We shall have to consider later this first great instance of Byzantine Cæsaropapism; in any case it has nothing to do with the infallible authority of the dogmatic decrees formulated by the Council.