巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

恩寵の光ーーユダヤ人男性チャールズ・ライヒの信仰行程

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目次

 

Roy Schoeman, ed., Honey From the Rock: Sixteen Jews Find the Sweetness of Christ, Ignatius, 2007, p. 83-87, 94-95.(拙訳)

 

ハシディーム派の家庭に生まれる

 

1899年、私はハンガリーという美しい国に生まれました。母はハシディーム派(超正統派)ユダヤ人の家系出身であり、自分が出会った人間の中でも彼女ほど霊的な人はほとんど見い出すことができませんでした。

 

Welcoming the Shabbat III | Jewish Art Oil Painting

出典

 

母の父(私のとっての祖父)は、常に貧しい人を助け、宿代を払う余裕のない貧しいユダヤ人の旅びとたちのために無償でわが家を開放していたそうです。祖父はまた、ハシディーム的敬虔で有名でした。

 

一度母に、彼女の持ついとも美しき霊的資質はどこから来ているのかと訊いたことがありました。すると母は「聖い生き方をしていた父から。」と答えてくれました。私の父親は当時アメリカに住んでおり、人生の最初の10年間の内、父には一度しか会う機会がありませんでした。

 

母は、幼い私が、聖いユダヤ人の信仰者たちと共にいることができるよう努めて取り計らっていました。これらのユダヤ人は聖書および(各種ラビ的学派による)註解書の学びのために人生を捧げ切るべく独身を貫いていました。

 

Elena Flerova - Blessing on the Moon II | Jewish Art Oil Painting Gallery

出典

 

(最初の8年間)自分が住んでいた地域には公立学校がありませんでしたので、寺小屋のような感じで、個々のユダヤ人が私たちにイディッシュ語での読み書きを教えてくれました。そこで使われている教材は聖なるトーラーとして知られる旧約聖書の最初の五つの書でした。

 

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シナゴーグでの祈りの生活

 

毎日、私はシナゴーグでの夜明け前の祈りに参加しました。その時のことを思い出してみますと、シナゴーグに行くことは私にとって大いなる喜びであり、魂の安らぎ場でした。

 

また祈っている時、私は自分が超自然的な存在に取り囲まれているのを感じていました。子供時代、私には一人しか友だちがいなかったにも拘らず、この世界にあって私は一度も寂しさを感じたことがありませんでした。いつも霊的な存在を同伴者に感じており、どこにいてもその存在は私と共にありました。

 

こうして、他の男の子たちと遊ぶ代わりに、私は美しいハンガリーの森の中で何時間も一人で過ごしていました。

 

ニューヨークへ移る。信仰を失う。

 

〔編者注〕彼が10歳の時、チャールズの父は家族を米国に呼び寄せるだけの蓄えができ、こうして彼らはニューヨークに移り住みました。NYの世俗的環境、及び不可知論者であった教師の影響下に置かれるや、チャールズは子供時代の信仰を失い、無神論者になりました。しかし、哲学的、宗教的真理を求める激しい飢え渇きは彼の内にとどまり続けました。正規の教育を受ける経済的境遇に恵まれなかった彼は、20代にかけ、来る日も来る日も、公立図書館に通い、そこでひたすら哲学および宗教を学び続けました。

 

33歳になる頃までには、世界の古典といわれるものの大部分を私は読了していました。にも拘らず、自分の知的、霊的様相にはなにかが決定的に欠けている感がしてなりませんでした。私はキリスト教の古典でさえも読みました。(例:聖アウグスティヌス、聖トマス・アクィナス、シエナの聖カテリーナ、アヴィラの聖テレサ)。

 

またある時には、シェークスピアの書いたものを全て読もうと決心し、実際に完読しました。ヘンリー・ニューマン枢機卿のような偉大なる聖公会の著述家たちの説教集も読みました。

 

絶望

 

しかし、私の魂の中には言い知れぬ内的苦悶があり、自分の置かれているこの霊的・知的悲惨から脱出すべく私は次第に自殺を考えるようになりました。私の魂は何日も食にありつけず干乾びた人のようであり、キリスト教の真理に対する渇きがあったにも拘らず、それを得るすべを見い出すことができませんでした。

 

超自然的な信仰なしには私はもう生き続けていくことができないと思いました。でもそういった宗教的諸真理に到達する見込みはありませんでした。私は絶望しました。

 

ある日、私は手にロープを持ち、ブロンクス公園に向かいました。首吊りをする木を見つけ、ロープをかけようとした時、人が通りかかり、事を実行する勇気をくじかれました。また別の日に再度、自分の命を絶つ試みをしましたが、それも失敗しました。

 

教会の会堂

 

ある日、私はカトリック教会の横を通りかかりました。暑い日であり、疲れを覚えていたので、この教会堂の中で涼もうと思いました。しかしカトリック教徒でもなく、身なりもみすぼらしかったので、そんな自分が教会に入ると、人に迷惑がられるのではないかと恐れました。でも思い切って中に入ってみました。中には誰一人いませんでした。

 

私は自分の存在につかれ果てていました。余りにも疲れていたので、この際、キリスト教の会堂の中に入り、律法にあえて背く仕方で終わりを迎えたいと思いました。それと同時に、「生き続けたい。全き絶望の中で死に絶えたくない。これまで見い出すことのできなかったなにかに出会いたい。」という必死の思いが教会の中に自分を向かわしめたのかもしれません。

 

〔編者注〕誰もいないがらんとした教会堂の陰に腰を下ろし、彼はステンドグラスを見上げました。そこにはイエスが嵐を鎮める絵が描かれていました(ルカ8:22-25)。

 

私は呻きました。

 

〈ここに礼拝に来る人々が信じているものを同じ確信を持って自分も信じることができたらどんなにいいだろう。福音書に書かれている言葉がほんとうに真であり、キリストがほんとうに存在しており、それらの言葉が真に神ご自身の口、そして人間として主ご自身の唇から出されたものであり、それらが文字通り、真であると信じることができたらどんなにいいだろう。

 

 おお、これが事実であったら、これが事実だと信じることができるのなら、それはなんと栄光に満ち、すばらしいことであるだろう。そしてどんなに慰められ、幸せになることだろう。ーーキリストがほんとうに神的存在であり、彼が私たち皆を救うためにこの地上に来られた神ご自身の御子であると知ることができたら。余りにもすばらしすぎることのように思えるこれらの事が、惑わしや虚偽や嘘ではなく、実際に真実であるということがあり得るのだろうか。〉

 

恩寵の光

 

その瞬間、突如にしてなにかが私の脳裏を光で照らし、次のような言葉を聞きました。「然り、それは真である。キリストは神であり、肉の形でご自身を可視化された。福音書の言葉は真であり、文字通り、真である。」

 

覚えているのは、次の瞬間、私は床に跪き、熱烈なる祈禱と感謝を捧げていたことです。そしてそこから続くのは、言葉に言い表すことができず、この地上においてそのようなものが与えられると想像してもいなかった天からの恩寵の体験でした。そしてこの天的恩寵により、キリストの神性を信じることが可能とされました。

 

その日、神ご自身が私の救助のために来てくださり、御自身の口で、キリストが神であるということを私に語ってくださいました。この数分の間にあまりにも深遠なる霊的・知的変化が起されたため、それ以前の自己を認識することがもはや不可能になりました。言語を絶するこの経験の全貌は、地上での人生が終わった後にはじめて知られ得るでしょう。

 

それが何であったのかを口で表現することはできません。しかし、確かなのは、その日以来、自分の中で、主イエス・キリストの名がそれ以前には考えられないような仕方で重要性を帯びたものとなったということです。

 

「イエス・キリスト」という言葉の周りには、えも言われぬ香りが漂い、その甘美さは他のなににも譬えることができません。その言葉の音色は今日に至るまで言い尽くせぬ喜びで私を満たしており、その喜びはこの世に属するものではありません。

 

バプテスマと最初の聖体拝領以来わが魂を訪れたこの至福を私はこの世界にある何ものとも取り代えることができません。このような精神の静穏がこの地上において可能であるとは知りませんでした。

 

天のふるさとを待望しつつ

 

現在、私は87歳を超えました。ここから私たちはどこに行くのでしょう。荷造りはもう済んでいます。カトリック信者となった最初の日以来、私は地上の荷物をまとめました。

 

その日以来、私の心にあるのはただ一つのことです。ーーわが魂のふるさとである天から遠く離れている状態にあって、この地上で私は何をしているのだろうか?バプテスマにより、天の門が私のためにすでに開かれているのに、放蕩息子のようになぜ私は外に突っ立っているのでしょう。

 

魂の内に響き渡っている天よりの音楽を耳にしています。ああ、この音楽の出処に帰りたい。そこは全うされた魂のいる、天使的世界です。それら全てのことに思いを巡らせますと、栄光の状態の中で、わが魂の慕うイエスに到達し、その目標にいよいよ近づきつつあることを感じます。

 

なぜ今もこの地上に留置されているのだろうと思う時があります。しかしそこには神ご自身の理由があるのだろうということに気づかされます。ですから私はただ「みこころが成りますように」と言います。そうしますと、魂に平安が訪れます。

 

天の御国に入ることのできる恵みが与えられる「主の日」をひたすら待ち望みます。汝の御国が来ますように。「わが監獄より私を救い出してください。そうすれば私は汝の御名に感謝するでしょう。」(詩142:8)。

 

私もまた、mortalityという監獄から釈放され、聖パウロと共に「この世から解放され、キリストと共にいる」(ピリピ1:23)ことのできる日を切望しています。

 

〔編者注〕チャールズ・ライヒは1998年、99歳の時、ついに念願が叶い、キリストとの全き結合が許され、召天しました。キリストを信じた後、彼は召天の日まで、ニューヨークにあるイエズス会修道コミュニティーの中で、在家の観想修道士として祈りと黙想の日々を過ごし、同胞ユダヤ人の救いを祈りつつ、数多くの霊的書き物を遺しました。*1

 

ー終わりー