巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

私の辿ってきた道ーージェイソン・スチュワート師の信仰行程

目次

 

Deacon Jason Stewart, An OPC Pastor Enters the Catholic Church, 2012, Podcast Ep. 17 – Jason & Cindy Stewart Recount Their Conversion, 2012(抄訳)

 

正統長老教会(OPC)の牧師である自分に一体何が起こったのか

 

私は、保守的な福音主義教派の一つである正統長老教会(OPC;Orthodox Presbyterian Church)の牧師を務めていました。神学的に自分は、堅固な改革派であり、2005年に米国中部改革派神学校で神学修士号を取得しました。

 

その後、東部ペンシルベニア州にあるトリニティー正統長老教会の牧師として5年半牧会に専心しましたが、その間中、私はずっと古典的改革派信仰および実践に忠実にコミットしていました。

 

これからお分かち合いしますように、今の今に至るまで、私は改革派信仰に感謝しています。ですから、当然、みなさんは疑問に思われるはずです。「それではこの牧師に一体に何が起こったのだろう?何が彼の心を変化をもたらし、彼をカトリック信仰に向かわせたのだろう?」と。

 

最初のきっかけは、シカゴで共に正統長老教会に通っていた仲間であるマット・ヨンキーがカトリックに改宗したという知らせを受けたことにはじまります。初めにそのニュースを聞いた時、私は「マットは気が変になったのではないか」と思いました。これだけ豊かな霊的遺産を持つ改革派信仰を離れ、こともあろうにカトリックに改宗するという決断をした彼のことがどうにも理解できませんでした。

 

私は彼と親しい仲にありましたので、彼の霊的行く末を深く案じ、彼にメールを書きました。彼を誤謬から救出してやらねばならないと思ったからです。

 

「マット、どうしてカトリックなんかになる決意をしたんだ?」と訊くと、彼は、「実は、僕の友人がカトリックに改宗してしまって、それで僕は彼をカトリックの誤りから救い出そうと、カトリック教理検証に乗り出したんだ。そうしたところが、、、僕の方が逆にカトリックになってしまった」と打ち明けたのです。

 

ーーーーー

長老主義を離れ、カトリック信仰に向かうことにした私たち夫婦の決断もまた多くの人々を驚愕させました。実際、数年前もし誰かに「君たちは、いつの日かカトリック教徒になるだろう」と言われたとしたら、それこそ「まさか!そんな馬鹿な」とあきれ返っていたに違いありません。ですから、自分としてもこれは本当に驚きなのです。

 

しかし見晴らしの良い位置から過去を振り返ってみますと、そこにはカトリック教会とのフル・コミュニオンへと私たちを導いていった軌道の跡をたどることができるように思います。その軌道は、時の経過と共に自然に、そして気づかぬうちに進行しており、その中で

 

ー可視的教会の不可避性および役割に対する認識

ーキリスト教信仰のサクラメント的性質に関する理解

ー教会権威に内在する使徒的資質

ー教会の典礼および命の中における福音奉仕者のユニークな機能

ーキリスト教信仰の中における伝統の持つ避けがたい力学。

ーイエス・キリストの教会を特定するべくニケア信条で用いられている「唯一」および「普遍的」という形容詞の含意に対する認識等、

が与えられていきました。そしてそれら各信仰領域を、私たちは自分たちが改革派信者だった時の地点にまで辿ることができます。つまり、それらは時が満ち、私たちがカトリック信仰に関し真剣に考慮するようになるに当たっての備えの道となっていたのです。

 

以下、自分たちがなぜカトリック教会の諸主張に真剣に耳を傾ける気になったのか、その契機となった主要触媒的要素を書き出したいと思います。

 

.プロテスタント宗教改革の肯定的諸原則

.教父たちの文書

.教会権威の性質

 

1.プロテスタント宗教改革の肯定的諸原則

 

おそらく(私と同様)読者のみなさんも、「プロテスタント宗教改革は悲劇的必然であった」というような言い回しを聞いたことがあるのではないかと思います。つまり、宗教改革から生み出された諸結果はたしかに痛々しいものであった。しかしそれは起こるべくして起こった出来事であったということです。そしてこれが私の見解でした。

 

そして「宗教改革の『5つのソラ』という根本精神は、カトリック教会の教えとは調和し得ない」というのが私の理解でした。

 

さらに、この不調和というのが、プロテスタント宗教改革者たちをして、人造にして非聖書的諸伝統という軛からイエス・キリストの教会を解放すべく全力投球せしめたのであり、これにより、ほとんど崩壊しかけていた使徒的キリスト教が回復されたのだと私は考えていました。そして、カトリシズムという神学的工作により、教会の中で、神の栄光および救いに関する真の道が窒息させられていたのだと。

 

プロテスタントとカトリックを隔てている最も根本的諸相違に関し研究を進めていく中で、私は、ルイ・ブイエ(Louis Bouyer)の著書『プロテスタンティズムの精神および諸形態』という本に出会いました。ブイエは元々ルター派の牧師であり、前世紀の中盤にカトリシズムに改宗した人です。

 

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The Spirit and Forms of Protestantism by Louis Bouyer

 

それ以前にも、キリスト教典礼に関するブイエの優れた洞察を含んだ著述群に親しんではいましたが、カトリシズムに関する彼の議論にはほとんど注意を向けたことがありませんでした。しかし今、この本で取り扱われているテーマが私の関心を引きました。ブイエは言います。「宗教改革の諸原則がフルに開花するためには、カトリック教会が不可欠である」と。

 

言い換えますと、プロテスタンティズムがかくあらんと切望しているところのものに成るために、プロテスタンティズムはカトリシズムを必要としている、という事です。そしてもちろん、もしそれが本当なら、プロテスタント宗教改革は不必要であったということになります。それだけにとどまらず、「宗教改革はその発端からして不可能なものであった。なぜなら、宗教改革者たちは知らぬ間に、自らのビジョンを開花可能となさしめるところの唯一の源泉から己を切り離してしまっていたから」ということになるのです。

 

自分の改革派そして長老派的感覚では、こういった言明は不可解極まりないものでした。当時の私にとり、ブイエの言い分は、譬えて言えば、「末期疾患は、肉体の健康のフルな開花のために不可欠である。」もしくは「火は、酸素欠如の状態において最も良く燃焼する。」「植物の成長はそれを不毛で痩せた土地に植えることなしには不可能である。」と言っているような不可解さを持っていました。

 

つまり、どう考えても、ブイエの見解は自分にとっては荒唐無稽なものだったのです。そこで私は彼の主張の根拠を知ろうと、本を精読し始めました。

 

すると本当に思いがけず、著者の主張が骨格のしっかりしたものであることに気づいたのです。彼は宗教改革の肯定的諸原則を是認した上で、各々の原則が妥当に理解されるなら、カトリック信仰の中にその本来の《生家》を持っているということを示しています。

 

それに続いて彼は今度は、宗教改革教理の否定的諸側面(例:ソラ・スクリプトゥーラ)を取り上げ、「こういった否定的側面が時の経過と共にプロテスタンティズムの肯定的諸原則を弱体化させ、ついには『プロテスタント自由主義』として知られるリアリティーを生み出すことになった」と分析しています。

 

もちろん、一段落やそこらでブイエの説得力に満ちた論点を網羅することはできません。しかし今これを読んでおられる改革派の兄弟姉妹の中には、ブイエのような人たちの議論をただ単に荒唐無稽なものとして斥けたいという反射的反応をしている方がいるかもしれません。かくいう私も最初、そういう反応をしていました。

 

だからこそ尚更、この本を是非直接手に取り、本書の中で提示されている主題に真剣に向き合ってみてくださることをあなたにもお勧めしたいと思います。

 

ちなみにブイエは、「プロテスタント宗教改革の肯定的諸原則はカトリック教会にとってのアンチテーゼではなく、むしろそれは、教会の存在から、改革本来の力と生命力を汲み取るだろう」と説得力を持って論じています。

 

『プロテスタンティズムの精神および諸形態』の中で私が見い出した資料は、自分がそれまで一度も検討したことのなかった可能性を提示していました。

 

私は思ったのです。「もしも、自分の信奉する改革派信仰の美しさが、実は、ある原型的美しさの反射であるとしたら、どうなるのだろう?プロテスタントである自分はもしや、鏡におぼろげに映っているキリスト教信仰を見ているのだろうか。その可能性ははたしてあるのだろうか?」

 

その真相をどうしても突き止める必要がありました。

 

2.教父たちの文書

 

カトリシズムへの取り組みに際してのもう一つの主題は教父でした。カトリック教徒は、初代教会の指導者たちはカトリック教徒であったという主張をよくします。私は「よし、この際、彼らのこの主張を徹底検証しよう」と決意しました。

 

ですが内心、「いくらなんでもこれはすぐに反証できるだろう」と思っていました。というのも、宗教改革者たち自身、教父学の熱心な学徒だったわけであり、彼らもまた教父たちの文言を自由自在に引用しているではありませんか。

 

しかしここで一つ白状しなければならないことがあります。ーー実のところ、教父たちの実際の文書に関する私の精通度というのは限られたものでした。

 

フィリップ・シャフ編纂『教父全集』からランダムにざっと目を通したり、イグナティオスやアウグスティヌスの引用句を数箇所抜粋したり、後は、神学校の古代教理史の課目の一環で教父たちの引用句を読んだり・・・と、せいぜいこれが、私の知る古代キリスト教著述家たちでした。

 

教父たちは、私の信奉する改革派神学のボキャブラリーを共有していないことはすでに気づいていました。「しかしそういった事は充分あり得ることだ」と私は考えていました。「なにせ、正確な神学的諸形成を伴うプロテスタント宗教改革は、初代教父たちが執筆した時からかなりの世紀を経た後に起こったのだから。」

 

しかしその後、次のような考えが頭をよぎりました。「それにしてもやはり、、エイレナイオスや殉教者ユスティノスやアウグスティヌス等の言明が、自分たちの改革派諸信条やカテキズムとは同じような響きを持って聞こえてこない場合はどうなるのだろう?」

 

こうして私は、教父文書を実際に精読し始めました。そうしますと、「うーん、やはり、この違いは単なる表現や強調の相違といったもの以上に、もしかしたらなにかもっと根源的なものかもしれない」という予感がしてきました。

 

「カトリック側の主張が正しいということがあり得るのだろうか?」さらに読み進めていくにつれ、教父たちの実際上の神学的実質はやはり自分の信奉しているものとは異なっているのではないかという思いが強くなっていきました。

 

宗教改革の肯定的諸要素は、たしかに教父たちと食い違ってはいないようでした。しかし、精読する中で気づかされたのは、教父たちは宗教改革者たちとは異なった風に考えていたということでした。つまり、キリスト教信仰に対する彼ら教父たちのアプローチは別のルートを取っているのです。

 

溯ってみますと、彼らは、16世紀に宗教改革者たちによって燃え上がった神学的経路とはしっかりと連結しておらず、従って、教父たちは初期神学的経路を切り捨ててしまったかのように見えました。

 

「仮にある人が、初代教会文書からスタートした場合、その人は自然にプロテスタント宗教改革の特定街道を選び取るだろうか?」時の経過と共に、その答えは「否」であるようにますます思われてきました。というのも、宗教改革者たちは、教父文書の中で私が見い出している内容の多くを明確に拒絶しているからです。

 

頁の至るところに、司教たちが使徒の後継者となったこと、洗礼による再生、パンと葡萄酒の実体変化、悔悛の必要性、清められた煉獄の火、忠実な者にとって処女マリアが実際の母であること、亡くなった聖人たちの祈り、鍵を持つペテロ、ユーカリストが生きた人にとっても死んだ人にとっても犠牲であること等、、初期キリスト教時代に一般に信じられていた内容が表示されていました。

 

この時点である方々は、「それでもやはり、教父たちはカトリックではなかった」と反論されるかもしれません。そうしますと私の問いは、「それでは彼らは一体何だったのだろう?」となります。

 

彼らがプロテスタント宗教改革の特殊信仰を共有していないことは確かでした*1。それでも、注意深く厳選した教父引用句を、自分たちの教派解釈にフィットさせるべく配置することは可能ではあると思いますが、持続的読解をしていくと、そういった解釈を保持していくことはインポッシブルであることに気づかされます。

 

未だ半信半疑の方がおられましたら、その方々に私は一つの提案をしたいと思います。どうか教父文書を実際に手にお取りになって、ご自分の目で実際に読んでみてください。

 

ただ単に誰かの引いた引用句を読むのではなく、文脈の中でそれらを精読してみてください。できることなら、文書全体を読了してみてください。そして彼らが自ら用いている用語をいかに定義しているのか注目してください。

 

ええ、これは相当に時間を消耗する作業です。そしてこの作業には開かれた精神が必要とされます。しかしあなたが骨折り読解することにコミットするなら、初代教会に関するあなたの視点は永遠に変わり、豊かにされることでしょう。

 

3.教会権威の問題

 

長老派キリスト者として私は、イエスが個人的に12人を使徒職に任命し、福音宣教のために彼らを派遣したということを信じていました(マルコ3:13-19)。

 

そして使徒職を授与するに当たり、主は、使徒たちが忠実にご自身の言葉やわざを他の人々に伝達していくことができるよう、ご自身の神的権威でもってそれを授けました(マタイ28:18-20)。彼らの権威の性質は、例として以下に挙げる数多くのイエスの言明の中に表れています。

 

「あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである。」(ルカ10:16)

 

「イエスはまた彼らに言われた、『安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす。』そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう。』」(ヨハネ20:21-23)

 

「シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです。』すると、イエスは彼にむかって言われた、『バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう。』」(マタイ16:17-19)

 

「よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。」(マタイ18:18)

 

上に挙げたような聖書の立場は、明らかに今日数多くのクリスチャンが信じている内容と食い違っています。まず第一に、人には神的権威はありませんよね?そう教えられてきましたよね?しかし、上の箇所でイエスは、ーー使徒たちが受け入れられるか拒絶されるかにダイレクトに比例する形でーーご自身が受け入れられあるいは拒絶されるのだと言っておられます。

 

また罪を赦すことのできる人間はいませんよね?しかしここにおいてもイエスは彼らに罪を赦すご自身の権威を授けておられます。

 

さらに、ある人間の下す諸決定が信者たちに対し拘束力を持つということはないと私たちの多くは教えられてきていると思います。にもかかわらずイエスは使徒たちに対し、彼らの使徒的諸決定が神の聖意図を成し遂げ、信仰および実践において信者たちに拘束力を持つものであると言っておられます。

 

この神的に授与された権威を持ち、使徒たちはイエスの教会の指導者となるべく神によって召され、整えられました。彼らは、ご自分につき従う者たちの、識別可能にして組織された集会/コミュニティーを率いるべく主によって選別されました。

 

教会における彼ら使徒たちのユニークな役割という性質により、彼らはキリスト者であるべくキリストの使徒たちとコミュニオンの関係(使徒たちに従い、彼らの統治の下で礼拝し、彼らの教えを受ける等)にある必要がありました。(使徒2:42;1ヨハネ1:1-3)

 

信仰は生ける権威ーー使徒たちーーに従うことを含んでいます。これら使徒たちは自らをイエス・キリストおよびキリストの教えに従わせ、使徒たちから聞いた者は、自らを使徒たちおよび彼らの教えに従わせました。使徒たちおよび彼らの使信を受容しそれに従う事により、初期信者たちはキリストおよびキリストの使信を受容しそれに従っていました。

 

教会の中にとどまるべく、彼らは使徒たちの生ける教えの声を受け入れなければなりませんでした。なぜなら彼らだけがイエスの権威および使信の比類なき担い人であったからです。当時、個々人やグループは使徒たちによって率いられているこの教会を捨て、数ブロック先に自分たち自身の教会を建てることはできませんでした。そしてこれが、使徒的キリスト教の最初期における教会権威の本質でした。

 

こうしてカトリック問題に精力的に取り組んでいく過程で、私は新たなる関心を持って、教会権威の問題、およびそれが長老派信者としての現在の自分の経験とどう関連しているのかについて熟考し始めました。

 

教会権威の性質はどのようなものだったのだろう?それはどのような形で使徒たちと関連していたのだろう。それでは使徒たちの死後、何が起こったというのだろう。教会は突如、自らを導く生ける権威を失ってしまったのだろうか。今日の信仰者たちはもはや生ける教えの声に聞き従う必要はないのだろうか。

 

カトリック教会の視点でこれら基礎的諸問題を再訪し再検討することで今まで見えていなかったものが見えてきました。それ以前の時点における私の回答は、次のようなものでした。

 

ーー使徒たちは、自らの権威を、新約聖書という霊感された記録を通した文書の形で委ね、伝達した。救いおよびキリスト者生活に必要な全てのものは残存する彼らの書簡や文書の中に保存されている。それゆえ、使徒および彼らの教えに従うという事は、聖書およびその教えに従うことによって測られるのである。

 

たしかに、長老派信者として私は、教会には従うべき指導者たちがいるということを認識していました(ヘブル13:17)ーー牧師である自分もかくいう指導者の中の一人でしたーーが、そういった指導者たちに実際に従うか否かは、その人たち自身が新約聖書の中の使徒たちの声に従っているか否かにかかっていました。

 

あの真摯なベレヤ人たちのように、各信者は、聖書の御言葉によって、自分たちの指導者および彼らの教えを吟味・評価しなければならないのです。

 

ウェストミンスター信仰告白の言葉を用いるなら、「それによってすべての宗教論争が決裁され、すべての会議・古代の著者たちの意見・人々の教義・個人の精神が検討されなければならないところの、またその宣告にわたしたちがいこわなければならないところの至高の審判者は、聖書の中に語っておられる聖霊以外の何者でもありえない。*2」となります。そしてこれはソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)の原則として知られています。

 

「聖書のみ」の教理は自明の理ではないのか?

 

「聖書のみ」のこの教理を、ーー厳密なる検証に耐え得るかどうかと、神学的/哲学的/歴史的な観点でその性能を試すようなことはーー、自分にとって不快感をもよおさせる行為でした。

 

ソラ・スクリプトゥーラの原理が真であるというのは自分にとって常に疑いようのない自明の理であったからです。子供の時からずっとそれを信じてきました。しかし今、私は、その基盤の正当性を確証すべく、外側の視点から、自分にとって馴染みのあるこの教えを検証することになりました。

 

これまでとは異なる観点でこの教理を検証すると、たしかに「聖書のみ」にはある種の弱点があることを認めざるを得なくなりました。

 

第一に、聖書はソラ・スクリプトゥーラという原理を教えていません。たしかに聖書はキリスト者生活における比類なき指針の書ですが、聖書自身は、自らが教理、礼拝、教会政治における包括的源泉であるとは主張していません*3

 

二番目に、教父たちは、ソラ・スクリプトゥーラを教えていません。教父たちは、「聖書のみ」の立場に類似するようないかなる教えも推進しておらず、その反対に、使徒から受け継がれた伝統の必要性および権威を認めていました。*4

 

三番目に、「聖書を基盤とした」プロテスタンティズムのフラグメンテーション(断片化)が、ソラ・スクリプトゥーラの健全性に対し自己反証しています

 

皆、自分は聖書の御言葉に従っていると主張しています。そしてそうでありながら、皆、御言葉が実際に何を言っているかということの理解に関し、バラバラな結論に至っています。そういった多様性を前に、私たちは、誰が正しいのかを決定すべく、一体いかなる基準を用いるべきなのでしょうか。聖書でしょうか?*5

 

四番目ですが、信仰主張を評価する際に、個々のプロテスタント信者の個人裁定が最終的権威であるという事実は、ソラ・スクリプトゥーラの原理を弱体化させています

 

各人それぞれが、自分の聖書解釈とマッチする教会グループを選んでいます。仮にAさんの属するあるグループ内で意見の不一致が起こった際、Aさんがその後もそのグループ内にとどまり続けるかそれとも去るかはひとえに、Aさんの解釈が受容されるか拒絶されるかにかかっています。もしも拒絶されたなら、Aさんは、自分の聖書解釈に同意しているどこか新しい教会グループを探し、そこに移動して行きます。こうして、聖書が実際に何を教えているのかということに関し、個々人が、最終的裁定者としてとどまり続けています。*6

 

五番目に、使徒的諸書簡や文書が、どの書が新約聖書のカノンに含められるべきなのかに関し、神的に霊感された指示を与えていないという事実は、ソラ・スクリプトゥーラの原則を不可能なものにしています

 

聖書の内容そのものが不確かであるのなら、いかにして聖書が究極的権威であり得ましょう?カトリックは、「どの書が新約聖書に属しているのか」を規定する上で、神的に導かれた教会がそのプロセスに必須であったということを信じています。*7 

また、カトリック教会は、御言葉に書いてある通り、聖書ではなく、教会が真理の柱であり土台である(1テモテ3:15)と教示しています。そして、神的御企図により、教会が世紀を超え、福音の真理を守り、擁護してきたと教示しています。

 

使徒継承という教理が意味しているのは、使徒の後継者としての司教たちが、あらゆる種類の誤謬、歪曲、腐敗に対し、使徒的信仰教理を保持するべく、聖霊によってそれが可能とされているという事です。イエスは、教会の叙聖指導者たちを教え導くと約束されました(ヨハネ14:25;16:13)。

 

教会的権威というテーマについて研究していく中で、使徒継承というカトリック教理は、使徒時代に存在していた教会権威の聖書的描写と自然な関連性を持っているということが見えてきました。

 

教会は使徒たちの死後、生ける教導権威を喪失してしまったのではありませんでした。なぜなら、使徒たちは司教職として彼らが後継していくべく資格ある人々を任命したからです。彼らは継承により、ーー使徒的信仰内実の維持および宣布においてきわめて肝要な使徒的権威を全的に共有しています。

 

聖書および教会史もまたカトリック教会のこの重要な教えを裏付けているということがさらに自分の中で明らかになってきました。つまり、イエスは、ーー教会付きの聖書をくださったのはではなくーー聖書付きの教会を与えてくださったのです。

 

おわりに

 

どうかみなさんも実際に、検証なさってみてください。カトリック教会の神的起源に関する証拠には事欠かないと思います。またこういった証拠はオープンに立証可能であり、数も豊富です。ここで必要とされるのは、それらをぜひとも見極めようとする各人の自発的意思ではないかと思います。

 

私個人のストーリーがどうであれ、カトリック教会の神的起源に関する証拠は歴史の領域に在ります。あなたは私の一見解に翻弄される必要はありません。さまざまな資料や証拠は公的なドメインにありますから、あなたはそれらを自由に検証することができます。手がかりは全てそこにあり、あなたを待っています。そうです。あなたはただそれらを探求する旅への第一歩を踏み出せばいいのです。

 

ー終わりー

 


*1:訳注:関連記事

*2:『ウェストミンスター信仰告白』1.10.

*3:訳注

*4:訳注

*5:訳注

*6:訳注:

*7:訳注:カノン(正典)の問題について