私は生まれた。
ーーとんでもなく散らかっていて、
救いようがないほどゴタゴタしていて、
そして、愛と赦しにあふれた家の中で。
叔父さん、叔母さん、みんないい人だった。
みんな一生懸命で、そして真実だった。
この家では、人が真実であろうとすればするほど、
ますます周囲が散乱しワケが分からなくなっていくという
へんてこな法則があった。
「ねえ、うちのお家はどうしてこんなに散らかっているの?」
小さい私は、周りの大人に片っ端からきいてまわった。
大きくなるにつれて、分かってきたこと。
ーーそれは、大人になるということは、
いろいろうるさく質問するのをやめて、
散らかっているお家に〈現実〉というなまえを付けてあげることだって。
目をつむれば、そこにひろがるお家はきれいだった。
そう言ったら、叔母さんが言った。「ほら。それこそが信仰なのよ。
本当はね、私たちのお家はとても整頓されていて、
ちゃんとしているの。だから、そこを見つづければいいのよ。」
「でも、お目々つぶったままじゃ、歩けないよ。ものにぶつかってこけちゃうよ。」
「そうねぇ、あなたはまだ小さいから、そういう霊的なことはよく分からないわよねぇ。」
叔母さんは困ったように首をかしげ、そうして、やさしく私の頬をなでてくれた。
散らかったお家で大切なのは〈バランス〉なんだと叔父さんは教えてくれた。
「ほら、よく見てごらん。うちの家はどこもゴタゴタしてるけど、全部が同じような具合にゴタゴタしているわけじゃない。分かるかい?ものすごく散らかっている所はね、〈イタン〉っていうきけんな場所だ。そこには近づいちゃいけない。だから、まあまあ散らかっているところ(=〈バランス〉)をさがして、そこで遊んだり、宿題をしたりするといい。」
「でもね、この前、まあまあ散らかっているところで遊んでいたら、Oせんせいが来て、『あら、そこは〈イタン〉の場所よ。すぐに出なさい、あぶないから。』って注意されたよ。それでね、なにがまあまあなのか、もうよく分からなくなっちゃった。」
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近所の神父さまや役所の人たちがきて、「きみの家は、あまりにも散らかりすぎていて、よくない。だから、ここを出て、外にある家に住まわせてあげよう。」って言う。
「でも、お家はひとつよ。そして私のお家はここよ。」
「そうだ、きみの家はここだよ。そしてこれからもずっとここはきみの家だ。でも天のお父さんの家はね、とっても大きい。だから、その中は、どこでもきみの家だし、これからもきみの家族がいる。」
「それじゃあ、ここにいても、外にいても、私は、みんなと離れ離れにならずに、ずっとお家にいることができるの?」
「そうだよ。だから何も思いわずらわず、天のお父さんの胸にとびこむがいい。主がきみを抱き上げ、やさしく運んでくれるだろう。」