巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

原ニケア信条(325)およびニケア・コンスタンティノープル信条(381)について(by E・ケアンズ)

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コンスタンティヌス帝を描いたイコン。周囲に立っているのは第一回ニケア公会議(325)に出席した監督たち。彼らが掲げているのは、381年に定められたニケア・コンスタンティノープル信条。(出典

 

目次

 

 

E・ケアンズ著『基督教全史』第12章教会会議時代における教義の発達、p180-185

 

なぜ信条(Creed)の必要性が生じたのか?

 

教会史には二つの大きい神学論争の時代があった。プロテスタント主義の大信条は、宗教改革時代の神学論争の時に打ち出された。

 

これより以前の神学論争は、325年から451年までの間、教会の指導者たちが紛争を解決するために催した全キリスト教公会議において行われた。これらの会議から、あのニケア(ニカイア)信条やアタナシウス信条のような、キリスト教会の偉大かつ普遍的な定式化ができた。それは、キリスト教会のおもな教義が展開された時代であった。

 

「教義」という言葉は、今日のような教義が放漫にされている時代にはあまり芳しくない意味を伝えるが、しかしやはり、教義がキリスト教会にとって重要なものであることを、あいまいにしてしまうべきではない。「ドグマ」という語は、ラテン語を経てギリシャ語のdogmaから来ており、これはdokeoという動詞から来ている。ドケオーは、「考える」という意味である。

 

この時期に定式化されたドグマ或いは教義は、論争点に関する聖書の意味を正しく解釈し、また哲学者たちの間違った意見(doxai)を避けるために、ひとびとが非常な努力で考え極めた結果であった。

 

この時代はまた、ある教義に対してどれほど熱心でも、もしも聖書の公平な研究がないならば、個人でも教会でも、知らず知らず誤謬におちいってしまうことがあるということの、すぐれた実例である。

 

サベリウスが神が一であることを弁護しようとして三位一体の否定におちいってしまったのと全く同じように、アリウスは多神論の危険だと彼が考えたところから逃れようとして、父とキリストとの関係について反聖書的な意見におちいってしまった。

 

「古代教会史において神学問題についての論争が、なぜこんなに後になって出て来たのか?」と不思議に思う人もいようが、迫害時代にはキリストと聖書との忠節であることが、特殊教義の意味よりも先だったのである。国家側からの脅威は、教会をして内部の一致を保って、共同戦線を張ることを余儀なからしめた。

 

それからまた、コンスタンチヌスが、帝国を統一して古典文化を確保しようとした結果、教会も、教団を政治的に統一する補強材であるために、統一すなわち教義をもっていなければならなかったのである。

 

聖書の意味についての意見の重大な違いを解決するために教会が採った方法は、全キリスト教公会議、あるいは普遍的公会議で、普通にはローマ皇帝が召集して議長を勤めたのであった。全キリスト教会によって代表された会議は、7つあった。*1全国各地の大教会の指導者がそれぞれの地方を代表し、この時代の信者の考え方を支配していた神学問題の解決を見い出すのに協力した。

 

三位一体における各位格の関係ーー子の父に対する関係

 

父なる神と子なるイエス・キリストとの関係の問題は、迫害がやむとすぐ教会の焦眉の問題となった。西ヨーロッパでは、たとえば、テルトゥリアヌスは、三位一体の正しい解釈として、三位が本質的には一であることを主張した。それ以来、この論争は帝国の東部に集中した。

 

教会がいつの時代にもキリストについてのユニテリアン的な思想と戦わなければならなかったことは、記憶しておかなければならない。現代のユニテリアン主義には、もうアリウス派や、16世紀のソキヌス派のような先駆者があったのである。

 

318年か319年、アレキサンドリヤの監督アレキサンデルは、その長老たちと「三位一体の単一性」を論じた。長老の一人で修道的な学者であり、公衆説教者であったアリウスは、説教を攻撃した。それは、神の三位それぞれの区別をはっきりさせていない説教だという理由からであった。神についての多神論的な思想を避けたいという熱望から、アリウスは、キリストの神性に対して不正を犯すような立場をとった。

 

係争点の性質は救済論的であった。もしもキリストがエウセビウスやアリウスが主張したように、ほんとうの神に劣る半神人であり、その本質が父に似ているか父とは違っているのなら、人間を救うことなどできようか?父に対するキリストの関係はどういうものであるか?

 

この論争は実にはげしくなり、アレキサンデルはアリウスをある総会で除名してしまった。そこでアリウスは自分の学友であったニコメディアの監督エウセビウス(カイザリアのエウセビウスとは別人)の邸宅へ逃げた。論争が小アジアを中心としたため、帝国の統一も教会の統一もおびやかされた。コンスタンチヌスはアレキサンデルとアリウスとに手紙を送って、論争を鎮めようとしたが、論争はついに皇帝の手紙の威力をもってしても、どうにもできなくなっていた。

 

そこでコンスタンチヌスは、この論争に解決を見い出すために、教会の監督たちの公会議を召集した。この会議はニケアで325年の6月19日から8月25日まで行われた。

 

公会議の中心地であったといわれているイズニクのアヤソフィア教会跡(情報源

 

318人の指導者が出席したが、帝国の西部からの出席者は10名にも達しなかった。皇帝が公会議の議長となり、経費を負担した。これは教会が国家の元首の政治的指導権に支配された最初であった。

 

教会と国家との関係という永久的な問題が、ここにはじめて生じたが、こうした特殊問題に考え及ぶには、監督たちはあまりにも神学上の異端の処置に心をうばわれていた。

 

この公会議で三つの見方が提起された。ニコメディアの監督エウセビウス(カイザリアのエウセビウスとは別人)と出席者の少数派とに支持されていたアリウスは、キリストは永遠の昔から存在していたのではなくて、時間以前における神の創造行為によって存在しはじめたのである、と主張した。

 

キリストは父とはちがった(heteros)本質あるいは実体である、と彼は信じた。キリストを神と考えるのは、彼の生涯と、彼が神の意志に服従したこととによる、とした。しかしアリウスは、キリストは無から創造され、父の下位にあり、父とは本質がちがう存在であると信じた。キリストは父と同じく永遠ではなく、父と同等ではなく、父と同質ではない、と信じた。アリウスにとってキリストは神的であったが、神ではなかった。*2

 

アタナシウスは、正統派の見方となった者の主要代表者となった。彼の富裕な両親は、彼の神学的教育を思って、アレキサンドリアの有名な教義問答の学校に入れた。彼の著述『受肉について』は、キリストの教義についての彼の思想を示している。公会議において、まだ三十歳そこそこの若者は、キリストは永遠の昔から父とともに存在し、位格は異なるが父と同一の本質(homoousios)であることを主張した。

 

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アタナシウス(298-373年、ギ:Αθανάσιος Αλεξανδρείας, 羅: Athanasius)情報源

 

彼がこれらのことを主張したのは、もしもキリストが、御自分がそうであると述べたものよりも劣る者であったら、人間の救い主ではあり得なかったと信じたからであった。

 

人間の永遠の救いの問題は、アタナシウスによれば、父と子との関係の中に含まれている。彼は、キリストは父と同等であり、同じく永遠であり、同じ実体であると信じた。そしてこれらの見方にゆえに、彼は死ぬまでに五回も追放されたのであった。

 

大多数は温厚な学者で教会史家であるカイザリヤのエウセビウスに指導されていた。論争というものを嫌うエウセビウスは、一つの見方を提起して、それがみなに妥協案として受け入れられるようにと望んだ。

 

彼が提案したのは、アリウスとアタナシウスとの思想のうちの最良のものを組み合わせた穏健な見方であった。出席者のうち200名以上は最初、彼の見方に従った。彼が教えたところでは、キリストはアリウスが主張したように、無から創造されたのではないが、時間以前の永遠において父から生まれた。

 

キリストは父に似ている(homoi)本質あるいは同類の本質である。彼の信条はついにニケア会議で引き出された信条の基盤になったが、このニケア信条は父と子との本質あるいは実質が一であると主張するもので、この点で彼の信条とは違っている。*3

 

キリストの永遠性と、キリストが父と同質であることの主張によって、正統派はニケア公会議で一時的に勝利を得た。しかしここで定式化された信条を、今日教会で使われているニケア信条と混同してはならない。むろん今日のものがニケヤ公会議での定式化から生じたことには間違いないが。325年の信条は「また聖霊を信ず」で終わっており、その後にアリウスの見方を排斥する文句がある。*4

 

325年から361年までの間、コンスタンチヌスおよびその子らの治下、正統派は反動に会って破られ、アリウス派の一時的勝利に帰した。正統派に対する第二の反動は、361年から381年の間にあらわれたが、遂に正統派が勝った。

 

テオドシウスはニケアで正統派によって定式化された見方を、ほんとうのキリスト信者の信仰と定めたが、325年から381年までの間は苦渋と論争とがひどかった。381年のコンスタンチのープル公会議は、その決議の第一条で、ニケア公会議での318名の教父の信仰は「捨ててはならない。どこまでも主たるべきである」と声明した。

 

第1回二ケア公会議を画いたイコン。アリウスが下方の闇に画かれ断罪されている。(メテオラ・大メテオロン修道院所蔵)

 

この決議は、451年のカルケドン公会議で承認された。こうして、今日ニケア信条として知られ、教会で使われているものは、381年にコンスタンティノープル公会議で採用された信条である*5

 

381年から590年までの間、教会はチュートン民族をキリスト教に導くことと、アリウス派を正統的キリスト教に引き戻すことで多忙であった。

 

ユニテリアン思想が教会内にもたらした荒廃を考慮する時、われわれは381年にコンスタンティノープル公会議で正統派が遂に勝利を得たことを感謝してよい。近代主義およびユニテリアン主義の両方が関連しているアリウス派は、非正統的な教義として排除され、キリストがほんとうに神であるということがキリスト教の信仰の一項目とされた。

 

ニケア公会議の決議が、東方教会と西方教会の間を、結局は仲間割れさせる一因とはなったが、しかしこの決定がわれわれの信仰にとって貴重なものであることを無視してはならない。とは言うものの、ニケア公会議は教会にとってはその独立を犠牲にさせた。教会はこの時から帝国のものとなり、だんだん皇帝に主権をにぎられるようになったからである。

 

参考になる記事:

正統的キリスト教とは何か -アリウス主義とニケア正統主義の闘い- - カナイノゾム研究室

 

原ニケア信条(325)

ギリシャ語原文

Σύμβολο της Νίκαιας (325) 出典

 

Πιστεύομεν εἰς ἕνα Θεὸν Πατέρα παντοκράτορα, πάντων ὁρατῶν τε και ἀοράτων ποιητήν.

Πιστεύομεν εἰς ἕνα κύριον Ἰησοῦν Χριστόν, τὸν υἱὸν τοῦ θεοῦ, γεννηθέντα ἐκ τοῦ πατρὸς μονογενῆ, τουτέστιν ἐκ τῆς ουσίας τοῦ πατρός, θεὸν εκ θεοῦ ἀληθινου, γεννηθέντα, οὐ ποιηθέντα, ὁμοούσιον τῳ πατρί, δι’ οὗ τὰ πάντα ἐγένετο, τά τε ἐν τῳ ούρανῳ καὶ τὰ ἐπὶ τῆς γῆς, τὸν δι’ ἡμᾶς τοὺς ἀνθρώπους καὶ διὰ τὴν ἡμετέραν σωτηρίαν κατελθόντα καὶ σαρκωθέντα και ενανθρωπήσαντα, παθόντα, καὶ ἀναστάντα τῇ τριτῇ ἡμέρᾳ, καὶ ἀνελθόντα εἰς τοὺς οὐρανούς, καὶ ἐρχόμενον κρῖναι ζῶντας καὶ νεκρούς.

Καὶ εἰς τὸ Ἅγιον Πνεῦμα.

Τοὺς δὲ λέγοντας, ὁτι ἦν ποτε ὅτε οὐκ ἦν, καὶ πρὶν γεννηθῆναι οὐκ ἦν, καὶ ὅτι ἐξ ἑτέρας ὑποστάσεως ἢ οὐσίας φάσκοντας εἶναι, [ἢ κτιστόν,] τρεπτὸν ἢ ἀλλοιωτὸν τὸν υἱὸν τοῦ θεοῦ, [τούτους] ἀναθεματίζει ἡ καθολικὴ [καὶ ἀποστολικὴ] ἐκκλησία.

 

各種日本語訳

 

原ニカヤ信条 (325)

東京基督教研究所訳

 

 我等は、全ての見ゆるものと見えざるものとの創造者にして、全能の父なる唯一の神を信ず。 

 我等は、唯一の主イエス・キリストを信ず。主は神の御子、父より生れ給いし独り子、即ち御神の本質より出で給いし者、(神の神*)、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生れ、御父と本質を一つにし、天にあるものも地にあるものも万のものこれによりて造られたり。主は我等人類のためにまた我等の救いのために降り肉体を受け人となり、苦難を受け、三日目に甦り、天に昇り給い、生ける者と死ねる者とを審かんために来り給わん。

 我等は聖霊を信ず。

 主の在りし給わざりし時あり、生れざれし前には在さず、また、在らざるものより造られ給いたりといい、異なる存在、また本質より成り、(造られしもの)神の変じ化へ得べき子なりと言う者、かかる者等を公同なる使徒的教会は呪うべし。

 

かっこにいれた部分(神の神)はギリシア語原文に対応しない部分。この部分はラテン語訳で付加されたもので、西方教会では広くこの形が使われる。(←この註書きの出典:ニカイア信条 - Wikipedia

 

 

原ニカイア信条 (325)

関川泰寛訳

 

 われらは信ず。唯一の神、全能の父、すべて見えるものと見えざるものとの創造者を。われらは信ず。唯一の主、イエス・キリストを。主は神の御子、御父よりただ独り生まれ、すなわち御父の本質より生まれ、(神よりの神)、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生まれ、御父と同質なる御方を。その主によって万物、すなわち天にあるもの地にあるものは成れり。主はわれら人類のため、またわれらの救いのために降り、肉をとり、人となり、苦しみを受け、三日目に甦り、天に昇り、生ける者と死ねる者とを審くために来り給う。われらは信ず。聖霊を。

 

 御子が存在しなかったときがあったとか、御子は生まれる前には存在しなかったとか、存在しないものから造られたとか、他の実体または本質から造られたものであるとか、もしくは造られた者であるとか、神の御子は変化し異質になりうる者であると主張するものを、公同かつ使徒的な教会は呪うものである。

 

ニケア・コンスタンティノープル信条(381)

ギリシャ語原文

Σύμβολο της Νίκαιας – Κωνσταντινουπόλεως (381) 出典

 

Πιστεύομεν εἰς ἕνα Θεόν, Πατέρα, Παντοκράτορα, ποιητὴν οὐρανοῦ καὶ γῆς, ὁρατῶν τε πάντων καὶ ἀοράτων.

Καὶ εἰς ἕνα Κύριον Ἰησοῦν Χριστόν, τὸν Υἱὸν τοῦ Θεοῦ τὸν μονογενῆ, τὸν ἐκ τοῦ Πατρὸς γεννηθέντα πρὸ πάντων τῶν αἰώνων· φῶς ἐκ φωτός, Θεὸν ἀληθινὸν ἐκ Θεοῦ ἀληθινοῦ, γεννηθέντα οὐ ποιηθέντα, ὁμοούσιον τῷ Πατρί, δι οὗ τὰ πάντα ἐγένετο. 

Τὸν δι ἡμᾶς τοὺς ἀνθρώπους καὶ διὰ τὴν ἡμετέραν σωτηρίαν κατελθόντα ἐκ τῶν οὐρανῶν καὶ σαρκωθέντα ἐκ Πνεύματος Ἁγίου καὶ Μαρίας τῆς Παρθένου καὶ ἐνανθρωπήσαντα.

Σταυρωθέντα τε ὑπὲρ ἡμῶν ἐπὶ Ποντίου Πιλάτου, καὶ παθόντα καὶ ταφέντα.

Καὶ ἀναστάντα τῇ τρίτῃ ἡμέρα κατὰ τὰς Γραφάς. 

Καὶ ἀνελθόντα εἰς τοὺς οὐρανοὺς καὶ καθεζόμενον ἐκ δεξιῶν τοῦ Πατρός.

Καὶ πάλιν ἐρχόμενον μετὰ δόξης κρῖναι ζῶντας καὶ νεκρούς, οὗ τῆς βασιλείας οὐκ ἔσται τέλος.

Καὶ εἰς τὸ Πνεῦμα τὸ Ἅγιον, τὸ κύριον, τὸ ζωοποιόν, τὸ ἐκ τοῦ Πατρὸς ἐκπορευόμενον, τὸ σὺν Πατρὶ καὶ Υἱῷ συμπροσκυνούμενον καὶ συνδοξαζόμενον, τὸ λαλῆσαν διὰ τῶν προφητῶν. 

Εἰς μίαν, Ἁγίαν, Καθολικὴν καὶ Ἀποστολικὴν Ἐκκλησίαν.

Ὁμολογῶ ἓν βάπτισμα εἰς ἄφεσιν ἁμαρτιῶν.

Προσδοκῶ ἀνάστασιν νεκρῶν. Καὶ ζωὴν τοῦ μέλλοντος αἰῶνος. 

Ἀμήν.

 

ラテン語訳

 

Credo in unum Deum, Patrem omnipotentem, factorem caeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium.

Et in unum Dominum Jesum Christum, Filium Dei unigenitum, et ex Patre natum ante omnia saecula. Deum de Deo, Lumen de Lumine, Deum verum de Deo vero, genitum non factum, consubstantialem Patri; per quem omnia facta sunt. Qui propter nos homines et propter nostram salutem descendit de caelis. Et incarnatus est de Spiritu Sancto ex Maria Virgine, et homo factus est. Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus est, et resurrexit tertia die, secundum Scripturas, et ascendit in caelum, sedet ad dexteram Patris. Et iterum venturus est cum gloria, iudicare vivos et mortuos, cuius regni non erit finis.

Et in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex Patre (Filioque) procedit. Qui cum Patre et Filio simul adoratur et conglorificatur: qui locutus est per prophetas. Et unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam. Confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum. Et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi. Amen.

注:斜体部分はギリシア語原文に対応する個所をもたない部分。

注2:「Filioque(フィリオクェ)」問題についての関連記事

 

各種日本語訳

 

ニカイア・コンスタンティノポリス信条 (381)

(日本基督教団改革長老教会協議会教会研究所訳)

 

 わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。

 

 わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものはこの方によって造られました。主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません。

 

 わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました。わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。わたしたちは、死人のよみがえりと来るべき世の命を待ち望みます。

 アーメン。

 

 ーーーーー

ニカヤ・コンスタンティノーポリス信条 (381)

東京基督教研究所訳

 

 我等は、天と地と、全ての見ゆるものと見えざるものとの創造者にして、全能の父なる唯一の神を信ず。

 

 我等は、唯一の主イエス・キリストを信ず。主は万世のさきに御父より生れたる神の独り子、神の神、光よりの光、真の神よりの真の神、造られずして生れ、御父と本質を一つにし、万のものこれによりて造られたり。主は我等人類のため、また我等の救いのために天より降り、聖霊によりて処女マリアより肉体を受けて人となり、我等のためポンテオ・ピラトの下に十字架につけられ、苦難を受け、葬られ、聖書に応じて三日目に甦り、天に昇り、御父の右に坐し給う、栄光をもって再び来り、生ける者と死ねる者とを審き給わん、その国は終わることなし。

 

 我等は主にして生命を与うるものなる聖霊を信ず、即ち、御父と御子とより出で、御父と御子とともに礼拝せられ、栄光を帰せられ給う、また、預言者たちによりて語り給えり。我等は、使徒よりの唯一の聖なる公同教会を信ず。罪の赦しのための唯一の洗礼を信じ認む。我等は死ねる者の復活と来るべき世の生命をとを待ち望む。 

アーメン。

ーーーーー

 

ニケヤ・コンスタンチノープル信経

日本正教会訳

 

我、信ず、一の神・父、全能者、天と地、見ゆると見えざる万物を造りし主を。

又、信ず、一の主イイスス・ハリストス、神の独生の子、万世の前に父より生まれ、光よりの光、真の神よりの真の神、生まれし者にて造られしに非ず、父と一体にして、万物、彼に造られ 我等人々の為、又我等の救いの為に天より降り 聖神及び童貞女マリヤより身を取り人と為り 我等の為にポンティイピラトの時、十字架に釘うたれ苦しみを受け葬られ 第三日に聖書に叶うて復活し 天に升り父の右に坐し 光栄を顕わして生ける者と死せし者を審判する為に還(ま)た来り その国、終りなからん、を

又、信ず、聖神、主、生命を施す者、父より出で、父及び子と共に拝まれ讃められ、預言者を以てかつて言いし、を

又、信ず、一の聖なる公(おおやけ)なる使徒の教会を

我、認む、一の洗礼、以て罪の赦を得る、を、

我、望む、死者の復活、並びに来世の生命を 

アミン。

 

ーーーーー 

ニケヤ信経

日本聖公会祈祷書1959年版より)

 

我は唯一の神・全能の父・天地とすべて見ゆる物と見えざる物の造り主を信ず。

 

我は唯一の主イエス=キリストを信ず。主はよろず世の先に、父より生まれたるひとりの御子、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずして生まれ、父と一体なり。よろずのもの主によりて造られたり。

 

主はわれら人類のため、また我らを救わんがために、天よりくだり、聖霊によりておとめマリヤより肉体を受け、人性をとり、我らのためにポンテオ=ピラトのとき、十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にかないて三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座したまえり。また栄光をもって再びきたり、生ける人と死ねる人をさばきたまわん。その国は終わることなし。

 

我は聖霊を信ず。聖霊は命を与うる主、父と子よりいで、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によりて語りたまいし主なり。我は使徒たちよりの唯一の聖公会を信ず。罪の赦しをうる唯一の洗礼を信認す。死にし人のよみがえりと来世の命をのぞむ。

アーメン。

ーーーーー

 

ニケア・コンスタンティノープル信条

日本カトリック司教協議会認可、2004年2月18日)

 

わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。

わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。

主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、

神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。

すべては主によって造られました。

主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。

ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。

主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。

わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。

わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。

アーメン。

 

ニケア信条を歌う

英語

↓カトリック教会

↓正教会

↓聖公会

 

ラテン語

↓カトリック教会


コイネー・ギリシャ語

正教会(朗読)

 

 

教会スラブ語


Crkvenoslovenski (pravoslavni)

1.Vjeruju vo jedinago Boga Otca, vsederžitelja, Tvorca nebu i zemlji, vidimim že vsjem i nevidimim.

2.I vo jedinago Gospoda Isusa Hrista, Sina Božija, jedinorodnago, iže ot Otca roždenago prežde vsjeh, vjek; svjeta ot svjeta, Boga istina ot Boga istina, roždena, ne sotvorena, jedinosuščna Otcu, imže vjsa biša.

3.Nas radi čelovjek, i našego radi spasenija, sšedšago s nebes i voplotivšagosja ot Duha Svjata i Mariji Djevi i vočelovječšasja.

4.Raspjatago že za ni pri Pontijstjem Pilatje, i stradavša i pogrebena.

5.I voskresšago v tretij den po pisanijem.

6.I vozšedšago na nebesa i sjedčašča odesnuju Otca.

7.I paki grjaduščago so slavoju suditi živim i mertvim, jegože carstviju ne budet konca.

8.I v Duha Svjatago, Gospoda životvorjaščago, iže ot Otca ishodjaščago, iže so Otcem i Sinom spoklanjajema i sslavima, glagolavšago proroki.

9.Vo jedinu svjatuju, sobornuju i apostolsku cerkov.

10.Ispovjeduju jedino kreščenije vo ostavljenije grjehov.

11.Čaju voskresenija mertvih.

12I žizni buduščago vjeka. Amin .

 

Церковнославянский текст из Кормчей патриарха Иосифа 1650 года

Веруем во Единаго Бога Отца Вседержителя, видимым же и не видимым Творца.

И во Единаго Господа нашего Исуса Христа, Сына Божия, рождена от Отца единочадна, сеже есть от существа Отча: Бога от Бога, Света от Света, Бога истинна от Бога истинна, рожденна, а не сотворенна, единосущна Отцу, имже вся быша, яже на небеси и яже на земли, нас ради человек, и за наше спасение сошедша и воплощшася и вочеловечьшася, и страдавша, и в третий день воскресша, и восшедша на небеса и паки грядуща судити живым и мертвым.

И в Духа Святаго.

Глаголющия же, бе время егда не бысть, и яко от несущих бысть, или от иного состава, или существа, или преложна, или пременна Сына Божия, таковыя проклинает Соборная и Апостольская Церковь. Аминь.

*1:1.ニケア(325年)アリウス派の議論を解決するため。

2.コンスタンティノープル(381年)聖霊の人格とキリストの人格とを主張するため。

3.エペソ(431年)キリストの人格の位置であることを強調するため

4.カルケドン(451年)キリストの神性と人性との関係を認めるため。

5.コンスタンティノープル(553年)一性論論争を扱うため。 

6.コンスタンティノープル(680年)キリスト単意論者を排斥するため。

7.ニケア(787年)神の像論争によって引き起こされた問題を扱うため。 

Edward G. Landon, Manual of Councils of the Holy Catholic Church (Edinburgh: John Grant, 2 vols, 1909).この書にはこれらの会議の諸問題や、参加人員や、おもな議論が述べてある。

*2:Beresford J. Kidd, Documents Illustrative of the History of the Church (London: Society for Promoting Christian Knowledge, 3 vols, 1920-1941), vol.II, p.6-10; Joseph Ayer, Jr., A Source Book for Ancient Church History (New York: Charles Scribner's Sons, 1913), p297-356. エーヤーのこの箇所には、アリウス派の異端を理解する上で重要な文献がほとんど全部収録されている。また、Socrates, Ecclesiastical History, I: v-ix; Eusebius, Life of Constantine, I: Ixi-Lxxiiiを参照。

*3:Kidd, op.cit., Vol.II, p.21-25.エウセビウスからその信者たちに送られたこの手紙には、彼の信条とニケアで方式化された信条とが出ている。

*4:Henry Bettenson, Documents of the Christian Church (New York: Oxford University Press, 1947), p.36.

*5:Bettenson, op.cit., p.37.コンスタンティノープル公会議の公教理は、Ayer, op.cit., p.353; Philip Schaff, Creeds of Christendom (New York: Charles Scribner's Sons, 3 vols, 6th ed., 1890), vol.1, p.24-34; vol.II, p.57-61参照。