巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イサク・ワッツの信仰詩集

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イサク・ワッツについて

 

イサク・ワッツ(Isaac Watts,1674-1748)は、英国の牧師であり、讃美歌作詞者であり、神学者であり、論理学者です。

 

彼は在世中に、実に750余りの讃美歌を作り、神の偉大さ、美しさ、無限さ、栄光、そしてイエス・キリストの十字架上での死と復活、贖い等の聖書真理を深い歌詞と美しいメロディーによって歌い上げました。これまで少しずつワッツの詩を訳してきましたが、今回、それをまとめて詩集の形にし、日本のみなさんにお届けすることにしました。

 

 


 

 

私は神の偉大な御力を歌う

 

私は神の偉大な御力を歌う。

山峰をそびえ立たせ、

溢れんばかりの海をどこまでも押し広げ、

高遠な天をお建てになった神を。

 

私は神の智慧を歌う。

太陽に日を治めることをお定めになり、

御掟により、月を輝かせ

星という星を従わせておられる神を。

 

私は主のすばらしさを歌う。

大地を食物で満たし、

御言葉によって被造物をお造りになり、

それらを良いと仰せられた主を。

 

おお主よ、目を向けるところ全てに

なんと 汝の驚異的なみわざが顕されていることでしょう!

大地を綿密に調べても、

天空を仰いでも。

 

地に咲く一輪の花であれ、植物であれ、

汝の栄光を知らしめていないものは一つだに存在していません。

そして汝の御座よりくるご命令により、

雲は昇り、風は吹き荒れるのです。

 

すべての被造物は汝よりいのちを与っておりますが、

その一つひとつが汝の御加護のうちに置かれています。

そして私たちがどこにいようと、

おお神、汝はそこに在られます!

 

 

Isaac Watts, I sing the mighty power of God, 1715(私訳)

 

 

天への憧れ 

 

神をみることにより、

この世の色彩は失われます。

 

御使いたちのいる はるか上空の野には、

生ける水が

おだやかに流れている。

 

わが思いが高く舞い上がり、

飛翔することができたらどんなにかいいでしょう。

 

しかしああ、

罪がわが魂の上に重くのしかかっています。

 

おお十字架の上で死にゆく

麗しきキリスト、

汝の流されし血潮によって、

この咎の重荷は取り除かれます。

 

そして、ご自身の羽ばたいておられるところに、

汝は私をも連れていくことがおできになります。

そうです、天的な鳩!

汝のやさしき翼に乗って。

 

おお たった一度でいい、

駈け上り、

永久(とわ)に拡がる天空の栄光を

目にすることができたなら!

 

そうしたなら、

この世の一切の有様は、

なんと卑小なものに思われることでしょう。

 

そして、わが目に、どんなにか

卑しむべきものと映るでしょう!

 

わが神よ、汝を仰ぐ

その一瞥さえ与えられるなら、

地上の国々や人間の諸事象は、

またたくまに消え去ってしまうはずです。

 

おぼろげなろうそくの灯が

昼間に絶えてしまうがごとく、

そのようなものは、

幻のように はかなく消えてしまうでしょう。

 

そうするなら、

たとい彼らが怒り狂い、戦い、うなりを上げようとも、

たとい怖ろしい雷鳴が轟音をたてようとも、

それらは揺れる一枚の葉の音のごとく、

 

わが耳に 

もはや無音なものとなるでしょう。

 

すべてのすべてであられる方、

永遠なる王よ。

どうか汝のその美しい御顔を

仰ぎ見させてください。

 

おお 私は汝の前にひれ伏し、

力の限りを尽くし、

とこしえなる汝の壮麗さと、恵みを

歌い続けるでしょう!

 

Isaac Watts, HYMN 41(私訳)

 

 

永遠の力!その高き住まいは神の壮麗さを映し出しています

 

永遠の力!

その高き住まいは

神の壮麗さを映し出しています。

 

あらゆる境界を越えた 無限の拡がり。

そこでは星々も 小さく周天しています。

御座の前の もっとも低い上がり段でさえも

ガブリエルの足に高すぎるのです。

 

こうして長躯(ちょうく)の大天使は

驚異に満ちた眼で その高さを見上げています。

 

しかるに主よ、地と灰に何ができるというのでしょう。

しかし私たちもまた、創造主を讃えたいのです。

 

罪と塵の中から汝に向かい、我々は叫びます。

偉大なる主。

聖なる主、

そして、いと高き神!と。

 

地は、はるか下より汝の名声を聞いています。

虫けらたちも、まわらぬ舌で汝の御名を呼ぼうとしています。

しかし おお、汝のご知性の栄光は、

私たち人間のあらゆる崇高な思いを超えています。

 

神は天におられますが、人は地にいます。

我々の作る旋律は短く、我々の言葉は僅かでなければなりません。

 

聖なる崇敬の念は、私たちの歌を律し、

そして讃美は 沈黙のうちに私たちの舌にあります。

 

 

Isaac Watts, Eternal Power!, 1706(私訳)

 

 

荒れ果てた地より汝の御顔を仰ぎ見つつ

 

主よ、

汝の御顔の美しさから輝き出でし

救いの恵みは

なんと天的でありましょう!

 

そしてどれほど私たちの情熱を

燃え立たせることでしょう!

 

主よ、麗しい汝の御名を愛しています。

「わが神は私のもの」と告白するとき、

 そして、汝の輝く栄光を感じるとき、

 

私はこの世を、そして、

偉大と称されし地の物すべてを

足元に踏みつけています。

 

そのような聖き喜びの光景に

恍惚とした眼と魂がひたるとき、

私たちは、ここに座し、

いつまでも終わることのない永遠の日を

見つめ続けることができます。

 

もうまもなく、夜は過ぎ去り、

私たちは全き光に満ちた晴岸へと移ります。

その時、喜ばしいわれらが思いは

愛の対象であるこのお方の上に

ひたとどまるのです。

 

そこで私たちは至福の杯を心ゆくまで飲み、

天的な木々より、新しいいのちを摘むことでしょう。

 

しかし主よ、今は、下にいる私たち虫けらのために、

どうか天の一滴をお与えください。

 

おお、荒れ果てたこの地を旅する間、

汝の右の御手より慰めをお送りください。

 

そして汝の神殿にて、

愛をひと目、汝をひと目、

見させてください。

 

 

Isaac Watts, The enjoyment of Christ(私訳)

 

ああ、わが救い主は血を流されたのでしょうか。

 

十字架で。十字架の上で、私ははじめて光を見ました。

そしてその時、心の重荷が取り去られたのです。

信仰により、その目が与えられ、

今や私に幸いが訪れました。

 

ああ、わが救い主は血を流され、

わが至高なる方は死なれたのでしょうか。

  

あの方は、私のような罪びとのために

聖なる御頭をお捧げになったのでしょうか。

 

おお 麗しきイエス、汝の御体はほふられ、

ご自身の血で染まっています。

 

聖なる怒りの印を帯び、

主の魂は苦悶の中にありました。

 

これは私が犯してきた数々の罪のためでしょうか。

あの方が木の上で呻(うめ)いておられたのは?

 

これほどの憐れみがあるでしょうか。

これほどの恵み、人知を越える愛が!

 

力強い創造主キリストが

被造物である人間の罪のために命をお捨てになった時、

太陽は暗闇の中に隠れ、

その栄光は雲の中にふさがれました。

 

主のいとしき十字架が顕れる時、

いかにして恥ずべき自分を隠すことができましょう。

わが心は感謝にむせび泣くばかりです。

 

しかしたとい悲嘆の涙を流しても

汝のその愛に報いることはできません。

 

主よ、ここに私がおります。

私はこの身をもろとも汝にお捧げしたく思います。

これが唯一私にできることです。

 

 

Isaac Watts, Alas! and My Saviour bleed?, 1707(私訳)

 

イエスは、太陽の行き巡るところ、全てを統べ治める

 

イエスは、太陽の行き巡るところ 全てを統べ治める。

そして、主の御国は

もはや月の満ち欠けがなくなるまで。

大陸から大陸へ拡がっていく。

 

このお方のために 絶え間ない祈りが捧げられ、

とこしえの賛美が、主の御頭を飾る。

そして、朝ごとのいけにえと共に、

主の御名は、甘美な芳香のごとく、天に昇っていく。

 

あらゆる国のあらゆる民族は、

いとも麗しい歌と共に、主の愛の内に憩い、

幼な子の声は、主の御名の祝福を高らかに宣言する。

 

このお方の統べ治めるところ、至る所に祝福が満ち溢れる。

枷から解き放たれた囚人は躍り上がり、

憔悴した者は、永遠のやすらぎを見い出し、

そして、全ての貧しき人々は祝される。

 

全ての造られし者よ、起ちて

われわれの王に、比類なき誉れを捧げよ。

御使いたちは、歌をたずさえ、再び舞い降り、

地はこぞりて、大いなるアーメンを唱和す。

 

 

Issac Watts, Jesus Shall Reign Where'er the Sun, 1719(私訳)

 

 

わが魂が慕うひとつの名

 

わが魂が慕うひとつの名

それは汝の御名です。

全能の三位(さんみ)にいらして、

永遠なるひとりの神。

 

自然と恵みは 力の限りをつくし、

汝が測り知れない無限の方であられることを

告白しています。

 

汝の御声により 天空と海は造られ、

汝がお命じになると 

波はうなり声をあげ、星々は輝きます。

 

しかし、これほど壮大なるみわざであったとしても

それらは依然として 

汝ご自身ではありません。

 

静止することのない自然は 

ある時には死に、ある時には成長します。

そして、変化から変化へと、被造物は営みをつづけます。 

 

しかし汝の存在の内には 

遷移も移り変わりもありません。

 

そして汝の遠大なご計画は、古(いにしえ)より不変です。 

汝はその一瞥をもって くまなく全地をみわたし、

この世界を治め、それらの枠組みを動かされます。

 

汝は、まばゆい光の衣を造られ、

勢う炎を 使いとして従わせておられます。

穢れに満ちた死すべき人間が

畏れ多くも 

汝の栄光、汝の恵みを讃えようというのでしょうか。

 

ああ、私たちはただ、汝の足もとにひれ伏し、

汝の御顔の影をあおぐことしかできないように思われます。 

 

だれが、このまばゆい光を直視できるというのでしょう。

だれが、焼き尽くす火に近づくことができるというのでしょう。

 

そうです。汝の御力を知るのは 

ただ汝の知恵をおいて他なく、

汝の御名を語ることができるのは 

ただ汝の言葉をおいて他ないのです。

 

 

Isaac Watts, God is a name my soul adores, 1706(私訳)

  

 

天にあるキリストの栄光

 

 

おお!この喜び、この天的な喜びよ

イエスがご自身の溢れる恵みにより照らす 

この輝かしい光で満ちる栄光

 

甘美な威光と 大いなる愛

この方が 微笑みを浮かべ座しておられ

天にいる大いなる者たちも

身を低くし 主を拝礼する。

 

諸王たちは、このお方の御名の前に

きらびやかな笏を傾け

すべての王権、権勢、力が

主の戴冠を見、歓喜する。

 

大天使たちが、高尚な賛美を奏でつつ

天の街道を行き巡る

そして、自らの偉大な栄誉を投げ出し

主の足もとに、へりくだる。

 

ああ 柔らかく、麗しい主の御足。

かつて残酷な鉄の鞭で引き裂かれたその御足。

 

今やそれは、光輝く王座に立ち

すべての聖徒たちの憧憬となっている。

 

尊く威厳に満ちた主の御頭。

かつて 茨の棘によって 傷つけられた その御頭。

 

見よ。今やそれは、朽ちぬ栄光によって輝き

四方を照らしている。

  

このお方、栄光を受けし、このお方。

我々は まだ見ぬこの方を崇め、賛美する。

 

しかし、我々の目が

この方の御顔を一心に凝視するとき

われらが心は、より一層、 

主への愛に駆り立てられる。

 

主よ、我らの魂は、

なんと赤く燃えていることでしょう

汝の御住まいを見し わが身は!

 

われらが舌は、受肉された神に向かい

賛美の調べに歓喜する。

 

こうして、我々の信仰は 

天的な光景を喜び、

地の衣を脱ぐことを ますます切望する。

 

ああ主よ、汝の火の車が

われらの魂を 

天に引き上げてくださらんことを。

 

 

Isaac Watts, The glory of Christ in heaven(私訳)

 

主よ、造られし物への愛着から私を解き放ってください

 

この地の世界は、なんと はかないものでしょう!

なんと偽りに満ち、なお且つ、魅惑的なもので溢れているでしょう!

 

それぞれの快楽には、毒も混じっており、

心引かれるものにはまた、誘惑もつきまといます。

 

地に存在する もっとも光輝なものであっても、

それはほの暗い灯を与えるにすぎません。

 

悦びに浸るとき、私たちは自らに危険が迫っていないのか

警戒しなければなりません。

 

最も大切にしている喜び、最も大切な友人、血を分けた家族。

ああ、彼らの存在によって、なんと容易に

私たちの心は揺れ動き、

神への想いが二の次にされることでしょう。

 

被造物への愛着。

おお、これはなんと強靭な力で、私たちの感覚を打ち悩ますことでしょう。

 

愛しい救い主!

汝の美しさをして、わが魂の永遠の糧となさしめてください。

そして汝の恵みにより、わが心を 

すべての造られし良きものから

引き離してください。

 

 

Isaac Watts, Love to the creatures is dangerous(私訳)

 

キリストとアロン

 

イエス、汝の中にあって、

私たちの眼は

アロンの子たちの壮麗な珠玉や磨かれた金に

幾千倍にまさる汝の栄光の輝きをみています。

 

彼らはまず自分自身の罪から清められるために、

全焼のささげ物を携えて来なければなりませんでした。

しかし汝の生は、一点のしみもない聖であり、

汝のご性質はことごとく清くあられます。

 

日ごとに絶えず注がれる血が、

彼らの祭壇の上を流れていました。

しかしただ一度だけ捧げられた汝のささげ物は

永遠にわれらの咎すべてを取り除きました。

 

彼らの祭司制は人手を変え存続しました。

なぜなら、彼らの人種は死を免れなかったからです。

しかしおお主よ、永遠に不変なる汝の務めは、

とこしえまで立ちつづけます!

 

 

Isaac Watts, Christ and Aaron, Heb. 7 & 9(私訳)

 

愛と憎しみ

 

さあ今、わが神のご慈愛、

激しい主の苦悩、最期の呻き、

瀕死の血潮により、

私は、わが魂に命じる。

わが同胞の聖徒を愛せよと。

 

喧騒、怒り、戦いよ、去れ。

嫉妬と悪意よ、永遠に消えよ。

苦々しい言葉が

平和の子であるわれわれ同胞の間で

もはや発せられてはならない。

 

平和に満ちた鳩のごとく、

御霊が喧噪と対立の領域から飛び去っていく。

主はわれらの魂を天的な生活のために刻印してくださった。

それなのにその愛を苦しめ、悲しませてよいだろうか?

 

われらの思いがことごとく、優しさといたわりで満ち、

全生涯をとおし、慈愛とあわれみがわれらの内より流れんことを。

そうする時、神もまた、愛しき御子キリストゆえに、

数えきれないほどのわれらの咎を赦してくださるだろう。

 

 

Isaac Watts, Love and hatred(私訳)

 

懐疑は消散し、霊的喜びが再び戻ってくる

 

悲しみよ、わが魂から立ち去れ、

そして喜びの内に我をうち置け。

わが舌は主の中で勝利し、

歓喜の声を挙げよう。

 

暗闇と懐疑がわが心を覆い、

わが頭は涙の中で溺死せんばかりだった。

しかしその時、至高の恵みが輝く光線と共に

わが陰鬱な恐怖を追い出した。

 

おおどんなに不滅の喜びを感じたことだろう!

私が主のものであり、

わが愛する主が私のものであると

イエスが私に語ってくださったその時!

 

試みる者はわが魂を脅かし、

わが平安を粉々にしようとするが、

一切は無駄である。

なぜなら、おお愛する救い主よ、

汝の御顔を一目仰ぎ見る時、

その時、わが内の喜びは再び息を吹き返すからである。

 

Isaac Watts, Doubts scattered; or, Spiritual joy restored(私訳)

 

キリストの愛の力

雅歌8:5-7、13、14

 

荒野から上って来る、

このひと――この苦悶のひとはだれでしょう?

悲しみと罪に押しつぶされ、

愛する主の胸に寄りかかっているひとは。

 

そうです。彼女はわれらが神、キリストの血潮によって

買い取られた花嫁です。

そして彼女の求め、嘆き――、

それは、すべての聖徒の声なのです。

 

「おお私の名を、封印のように汝の心臓の上に、

御手に刻んでください。

封印のように私を汝の御腕につけ、

その愛の印をとこしえまで刻み込んでください。」

 

「愛は死のように強く、

憤怒の洪水もけっしてそれを押し流すことはできません。

こうして神々しいこの炎を消さんとする

地と地獄の試みはむなしく敗れるのです。」

 

「しかし私は自分の心を油断なく見張っています。

万が一にも、そして一度たりとも、汝から心が離れてしまわないように!

 

おお主よ、どうかわが胸の上に麗しい御名の刻印を

深く深く刻み込んでください。」

 

「天上の家――もはや恐れも懐疑もけっして襲ってこない汝の家に

私を運んでくださるその日まで、

地上にあって、どうか汝の御顔を仰がせ、

わが祈りに耳を傾けてください。」

 

「わが愛する方よ。急いでいらしてください。

遅れないでください。

香料の山々の上のかもしかや、

若い鹿のようになってください。」

 

Isaac Watts, The strength of Christ's love(和訳)

 

摂理の暗闇

 

主よ、私たちは汝の壮大な御企図を慕っています。

摂理の薄暗い深淵を。

それはあまりに深く、死すべき詩では音を奏で得ず、

あまりに杳(よう)として、脆弱な感覚では見ることのできないものです。

 

今 汝は笑み無く、怒りの御顔を

みせておられます。

しかしそれでも、私たちは雲のすき間から

汝の恵みを信じ、汝のご慈愛を確信しています。

 

深い悲嘆の海と嵐の中を、

私たちは見るところによってではなく、信仰によって

帆走しています。

茨そしてまた茨。漆黒の夜――。

しかし荒野の中で、私たちは信仰により導かれています。

 

愛する御父よ、この地上にあって、

たとい汝の懲らしめの鞭を受けようとも、

私たちは汝に寄り頼みます。

汝の御腕が私たちを最後まで確実に支え続けてくださると。

 

Isaac Watts, The darkness of Providence(私訳)

 

天における恭謙な礼拝

 

御父よ、わが魂は、汝の住まう処を一目見たいと

切望し、気を失わんばかりです。

地上の宮を離れ、上にある汝の御座に向かって

駆け上がりたいのです、わが神よ!

 

この地で私は、はるか遠くより

汝の御顔を喜びの内に仰いでいます。

しかし、汝の御胸のうちに宿ることができるなら、

それは無限なる喜びにあるに違いありません。

 

汝の御座を見つめることができるのなら、

私はむしろ喜んですべての感覚的悦びをうち捨てたい。

言葉に言い尽くせず、いまだ知られざる喜びが、

そこから、永遠の泉のように湧き出すことでしょう。

 

そこではすべての天的軍勢が一堂に会し、

輝かしい列をなし、動いています。

そして畏敬と愛のうちに不朽の活力(ちから)を飲んでいます。

 

そうして、汝を敬拝する万軍は

非常なる恐れの内に、汝の足元にひれ伏します。

永遠なる全てであられる全能者の前に、彼らは喜んで

小さく小さくなっていきます。

 

汝の栄光がわが目を照らせば照らすほど、

私はますます低く伏さざるを得ません。

このようにして、沈みゆく私の中で、

内なる歓喜が計り知れない高さまで飛翔していきます。

 

Isaac Watts, The humble worship of heaven(私訳)

 

突然のすさまじい落雷の晩に。(1697年8月20日)

 

雷鳴者であられる神

 

天の万軍よ、主に向かって歌え。

そしておお地よ、主を讃えよ。

死と地獄の岸という岸をして

主の御力の前に震えおののかしめよ。

 

轟く主の戦車は天空を震わせ、

主は厚雲をご自身の王座にされる。

そこでは雷鳴がうごめき、

復讐の矢を放とうと構えている。

 

主の鼻孔からは炎のような流れが噴き出し、

恐るべき舌からは、主権者の厳に満ちた御声が発せられ、

それは火炎をも刺し通す。

雷鳴が轟きのうなり声を上げている。

 

おおわが魂よ、来るべき恐ろしいかの日のことを考えよ。

憤怒の神が天空を引き裂き、海を焼き尽くし、

ご自身の怒りを投げつける日を。

 

悲惨な罪びとは何をすべきなのか?

かつて彼は主に逆らっていた。

しかし今、彼は雷鳴者であられるこの御方の前で慄き、

このお方の御言葉の下に沈まねばならない。

 

瞋怒の炎嵐と雷鳴が鳴り響き、

反逆の虫けらを滅ぼす。

そして一瞬にして永遠の嵐の中で

露わな彼の魂を襲い打つ。

 

Isaac Watts, God the thunderer or, The last judgment and hell (私訳)

 

知り尽くしえない神

 

天空のかなた奥に、わが神は退いておられる。

わが憧憬の対象である主は

ご自身の御顔を隠されている。

 

私の視界にまで降りて来られる時、

主は、私が理性によってご自身を追い求めるよう鼓舞される。

しかし、ああ、不釣り合いな追跡の果てに、私は疲れきり倒れてしまう。

 

もしくはたとい並はずれた高嶺に達し、

ほとんど主のご臨在に届かんとするも、

ああ今度は、栄光の洪水が、わが飛行を妨害し、

知覚という大胆なるわが翼を縛り、

こうして、私の思考の音階はちりぢりに乱れてしまう。

 

光の海―知恵、正義、憐れみの輝き出でる海の中に

私は飛び込み、転げまわる。

交差する線の、無限の光線により

視界はかすみ、濃い雲の中で

混沌としたわが霊は内に圧倒さるる。

 

偉大なる神!見よ、わが理性は恍惚と汝を仰ぎつつ

横たわっている。そしてわが愛は、自分のものではない翼によって

飛翔する。

 

そう、信仰が、わが愛の貧しき飛行を導き、

未跡なる光の海原をつき抜け、こうして、

われをして、永遠なる美であり、

無限にして知り尽くすことのできない汝へと

向かわしめるのだ。

 

Isaac Watts, The Incomprehensible(私訳)

 

律法により、わが罪の実体を知る

 

主よ、以前、私の良心はなんと頑強で、

内なる恐れを感じることなく生きてきたことでしょう!

かつての私は律法なしに生き、

数々の自分の罪は死んだものと思っていました。

 

天への希望は堅く明るいものでした。

しかし、強烈な光と力をもって戒めが来、

私は自分の不潔さ、汚さを知り、うちのめされました。

 

以前には、咎は些細なものに思われていたのです。

しかし目が開かれた時、汝のとこしえの律法が

いかに完全で、聖く、正しく、純潔なものであるかを

知り、私は恐れおののきました。

 

ああ、己の罪がまた生き返り、

わが魂は重荷に押しつぶされんばかりになりました。

恐るべき神の怒りを招き、

こうしてわが全ての希望は死に絶えました。

 

私はまるで無力な捕虜のようです。

罪の力の下に売られています。

私には善をしたいという願いがあるのに、

それを実行することができず、

自分の良心を清く保つこともできません。

 

わが主よ、私は呼吸と共に絶えずあなたに叫び求めます。

おお、この罪と死の縛りを打ち破る力を我に与えたまえ。

そして、この奴隷を贖い出したまえ!

 

Issac Watts, Conviction of sin by the law; Hymn115(私訳)

 

わが魂よ、天的な旋律を奏でよ

 

わが魂よ、天的な旋律を奏でよ、

醒めよ、わが声。そして歌え。

偉大なみわざ、そしてそれにもまして偉大な

われらがとこしえの王の御名を!

 

このお方のたぐいなき誠実さを語り告げ、

主の御力を方々に鳴らしめよ。

そして恩寵より流るる

うるわしき御約束を歌え。

 

宣べ伝えよ。「救いは主より来たりし。

おお、哀れな、死にゆく人間よ!」

主の御手は、不滅のペンを持ちて

神聖なるみことばをしたたむ。

 

永遠の真鍮に刻まれているかの如く、

力づよき御約束は輝きぬ。

たとい暗闇の諸勢力 襲わんとも

これらとこしえの聖言を抹消することあたわず。

 

おお恵みの聖言(みことば)の なんと力強きことよ!

それは天空を打ち建て、

御声により、星々を進行させ、

御約束のすべてを語っておられる。

 

神は仰せられた。「広遠なる天空を引き延ばしめよ。」

すると、見よ。そのようになった。

「アブラム、わたしがあなたの神である」と主は仰せられた。

然り。まことに主はアブラムの神であった。

 

ああ天的な舌より、汝の囁きを聞くことができたなら!

「お前は、わたしのものだ」と。

そうしたなら、わが歌の調べは

天にも届かんばかりの旋律を奏でることだろう。

 

今や わが弱き心は

確かなる汝のご慈愛の内に、喜び憩う。

信仰はそれより他に もはや何も望まない。

おお、すべてを創造しこのお方の御声に われ信頼す!

 

Isaac Watts, Begin, my soul, some heavenly theme(私訳)

 

 

目に見えないものを信じる信仰

 

信仰は 肉眼を越えるものについての

もっとも明らかな証拠。

 

肉体と感覚という雲を突き抜け、

天的な光の中に宿るもの。

 

信仰は、過ぎ去った過去を 現在のうちに見、

かなたの未来を、展望する。

 

それが一千年前のことであれ、

何千年後のことであれ。

 

信仰により、私たちは世界が

神の言葉で造られたことを知る。

 

未知の国々へと導かれたアブラム。

信仰により 主に従いつつ。

 

彼は、永遠の手により建てられし

高く美しい都を待ち望んでいた。

 

私たちはやがて死ぬ。

しかし、信仰は確信をもって私たちに語る。

――天的な建物は とこしえに残ると。

 

 

ヘブル11:1、3、8、10

 

Isaac Watts, Faith Is The Brightest Evidence(私訳)