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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「1テモテ2:12-15でパウロが創造に訴えているのは今日性を持ち得ません。なぜなら、創造に関する創世記の記述自体、文化的に相対的であり得るからです」という主張はどうでしょうか。

1テモテ2:12検証 創造 VS 文化的解釈 女性牧師問題で悩んでいる方々へ キリスト教リベラリズムの形態 ケファレー(kephale:かしら) 男性リーダーシップの回復

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 8

 

これはウィリアム・ウェブによって提唱されている説です。彼は創世記1-2章の記述を取り上げた上で、次のような主旨のことを言っています。

 

「堕落前のアダムのリーダーシップに訴える相補主義者たちの主張は説得力に欠ける。なぜなら、創世記の記述の中の幾つかの要素は、『文化的に相対的でありculturally relative)』、よって、堕落前のアダムとエバの関係もまた文化的に相対的であり得る。」

ウェブが指摘している文化的に相対的な要素というのは、例えば、「職業としての農耕」や「地上交通」、そして「菜食」などです。(Webb, Slaves, Women and Homosexuals, 124-25.)

 

回答1.

パウロがしっかりと認識していて、ウェブが認識し損なっているのは、「聖書は、堕落前の話の中に記述されているそういった活動に私たちをけっして制限していない」ということです。

 

「文化的に相対的なもの」の例を列挙したウェブの目録は、ほとんど説得力を持っていません。なぜなら、彼は一覧表にしているそういった要素の性質を考慮していないからです。聖句の中のどこにも、そしてどんな(信頼のおける)解釈者たちも、こういった諸活動が人間の行なうことのできる「唯一の」活動として記載されているなどと主張していません!ですから、なぜウェブが、そういった諸活動を「文化的に相対的な」原則の例として取り扱っているのか不明瞭です。

 

そしてもしウェブの理論が正しいのなら、使徒パウロの方こそ間違っていたということになります。ウェブの議論に従えば、1世紀に生きたパウロは、そもそも〔1テモテ2章で〕創造の出来事に訴え出ることなどできなかったはずです。

 

なぜなら、1世紀の人々もまた、「職業としての農耕」だけに制限されていたわけではなく(パウロは天幕作りを職としていました)、「地上交通」だけに制限されていたわけではなく(パウロは海路、旅をしました)、皆が皆、結婚していたわけではなく(イエスもパウロも独身でした)、皆が子どもを作るよう要求されていたわけではなく(イエスもパウロも独身でした)、菜食主義者になりなさいという制約もありませんでした(パウロは肉食を認めています。ローマ14:2-4、1コリント10:25-27)。

 

パウロは、ここでウェブが「創造の出来事において文化的に相対的なもの」と主張しているこういったいかなる要素によっても動かされていませんでした。パウロはそういった要素があることを承知していた上で、尚、「『アダムが初めに造られ、次にエバが造られたこと』が、永続的・超文化的な原則を支持する上での正当な根拠である」と捉えていたのです。

 

回答2.

堕落前にはすべてが倫理的に善であったということをウェブは認識し損なっています。

 

ウェブが見落としている点は、エデンの園にあった全てのものは「良いもの(good)」であった、なぜなら、神がそれをお造りになり、それを「非常によかった(very good)」(創1:31)と宣言しておられるから、という点です。

 

それゆえに、農耕も、地から食を得ることも良いことであり、園を歩きまわることも良いことであり、野菜も良いものです。そして子どもを産むことも良いことです。そしてこういったものは何一つとして後に「より優れた倫理 "superior ethic"」に取って代わるようなことはありません。

 

しかしながらウェブの唱える「より優れた倫理」は、「こういったものの善は、文化的に相対的なものであるため、農耕も、地を歩くことも、野菜も、出産ももはや良いものではなくなるだろう」と主張してはばかりません。

 

同様に、エデンの園には、男女の同等性と共に、結婚の中における男性かしら性が存在していました。それもまた「良いもの(good)」であり、神によって創造されたものです。

 

ですから、「男性かしら性は良くないもの(not good)であり、もしくは神に是認されていないなにかである」と主張する「より優れた倫理」を将来的に私たちが作り出すことができるーー、というウェブの説に私たちは従うべきではありません。

 

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