巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「エバが造られる以前、アダムは男ではなく、単に『性的区分のされていない人間』だったのです」という主張はどうでしょうか。【アダム両性具有説 検証】

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「女性牧師について」というある日本語サイトの頁に次のようなことが書かれていました。

 

「みんな誤解してるのが、男の肋骨から女が作られたって話。ところが、創世記にはアダムが男だとはどこにも書いていない。『人』ってあるだけ。パウロの手紙にもあるように、天の国では男も女もないひとつの体になるのだとあります。神が、人が一人では良くないとお考えになって、そこではじめて男と女とに分かれたということですよ。」

 

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 3より翻訳

 

レベッカ・グルースイスは次のように書いています。

 

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「『女性が造られる以前、アダムは正確には男性ではなく、性的に区分されていない人間であった』という見解があります。そしてこの見解にはある種、妥当性があると考えられます。というのも、女がアダムから造られる以前、聖書テクストはアダムのことを男性と言及していないからです、、、〔創世記1:26-27、5:1-2が〕示しているのは、女性が男性から造り出される以前、アダム自身の中に、ある意味、男性性および女性性、その両方の性能が内包されていたということです。」Groothuis, Good News for Women, 125.

                               

回答1.

もしアダムが男性ではなかったのなら、エバは女性として造られたのではないということになってしまいます。

 

エバの創造以前、アダムには「ふさわしい助け手」(創2:20)が見あたらなかったと聖書は言っています。そしてその後、神は「ふさわしい助け手」としてアダムのためにエバをお造りになったと記述されています。つまり、彼に「一致、相当、対応、調和("correspond to")」し、かつ「相対する("opposite to")」存在としてエバをお造りになったのです。

 

そしてこれが意味するところは何かと言うと、1)エバの創造以前、アダムには性的区分がすでに有ったということ、そして、2)エバがーー彼女の創造以前に存在していたアダムと同じ様(さま)でーー彼をみごとに補完(complement)する形で造られた、ということです。

 

従って、アダムはエバの創造に先立ち、男性でなければなりませんでした。冒頭の文章に代表される対等主義見解は、アダムのために「ふさわしい助け手」をお造りになるという神の包括的・全体的ご計画を破壊するような性質のものです

 

ですから、「女がアダムから造られる以前、聖書テクストはアダムのことを男性と言及していない」というグルースイスの見解は正しくありません。創世記2:22、23、25、それから3章8、12、17、20、21節におけるヘブル語の’ādāmには、「女性に相対するものとしての男性 "man as opposed to woman"」という意味がありますが、これはエバが造られる前の男性を言及する語と同じです(BDB, 9*

 

(*訳者注:BDBというのは、↓ のヘブル語・英語大辞典のことです。)

 

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回答2.

もしアダムが男でも女でもなかったのなら、アダムは人間ではあり得ません。

 

もしこの対等主義見解が真であったとしたら、最初に造られた時、このアダムは男性の人間でもなく、女性の人間でもなかったということになり、そうなると、アダムは――今日人間が存在する形における「真の人間ではなかった」ということになります。「性的区分のされてない人間」という、そのようなものは存在しません。

 

回答3.

もしアダムが男性ではなかったのなら、彼は私たちを代表する者にはなり得ませんでした。

 

神が「善悪の知識の木からは取って食べてはならない」(創2:17)と命じられた時、アダムは一人でした。(*エバは17節の時点ではまだ存在しておらず、彼女が造られたのは22節においてです。)つまり、エバの創造以前、最初に造られた者としてのアダムが、私たちの代表とみなされなければならないということであり、アダムはしばらくの間、罪を犯すことなく私たちを代表していたのです。

 

しかしここでもし、グルースイスが指摘するように、アダムが「性的区分のされていない人間」として造られていたのなら、初めの時点で、彼は私たちを代表し得ないということになってしまいます。というのも、それだと、彼は、「すべての点で, κατα παντα」(ヘブル2:17参)私たちと同じというわけではなかった、という事になるからです。

 

従って、この見解は、「アダム」と「キリスト」の全パラレルに相反・矛盾するものとなります(ローマ5:12-21、1コリ15:21-22、45-49)。そしてパウロは、このパラレルを、救済における神のご計画に必須のものと捉えていたのです。

 

訳者注:人類の代表としての「最初の人アダム」(1コリ15:45)と、「最後のアダム」としてのキリストというこのパラレルを、パウロが救済論における神のご計画に必須のものと捉えていたという点について。フェミニスト神学をバックボーンにしている《ジェンダー包括語訳》の試みは、その重大な聖書の真理を歪めるものであるとの警告が出されています。)


それだけではありません。グルースイスのこの見解が含意するものは、キリストの男性性をも脅かすものです。なぜなら、もしもアダムがしばらくの間、「性的区分のされていない人間」として私たちを代表していたのなら、それならキリストもまた、「性的区分のされていない人間」であってはいけない理由がどこにあるのでしょうか。

 

回答4.

聖書はこの見解を全く支持していません。

 

こういった対等主義の提示は、そこに存在しないなにかを聖書テクストの中に無理に読み込もうとする試みに他なりません。「女がアダムから造られる以前、聖書テクストはアダムのことを男性と言及していない」と言った後、グルースイスは、次のように続けています。「創世記1:26-27、5:1-2において、神はアダムを創造され、アダムは神に似せて造られ、そしてアダムは男と女に造られた("Adam was created male and female")とあります。」

 

しかし、ここでグルースイスは、翻訳についての根本的事実を理解し損なっています。――つまり、言葉(一つの単語)というのは、異なる文脈の中で異なる意味を取り得るということです。前述の『Brown-Driver-Briggs ヘブル語・英語旧約辞典』では、’ādāmの欄に、以下の三つの主要な意味が記述されています。

 

a man=人間。(創2:22、23、25、3:8、12、17、20、21における「女に相対するものとしての男」の意味を付与している。)

② collective man, mankind=集合的「人」、人類。(ここで他の諸聖句と共に、創1:26を言及している。)

③ proper name, masculine: Adam, first man=固有名詞、男性:アダム、最初の人。(ここで創2:20、3:17、25、5:1、3、4、5が言及されている。)

 

グルースイスはここで、意味③(固有名詞としての「アダム」)を取り上げ、そうしておいて、――神が男と女として人("man")を創造されたと記されている意味②の諸聖句に――それを押し付けているのです。しかしながら、グルースイスの意味する(人を表す固有名詞としての)「アダム」を、創1:26-27および創5:2に読み込ませるのは不可能です。なぜなら、数回に渡り、それが――男も女も含めた複数形である――「彼ら "them"」について言及していると、聖句が明確に規定しているからです。

 

創世記1:26、27

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 

グルースイスの見解が正当化されるためには、27節は「男と女とに『彼を』創造された」となっていなければなりません。同様に、創世記5章2節には次のように記されています。

 

創世記5:2

男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名をアダムと呼ばれた。

 

ここでもグルースイスの見解が正当化されるためには、この聖句は次のように読み込まれなければなりません。

 

「男と女とに『彼を(もしくは『それを』?)創造された。『彼が(もしくは『それが』?)創造された日に、神は『彼を(『それを』?)祝福して、その名をアダムと呼ばれた。」

 

しかし、聖書はそのようなことは言っていません。そして聖書は、「神ははじめに『人間(" a human being")』を創造し、その後、この人を、男性としての人間にした」とは言っておらず、「男と女とに彼らを創造された」(創1:27、新改訳)と言っているのです。つまり、アダムは創造されたその瞬間より男性だったのです。

 

回答5.

こういった見解は、人間のセクシュアリティーに対する、対等主義の「根深い憎悪」を表すものなのでしょうか。

 

このように対等主義者たちが、是が非でもアダムの男性性を否定しようとし、これまで私たちキリスト者が何世紀にも渡って理解してきた創世記1-2章の明確な理解に抗おうとしている姿をみるにつけ、私は次のことを思わざるを得ません。

 

――これは、人間のセクシュアリティー一般に対する彼らの根深い嫌悪感、ないしは、男性像・女性像そのもののあり方・考え方に対するある種の憎悪――そういったものの反映ではないだろうか?神がアダムを「男性として」創造されたという事実に対し、いったい何が彼らをして、ここまで不快にせしめ、また刃向かわしめているのだろうか、と。