巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

時は短い。(ロバート・マクチェーン)

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「神に近く生きなさい。そうすれば、永遠のリアリティーに比べ、他のあらゆる事がらが、あなたにとって些細なこととなっていきます。」Robert Murray M'Cheyne

 

「ロバート・マーレイ・マクチェーン説教集」より一部抜粋(引用元

 

時は縮まっていますthe appointed time has grown very short. ESV)。今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい。泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」 I コリ 7:29-31

 

この世で過ごせる時間は、つかの間にすぎません。あっというまに、すべてが終わってしまいます。また地上のものはみな変わりゆくものです。山々もぼろぼろの土くれになり、世界一美しい顔にも皺が寄り、どれほどきれいな着物にもしみがつき、朽ち果てていきます。

 

・ですから信仰者は、地上の何ものにも執着しない生き方をすべきです。すべてを永遠の光に照らして判断し、ものごとを本当の値打ち以上に重んじないようにしなくてはなりません。この世の物事、悲しみ、喜び、仕事などにふりまわされないようにしましょう。そうしたものを私たちは、すぐに永遠の現実ととりかえることになるからです。

 

私たちは、どれほど大切な人にも執着しすぎてはなりません。「今からは、妻のある者は妻のない者のようにしていなさい」。結婚はすべての人が尊ぶべきです。夫はキリストが教会を愛したように妻を愛すべきです。「そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません」。それでも妻を偶像にしてはなりません。既婚の信者は、ある面で独身者のようにしているべきなのです。

 

「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」。神が与えてくださった両親には、どれほど敬意と愛情を注いでもたりません。しかし、ある意味で私たちは両親などいないかのようにしているべきなのです。

 

親はわが子を愛し、主にあって訓育すべきです。しかし時が縮まっていることを忘れてはなりません。私たちは主から子どもたちを借りているだけです。たとえ主が、突然ご自分のものをお取り上げになっても驚いてはなりません。牧師には、その務めゆえに深い尊敬を払いましょう。しかし、ある意味で牧師などいないかのようにしているべきです。牧師など見たことも聞いたこともないかのように、ただキリストだけに全くより頼んでいることが必要です。

 

デービッド・ブレイナードが記している婦人は、自分の最も大切なものをも、すべて神のみこころに明け渡す信仰を持っていました。「もし神がご主人を取り去られたら、どうやって耐え忍びますか」と問われて彼女は、「あの人は私のものではありません。主のものです。あの人をどうなさろうと、主の自由です」と答えたということです。

 

この世の花々に心をかけないようにしましょう。それらはやがて朽ち果てていくものです。何にもまさってシャロンのばら、谷のゆりを尊びましょう。この方は変わることがないからです。