巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

「創世記2:18の『助け手』という語は、地位においてエバがアダムと対等である、ないしは、アダムより優位にあるという意味なのです」という主張はどうでしょうか。

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Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 3

 

レベッカ・グルースイス(Rebecca Groothuis)は『女性のためのグッドニュース』の中で次のように言っています。

 

「助け手("helper")」という語は、神に関する言及語としてもっとも頻繁に用いられています。そして神の地位というのは勿論、私たちのそれより優位にあります、、、それならば、女性の「助け手」としての呼称を理由に、女性が従属的な(下位の, subordinate)地位にあるということを結論する正当な理由はまったくないのです。Groothuis, Good News for Women, 134.

 

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それから、ギルバート・ビレジキアンは次のように言っています。

 

聖書の中で使われている「助け手」というヘブル語は、(召使や下っぱといった)下位にある人たち(subordinate person)のことを言及する語ではないということは、今や一般的常識となっています。この語は通常、神がご自身の民の間で慰めや救いのわざをもたらす際に、その神を指して用いられる語です。

 

従って、「助け手」という言葉は、女性の従属的役割という結論を導き出すために用いられている語ではないのでしょう。いや、むしろ、この語は、エデンの園にまだ女性がいなかった時の、男性の不備・欠陥や無力さを示しています。そして神は、男性に、この「救助者("rescuer")」を備えてくださったのです。Bilezikian, Beyond Sex Roles, 28.

 

スタンリー・グレンツも同様のことを述べています。

 

創世記2章18節、および20節を巡っての論議は、「ふさわしい助け手(‘ê-zer kenegdo, עֵ֖זֶר כְּנֶגְדֹּֽו)」という句の意味をどう捉えるかにかかっています。対等主義者は、「助け手とは、従属(subordinate)を意味する」と主張している相補主義者たちの意見に反論しているだけではありません。

 

対等主義者はまた、この語のヘブル語が明瞭に、男女の対等性を表しているということも論じているのです。例えば、アルヴェーラ・ミカルセン(Alvera Mickelsen)は、「聖書の中で、‘ê-zer(助け手)という語は、一度たりとも、従属を表す語として用いられたことはありません」と述べています。Grenz, Women in the Church (1995), 164. また、Brown, Women Ministers, 27も参照。

 

回答1.

助け手(ヘブル語では ‘ê-zer)という語は、神のことを表すのに用いられている語であり、それゆえに、助け手としての役割は、立派なすばらしいものです。

 

このヘブル語が、旧約聖書の中で、神のことを言及する語としてもっとも多く用いられているという点で、私も対等主義の人々に同意しています。例えば、「私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾」(詩33:20)、「私の助けは、天地を造られた主から来る」(詩121:2)などを挙げることができます。

 

ただし、この語はまた他の意味合いにおいても用いられています。事実、神がご自身のことを私たちの「助け手」とお呼びになる時、そこにはこの役割、そしてこの称号に対する威厳・栄誉も分与されています。

 

回答2.

助け手(‘ê-zer)という語によっては、「どちらが優位/劣位の権威ないしは地位なのか」という問いに解決はもたらされません。

 

「助けを与える人」は、「助けを受ける人」よりも上の立場にある場合もあれば、同等である場合もあり、もしくは下位の立場にある場合もあり得ます。上述したように、時に神は、「私たちの助け手」と呼ばれますが、その神は私たちよりも上位の立場(superior)におられます。

 

その一方、この「助け手」というのが、下位の地位/権威にある場合もあります。例えば、神はエルサレムの君主についてこう言っておられます。「わたしはまた、彼の回りにいて彼を助ける者たちや、彼の軍隊をみな、四方に追い散らし、剣を抜いて彼らのあとを追う」(エゼ12:14)。(*この聖書の事実が意味しているのは何かといいますと、「助け手」という語が、一度たりとも、下位にある立場や地位を表す語として用いられたことはないと主張する対等主義の人々の見解は誤っているということです。例:Aida Spencer, Beyond the Curse, p27. Bilezikian, Beyond Sex Roles, p28)

 

そしてこの名詞(‘ê-zer)と密接に関連する女性形は、――ある軍隊が別の軍隊を助ける時などのように――同等という意味でも用いることが可能です。例えば、神はユダの王にこう仰せられました。「見よ。あなたがたを助けに出て来た〔文字通りに訳せば、『助け手としてあなたがたの所に出てきた』〕パロの軍勢は、自分たちの国エジプトへ帰り」(エレミヤ37:7)。(筆者注:この節では女性形 ‘ez·rāhが用いられていますが、諸辞典では‘ê-zerと‘ez·rāhの間に意味の差異を置いていません。BDB, 740-41; NIDOTE 3:378-79)

 

さらに、関連する動詞(‘ă·zār)にまで考察の範囲を広げてみますと、より下位の地位/権威/権力の下におかれている誰かが、〔本人よりも上の立場にいる人を〕助けるといった例を豊富に見い出すことができます。(例:2サムエル21:17、1歴12:1)。ですから、「助け手」(‘ê-zer)という語だけでは、私たちの問題解決はなし得ないわけです。それは他の諸基盤の上に考察され、解決されなければなりません。

 

旧約聖書の中には神がご自身の民を助けるさまざまな方法が網羅されているため、当然のことながら、この語が私たちの助け手としての神への言及語として頻用されています。しかしながら、それ自体は、助け手が上位の地位や権力にある者であるということを必然化しません。そしてそれは、助け手が神聖であるとか、神のような者であるとかいうことを必然化しないのと同様です。ですから、助け手という語自体はただ――文脈が特定する方法の内にあって――「助ける人, a person who helps」という意味を持つにすぎません。

 

回答3.

「彼のための、、、助け手」として創造されたエバの事実は、アダムに益をもたらす助け手としてのエバの役割(a created role)を指し示しています。

 

創世記2:18を、〔孤立した単語としてでなく〕全体の文として読むことが大切です。前章でみてきましたように、神は、アダムに助け手を備えようとエバをお造りになられました。そしてエバは、神の創造の美徳(virtue)の内に、アダムと助け手としての機能を果たすようになりました。

 

創世記2:18

その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」

 

「わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」の「彼のために」は、ヘブル語で לּ֥וֹle-,"for him")です。訳者注:英訳では、"I will make him a helper fit for him."と"for him"の箇所が明瞭に訳出されていないため、筆者はヘブル語原典から説明しています。しかし日本語訳では、新改訳、口語訳共に「彼のために」とそこの部分が正確に訳出されていました。参照ココ。)

 

そして使徒パウロもこの事を正確に理解しており、1コリント11章で次のように書いています。

 

1コリント11:9

また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。(新改訳)

Neither was man created for woman, but woman for man.(ESV)

καὶ γὰρ οὐκ ἐκτίσθη ἀνὴρ διὰ τὴν γυναῖκα, ἀλλὰ γυνὴ διὰ τὸν ἄνδρα.( Nestle GNT 1904)

 

エバの役割、そして神が彼女を創造された時に神のこころにあったご目的というのは、彼女が、「彼のために、助け手になる」ということでした。対等主義の人々は往々にして、「助け手」という単語一個だけに関心を向ける傾向がありますが、この語それ自体では判断はつきません。そのためにこういった人々は、「彼のために "for him"」という句に含意されている関係性を使徒パウロが強調していた、という事実に目を向けることができずにいます。

 

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それと同時に、同じ文の中で神はもう一つのことも強調しています。それは、女性というのが、男性より劣等の存在として彼を助けるよう造られたのではないということです。そうではなく、彼女は、彼に「ふさわしい」助け手として造られました。ここの「ふさわしい」はヘブル語でkenegdōですが、この意味は、「彼に合う、調和する、一致する、相当する、対応する("corresponding to him")」であり、「同等かつ彼自身に適した」助け手であるということです(BDB, 617)

 

ですから、エバは助け手として造られましたが、――アダムと等しい価値を持つ同等の存在としての助け手――として造られたのです。しかも彼女は彼と異なっています。そして、その相違というのは、アダムという存在を見事に補完する(complement)ようなあり方で異なっているのです!

 

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翻訳後記:

「アーメン!」