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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

【特別寄稿】戦後 70 年、荒野で叫ぶ者の声(宣教師訓練センター 石野 博師)

荒野で叫ぶ預言者たちの声 福音主義教会の大惨事―この世への迎合精神について

 

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8 月 15 日は私たちの国にとって非常に意義深い日であることは誰もが否定しない。先の大戦が終わってすでに 70 年が経つ。

 

思えばイスラエルの民のバビロン捕囚の期間も 70 年だった。

 

来る終戦記念 日で 71 回目を数えるが、この日、この国の霊的捕囚のような歳月に終止符が打たれ、解放と回復、約束の地への帰還を告げるような、喜びの門出となることを願ってやまない。

 

しかし、その新たな出発 にあたって、直視せずには決して前に進むことのできない、極めて重大なキリスト者 としてのやり残しがあることを指摘したい。この 70 年を全体で振り返ったとき反省が促され強調されてきたと思う。

 

では一体何についての反省 であったのか。誰もが脳裏に想起するのは戦争責任についてではないか。キリスト教界においては特にその傾向が強かったと思う。

 

これに異論を唱える人は少ないと思うが、では一体、戦争責任と一括りに論じられてきたそれは、何についての反省であり、悔い改めであったのかをもう一度整理し、問い直してみたい。

 

そこで今から扱うテーマは戦前の神格天皇と偶像崇拝の問題である。残念なことに、当時の信者のほとんどすべてがこの軍門に下ってしまった。

 

ところがこれは、私たち信者にとっては生命線とも言うべき重要なテーマであるにもかかわらず、今まで戦争責任と言う大きな括りの中に埋没していたのではないかという疑念から、もう一度そこに光を当ててみようと試みる。

 

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天皇の神格化は、明治維新政府の王政復古と祭政一致の方針に基づき、1889 年の明治憲法の制定、 1890年の教育勅語に始まり、日清日露戦争を経てナショナリズムの高まりとともに強くなる。

 

そのような折、日中戦争の戦時下の特殊な状況を背景に、統制を目的とした宗教団体法が制定され、それに基づく政府の強い要請により 1941年 6 月 24 日、日本国内のプロテスタント 33 教派が日本基督教団として合同する。

 

このようにして日本基督教団は産声を上げた。やがて太平洋戦争を迎えるころになると、 治安維持法の改正もあり、さらに全体主義的傾向が強化され一層国体における天皇神格化は厳格になる。

 

西洋宗教として認知されていたキリスト教は、敵国への嫌悪感から人々の敵意と攻撃の対象になりかねなかったであろう。そのため日本のキリスト教界は、人一倍、愛国と忠臣に努めざるを得なかった。

 

そのような特殊な状況下で、我が国のキリスト教界は、決して超えてはいけない一線を超えてしまうこ とになる

 

統合された日本基督教団は自ら進んで、国民儀礼の様式を定める。

 

国民儀礼とは、国旗掲揚、君が代斉唱、宮城遥拝(=皇居に向かっての最敬礼)、を礼拝式に取り込み、さらには神社参拝を敢行し国家への忠誠心を表明した一連の儀礼である。

 

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          朝鮮人による宮城遥拝(引用元

 

1940 年 10 月 17 日の神嘗祭(かんなめさい)の日に、神武天皇即位紀元 2600 年を記念するための「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」が、 2 万人の信者を集めて青山学院で開かれた。

 

 

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       皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会(引用元

 

 

大会は宮城遥拝の国民儀礼で開始され、この日のために創作された天皇への「讃美歌」が歌われた。その後、集まった会衆はこぞって明治神宮に参拝したのである

 

 

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        「祝祭讃歌」を歌う1500人の聖歌隊(引用元

 

1942 年 1 月 11 日には、当時の統合された教団統理が伊勢神宮を参拝し、天照大神(あまてらすおおみかみ)に日本基督教団の発足を報告し今後の発展を祈願した。

 

そればかりか、各教会に神棚を設置して伊勢神宮の護符を祀るよう指導したのだ

 

さらにこの統理は、前身団体の議長時代の 1938 年 6 月末、当時日本統治下だった朝鮮に赴き、神社参拝を拒否していた朝鮮の長老教会の代表者 120 名に、神社は宗教ではないので、儀礼として参拝するよう説得にあ たった。

 

神社は宗教ではないので、儀礼として参拝するよう説得にあ たった。

 

もちろん彼らがそのような瞞着(まんちゃく)に屈するはずもなかった。信仰を貫いて殉教した朱基徹( チュ・キチョル)牧師 (1944 年召天)には次のように説得したという。

 

「諸君の殉教精神は立派である。しかし、我が政府は基督教を捨て神道に改宗せよと迫ったか、その実を示してもらいたい。国家は国家の祭祇(さいし) を国民としての 諸君に要求したに過ぎない。」と。

 

彼は、神社参拝を行う限りにおいて日本政府がキリスト教を容認して いる事実を示し、神社参拝の非宗教性を主張したという。

 

だがこの論は詭弁と言うほかない。弾圧と迫 害から教会と信者を守ろうと苦渋の選択をせざるを得なかった事情は察して余りある。

 

先人の名誉のために言うなら、多くの教師や指導者が妥協してしまった背景にあるのは、自らの保身ではなく、むしろ家族の身を案じ、さらには信者とその家族の身を案じたのだ。

 

つまり影響力ある指導者が国体に反旗を翻した場合の教界全体への影響を憂いたのだ。

 

当時の戦時下の集団ヒステリーを考えるなら、たとえ地方で起きた耶蘇教排撃運動であっても瞬く間に全国規模に燃え上がるような事態は想像に難くない。

 

その場合、特に矢面で苦しむのは、信者の子の学童や、信仰の弱者だろう。当時の指導者は弱い者らを案 じ、大胆な行動に出ることができなかったというのが最も真実に近いのではないか。

 

彼らの多くは、自分一人が迫害され、あるいは殉教することには何の躊躇もないような立派な指導者であったと信じたい。

 

しかし、直言することを恐れずに言えば、究極的には一切を主の御手に委ねて信じ従う以外の道はないのだ。

 

マルティン・ルターの「神はわがやぐら」という賛美は有名である。宗教改革者らは大きな試練と逆風の中で、神こそは避け所また力、すぐそこにある助け(詩編 46:1-2)という信仰の告白を歌った。日本語では讃美歌 267番がそれである。

 

4 節の歌詞に「我が命も、我が宝も、取らばとりね」とあるが、 実はあれはオリジナルのドイツ語の歌詞と若干異なる。「我が命も、我が妻子も、取らばとりね」というのが原詩である。

 

 

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                                               Martin Luther 

 

神の支配と恵みを信じ切った者の厳粛さと歴史をそこに認めることができる。いわゆる人本主義の道徳基準とは明らかに一線を画す。

 

日本の教会は、信仰を守る方法を誤ったと言わざるを得ない。彼らは妥協してキリスト教の延命を図ったのか。否、むしろキリスト教を殺してしまったのだ

 

信仰を取り上げられさえしなければ、神ならぬものに膝を屈してもよいというのか。

 

主の教会を守るのは人間の方法ではなく主の方法であり、信者が主のみことばを守るとき、みことばによって教会は守られ、信者がみことばを破壊するとき、教会は破壊されるのだ。

 

当時、教会による組織的な抵抗運動が起 きたドイツとは対照的に、日本では抵抗運動はおろか、抵抗の根拠となる聖句「人に従うより、神に従うべきです( 使徒 4:19、5:29)」から、教会、無教会問わず一度たりとも正当に説教が語られたためし がなかったと言われている(森本巌)。

 

残念だが、日本の教会はこの世の君に屈してしまったのだ。

 

 

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皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の司会者を務める富田満牧師(引用元

 

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しかし、当時の苦境の只中にも恵みの選びがあった。膝を屈めないほんのわずかばかりの信者もいたのだ。

 

美濃ミッション、中田重治(1939 年召天)監督下のホーリネス教団、ホーリネスの小山宗佑牧師補 (1942 年殉教)、改革派の岡田稔師等、その他ブラザレンや無教会派の教団に統合されることを拒否したごく少数者たちが、神社参拝に抵抗した。

 

1942 年から 1943 年にかけて 134 名が一斉検挙され7名の殉教者まで出したホーリネス系教会の弾圧事件はよく知られているが、実は彼らの逮捕は、積極的な国民儀礼の拒否や信仰告白のためではなく、彼らの再臨信仰の教理が、当時の改正治安維持法に抵触した受動的要因による逮捕だった。

 

これは締め付けと見せしめの色合いが強い極めて政治的な一斉検挙だった。

 

しかし「天皇かキリストか」と公権力によって究極的に迫られたこの事件で、75 人の主の僕が起訴され 信仰を守り通し抵抗した。

 

結果としてホーリネス系の第 6 部と第 9 部、教団に合同しなかった東洋宣教 会きよめ教会らは解散させられ、教師は辞職を余儀なくされる。彼らを一層悲しませたのは、同信であ るはずの教団からの切り捨てがあり、検挙や解散に対する賛辞すらあがったことだ

 

一方で、前述したように、日本とは対照的に、朝鮮半島では 1939 年までにおよそ 2 千人の信者がこの神社参拝を拒否し逮捕され、20 の教会が閉鎖され、50 名以上が殉教の死を遂げている。

 

太平洋戦争中にはさらに 2 千余名が投獄され、200余りの教会が閉鎖に追い込まれ、さらに 50 名余りが殉教した。

 

日本との大きな相違点は、彼らへの迫害は受動的な逮捕の結果ではなく、積極的な信仰告白と抵抗の結果だった。

 

その殉教者の血の叫びは、戦後、史上類のない韓国の大リバイバルにおいて実を結んだのだ。

 

また当時日本と同盟国だったドイツにおいても全体主義下での信仰の戦いを強いられた真の信者たちがいた。

 

彼らはドイツ福音主義教会の中で告白教会運動を展開し、ナチスの擁護者に成り下がった帝 国教会に対抗して立ち上がった。

 

この教会闘争では「神のことばは国家の上にある」ことを宣言し 憚 はばからなかった。1935 年には積極的な賛同者およそ 3 千名が立ち上がり、約7 百名が逮捕される。

 

1935年末には告白教会が非合法化されその勢いを失うものの 45 年までに 30 名ほどが殉教し主に栄光を帰した。

 

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さて、以上述べてきたような近現代史における日本のキリスト者の負の遺産ともいうべき記憶が我々の間で正しく認識、共有されているかといえば程遠いと言わざるを得ない。

 

信者の偶像崇拝の罪 は、戦争責任や戦争加担など国家の罪とは、はっきり区別されるべきものだ。

 

後者の罪も当然看過できないが、言ってもそれは人間の人間に対する罪だ。しかし前者のそれは、信者の神に対する罪であ り、後者のものとは比較にならないほど重い。

 

しかし前者のそれは、信者の神に対する罪であ り、後者のものとは比較にならないほど重い。

 

この罪は盗むことよりも、姦淫をすることよりも、殺 人することよりも大きい。過激な言い方をするなら戦争することよりも、原爆を落とすことよりも大きい。それは万死に値する罪だ。

 

私たちはこの偶像崇拝の罪の大きさに気が付いているのだろうか。

 

イスラエル史においては、この罪ゆえ王国は分断され、さらには北王国も南王国もこの罪ゆえに滅んだことは疑いようがない。

 

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戦後の日本のキリスト教界の反省が、この偶像問題を直視するよりは、国策における戦争問題ばかりに目が行っているのはなぜなのか。

 

国家の戦争責任やアジア諸国への謝罪は毎年のように聞いてきたし、政治体制、軍国主義への批判は何度も耳にした。

 

だが、前者に比べればまったくと言っていいほどキリスト者の妥協の罪に触れられないのはどういう訳なのだ。

 

無関心や無理解、短慮を勘案しても、「国がいけないのだ」「戦争がいけないのだ」「我々は被害者なのだ」と、そこに問題の本質の誤魔化しを認めざるを得ない。

 

権力によって強要されたことを大前提にしても、私たちは信者としての責任から逃れることができるはずがない。

 

より重大な信者の霊的不貞の告白と懺悔をなおざりにして、 戦争責任を告白しても、国策を非難しても、その声は虚しく響くだけだ。

 

そこに見過ごすことのできない重大な欺きと隠ぺい責任転嫁を認めざるを得ない。

 

イエス時代のパリサイ人や律法学者が、自分たちがメシアを殺してしまうほどに悪辣な者であるにも関わらず、かつて迫害された預言者や義人の碑を建てて自己義認したように、

 

我々は戦争責任の謝罪や国策批判という義人の碑を建てることによって、信者の罪という当事者意識から遠ざかり隠ぺい していないだろうか。主は前もって何度もおっしゃったではないか。

 

「わたしのゆえに、人々から迫害され、排斥され、悪口雑言を叩かれ、憎まれもするだろう、あるいは死にさえ至らしめられるだろう。僕は主人にまさるものではない。

 

人々がわたしを迫害したのな ら、あなた方をも迫害するだろう。体を殺してもそれ以上何もできない者どもを恐れるな。体も魂も ゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れよ。あなたがたは世にあっては患難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている、悪に対して善をもって打ち勝ちなさい」と。

 

主は、「その悪は来ない 」とは言わず、「その悪は来る」とおっしゃったのだ。

 

だとするなら、その 悪が来ないことを願うことよりも、より願うべきは、その悪が来た時に、それに打ち勝つ信仰と勇敢さ死に至るまでも全うする忠実さを求めるべきではなかったか。

 

もしあの時、私たちの先人が決死 の覚悟で偶像を拒絶して、「人に従うよりは、神に従うべきです」とはっきり告白し、団結して立ち上がる決意をしていたなら、地下に潜り共に集まって熱心に祈りを捧げていたならどうだったろう。

 

どれほど深く濃い、人知をはるかに超えた主の臨在が聖徒たちを覆いつくしたことか。

 

使徒の働きの時 の以来の火の降るような福音化運動が起きたに違いない。キリスト教の歴史とはまさしくそういうものだった。

 

我々は機会を逸してしまったのだ。

 

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一体迫害とは、殉教とは、私たち信じる者にとって如何なるものなのか。

 

私たちの人生はたった一度きりだし、生まれたのと同様に死ぬことが定まっている。何のために生きるのかが重要であるのと同様に、何のために死ぬのかも重要なはずだ。

 

何のために生きるのかが重要であるのと同様に、何のために死ぬのかも重要なはずだ。

 

だとするなら、もし人生のどこかの時点で、私たちの救いのために命をさえ投げ出して下さった方のために、文字通り私たちが命を賭して、この方への信仰と愛をはっきりと表し、殉ずることのできる機会を得たなら、

 

それは誰もがそう願ってもできるわ けではない、キリスト者としてこの上もなく冥利に尽きる、栄えに満ちた喜びの時だったのだ。

 

あの時代、日本にしても、朝鮮にしても、ドイツにしても、なぜあのような試みを通らされたのか。

 

神がいなかったからか。神に見捨てられたからか。神に呪われたからか。

 

無論そうではない。むしろその逆で、それは紛れもない選びだったのだ。

 

キリスト教の歴史を振り返るとき、歴代の聖徒たちの殉教と迫害の礎の上に私たちの信仰は堅く据えられている。

 

 

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      アナバプテスト殉教者 Anneken de Vlaster姉(1571年)

 

 

そしてその礎石は、信仰の創始者であり完成者である我らの主イエスなのだ。

 

確かに私たちは、人間がどんなに願っても得ることのできない特別な招きの中にあった。

 

あるいは世界のキリスト教史の転換になり得る大きな召命を私たちは 受けていたかもしれない。

 

神が愛でなかったからではなく、むしろこの方が私たちを愛して愛してやまなかったので、私たちをご自身に引き寄せずにはおれなかったので、あの試みを許されたのだ。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

私たちはその御旨を損なってしまった。

 

その招きをドブに捨ててしまったのだ。只々胸を打って泣くしかない。荒布をまとって灰の中に伏して泣くしかないはずだ。

 

私たちキリスト者はこの 70 年、一体、何を嘆き、何を悔い、何を省みてきたのか。失敗したのは国家ではなく、信者としての我々ではないのか。

 

失敗したのは国家ではなく、信者としての我々ではないのか。

 

しなければならないのは国家の罪の悔い改めではなく、主に対する我々の信者の罪の悔い改めではないのか。

 

ホーリネス系教会の一斉検挙で逮捕され、厳しい拷問と極寒を、終戦までの実に3 年 5 ヶ月もの間、獄中で耐え忍んだ札幌新生教会の伊藤馨牧師がいる。

 

彼が召天される 3 年前の1958 年、次のように述べている。

 

「戦後日本には、題目を言い出す人もいなかったし、指導教育する人も欠けていた。これは日本をして二重の敗戦に招いたことになったのではあるまいか。

 

その主導権は宗教がとるべき筈であった。しかし何れの宗教がその実力をもっていたか。他宗はともかく、我々キリスト教界にとってもまことに無力であったことは事実である。

 

何も新しい学説やイデオロギーでなくとも、旧い旧いキリストの福音で充分だったのである。

 

それが、長年おどかされ、ゆがめられ、骨抜き同様にせられ、水割りさ れた酒、酒の臭いもせぬ水酒になっていたんじゃ、とても振る舞いの座には出されぬわけであった。」

 

敗戦を喫した日本人の心の穴を埋めるもの、それはキリストの福音以外になかったはずだ。

 

国土のみ ならず身も心も焦土と化したあの焼け野原で、一体誰が希望のことばを語り得たか。

 

あの憔悴と絶望 の敗戦の荒野で燦然と輝く希望を断言し宣言し叫ぶことのできる者は一体誰なのか。その使命を帯び それができる地球上の唯一の種族、我々キリスト者を別として一体だれにそれができたというのか。

 

あの時確かに人々は、口先だけではない本物の希望のことばを必要としていた。しかし、私たちは、 彼らの悩める魂にそれを運びえなかったのだ。

 

あの日 1945 年 8 月 15 日、玉音放送とともに敗戦を迎 えたのは大日本帝国だったのか。いや、あの日敗戦を迎えたのは、我々キリスト者ではなかったの か。

 

いや、あの日敗戦を迎えたのは、我々キリスト者ではなかったの か。

 

あの時代、愛する家族や郷土、国土を守るために紺碧の南海に散って行った若者たちの命がけの人生というものを、人々はまざまざと見せつけられていた。

 

まして私たちは、命の代価を払って私たちを買い取ってくださった唯一の君のために、命がけの戦いを挑むべきではなかったのか。

 

信仰の戦いを立派に戦い抜いて迎えた終戦どころか、保身と妥協の後ろめたさを見て見ぬふりし、何とかやり過ごしてようやく逃れてきたキリスト者の言葉に、一体どんな力があったというのだろう。

 

確かにあの日敗戦を迎えたのは我々なのだ。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

後の最大の欺瞞は、天命に背いた妥協を悔いて、金の子牛を焼き砕いた泥水を飲むような、転げまわるような心痛とか、はらわたが引きちぎれるような悲しみとかが、我々信者の間に一瞬たりともあったのかと言うことだ。

 

戦後の日本キリスト教は毒にも薬にもならない道徳宗教に成り下がってしまった。

 

その教えが本来持っているはずの雄々しさと勇ましさ、力強さとが去勢され、果ては一部 のキリスト教徒が、国旗国歌に反対し、天皇制反対を訴えて政治運動を繰り返している。

 

本稿では政治運動や批判を展開する意図は毛頭ない。信者がどのような政治信条を持つともそれが非聖書的でない限りにおいては個人の自由だ。

 

しかし、それらの反対活動の動機が何であるのかを点検してみる必要はある。もしそれが歪んだ被害者意識に基づく反動であるなら、極めて不健全であると言わざるを得ない。

 

現在の日本は、良くも悪くも敗戦を通じて、戦後は一貫して自由と民主主義、人権や人道という価値観を西側諸国の一員として共有している。

 

国旗にしても国歌にしても、また天皇制においても、戦前のそれとは意味合いが全く違うのだ。

 

それと戦うことが意味を持つとするなら、私たちの信教の自由が脅かされ制限されていた時代においてであり、現代においては全く意味をなさないばかりか、キリスト者が、かつて暴力革命を標榜していた政治団体と同一視される誤解さえ招きかねない。

 

人食い熊が大暴れして手が付けられないときに勇敢に立ち向かうならそれは意味があるだろう。

 

ところがその時には臆病風に吹かれて物陰に隠れて怯えていた人が、熊が猟友会に射殺されて無害になったのを見計らって、鼻息荒くのこのこと現れ、一生懸命に死んだ熊を叩いているのなら、傍目には失笑も出ない滑稽な姿だ。

 

約束の地への挑戦を主張したヨシュアとカレブの声を退けて、十人の臆病者 の声に聞き従ってしまったカデシュ・バルネアの決着はもうすでに着いており、抵抗して立ち上がる べき機会はすでに失われてしまったのだ。

 

あの時の応えるべく召しに応じることのできなかった日本のキリスト教の戦後の歩みは、まるで負け犬の遠吠えのような政治批判と社会運動と内紛、組織防衛 に明け暮れ、目的なく彷徨う荒野の放浪者のようではなかったと誰が断言できよう。

 

召しを失ってし まった民の悲しい末路とでも言おうか。

 

この国のキリスト教が、他のキリスト教国と比べても特異的に反体制反国家的であることと、過剰なまでの軍隊アレルギーがあることの根底に一体何があるのか。そこには、立ち向かうことから逃げ、召しに従うことのできなかった敗北感と、見当はずれの被害者意識の責任転嫁があるのではないか。

 

そこには、立ち向かうことから逃げ、召しに従うことのできなかった敗北感と、見当はずれの被害者意識の責任転嫁があるのではないか。

 

戦争責任の謝罪とアジア諸国との和解を叫びながら、実のところ国家としての日本と和解ができてないのは、他ならぬ日本のキリスト者ではないのか。

 

もしそうであるなら、それは不幸なことだ。私たちは創り主との関係において、日本の国民であることと無関係でいることはできない。

 

ある一定の特殊な時期に、国家や公権力によって虐げられたということが日本のキリスト教徒にとってトラウマになっているのなら、その糸のもつれは解かれなければならない。

 

父親に虐待されて育った子供が、家庭に父親なんていらないと堅く信じているなら、それは不幸なことだ。その子に必要なのは父親のいない家庭ではなくて、正しい父親像の回復である。

 

すなわち、本当の父親とは、子に降りかか る危険を自らの身に受けてでも自分の子供を守るものだという、正しい父親像の回復である。

 

軍隊や警察を含む公権力が、キリスト者も含め自国の国民や市民を虐げるようなことは本来的なことではな い。

 

それは聖書的世界観に照らしてもそうだ。彼らの使命は国民を守り、法秩序の番人として、悪を罰し、正しい者を称賛するために立てられている神の僕なのだ。

 

もし私たち日本のキリスト者にとっ てこの正しい国家像が歪められているのなら、そこに癒しと回復がもたらされなければならない。実は日本の国家と和解しなければならないのは、今やアジア諸国ではなく、日本のキリスト者ではないのか。

 

実は日本の国家と和解しなければならないのは、今やアジア諸国ではなく、日本のキリスト者ではないのか。

 

勘違いの無いように付け加えるが、これを言うのは、戦後アジア諸国との和解に努めてきた兄姉はじめ、多くの日本人の努力を否定するものでは決してない。それどころか大いに評価する。彼らの和解の働きがあってこそ、現在アジアの中の日本があるのだ。

 

だからこそ、今どうだろう。そこから一歩進んで、日本のキリスト者よ。国家としての日本と和解する時ではないのか。虐げられた傷と トラウマがあるなら癒されるときではないのか。

 

自由と民主主義が守られている限りにおいては、もう少し国というものを信頼し、むしろ彼らが立てられていることに感謝すべきではないか。

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戦後70 年の最後に、教会と国家が健全な姿を取り戻すことを願う。

 

私たちの国籍は天にあるのと同時に、日本人であることをやめるわけにはいかないのだ。あなたや私の生まれた家庭も、地域も、国籍も、それ は偶然ではなく愛なる創り主にある選びだからだ。

 

痛みの伴う話を列挙したが、一つの朗報がある。それは時が満ちるなら必ず新たな機会が訪れるということだ。

 

立ち上がることのできなかった世代が 40 年の荒野の放浪で絶え、やがて新たな世代が立ち、新たな機会が訪れる。もしあの時の試みが、私たち日本人キリスト者が飲まなければならない杯であったなら、将来のいずれかの時点で、必ず同じテストが訪れる。

 

もしあの時の試みが、私たち日本人キリスト者が飲まなければならない杯であったなら、将来のいずれかの時点で、必ず同じテストが訪れる

  

過去のある時点で怯むことなく 立ち向かった先人たちの犠牲の血と足跡の上に、今を生きる聖徒たちの結実があるなら、いずれかの世代がこの試みを突破し、道を作り、川向うに渡らなければならない

 

だからこそ今、約束の地に向 けて、悔い改めの霊的再武装、再決心が必要なのだ。これは誰か犯人を挙げてやり玉にして断罪しようという事では決してない。

 

平和と繁栄を極めた現代から、当時の狂瀾怒濤の時代を生きた先人たちを裁くような視点は厳に慎まなければならない。

 

そうではなくてむしろ彼らと共に膝を折って主にお詫びしたいと願うものであり、ともに泣きたいと願ってやまない。恵みによらなければ、誰もあの迫 害に耐えることはできなかったであろう。

 

ましてや殉教に至ってはなおさらだ。決して裁くためではない。何が正しく何が誤りで、何を悔い改めるべきなのか、今一度整理し、明記し、共有し、今の世代と次の世代のためにもう一度そこに光をあて、悔い改めて霊的再武装、再決心を果たすのだ。

 

今、我々が問題としていることは、主のことばを否んだ弱さの戦前の問題と、信者の罪が国家の罪の陰に隠され、キリスト者の責任がなおざりにされてきた戦後の問題の二つだ。

 

この際、責任を明確化するために、国家の罪と信者の罪とは切り分けて考える必要がある。我々の責任は世の支配者の前に屈してしまったことであり、この点で私たちは紛れもなく当事者だ。国家の責任は、基本的に私たちの責任の外にある。悔い改めるべき核心が混同されても転嫁されてもいけない。欺かれてはいけない。

 

悔い改めるべき核心が混同されても転嫁されてもいけない。欺かれてはいけない。

 

被害者意識と責任転嫁とは私たちの福音に逆行する。

 

殉教の死によって神に栄光を帰すことをお示しになった主イエスのことばに答えて、「この弟子はどうなるのですか。」と問うたペテロの愚行を繰り返すのはやめよう。主イエスの私たちに対することばはただ「あなたは、わたしに従いなさい。」なのだ。

 

やむをえないなら、死に至るまでも信従するまでではないか。それ以外のことはそれ以外の ことだ。

 

だからこそ、今はっきり信者の罪として、70 年前の失敗と戦後の欺瞞を告白して、主体的に悔い改めよう。私たちの神は、絶望ではなく、将来と希望を与えるために「悔い改めよ」と言われるのだ。

 

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最後に今の世代と次の世代のために、妥協的信仰の原因とは一体何だったのかを考察してみたい。 実はそこにある一定の傾向を見出すことができる。

 

つまり、そこには信者のみことばに対する態度が 大きく関わっている。

 

日本においてはもちろん、ドイツ、朝鮮でも、問題の核心がここにある。すなわち、我々の聖書観の問題だ。それは何も難しいことではない。神のことばを神のことばとして受けとる。この態度は極めて正常であり、初めから聖徒らが受け継いできた当然の在り方だ。

 

朝鮮宣教初期の祖は、ピューリタンの流れとメソジストの流れを汲む聖書的な教師たちだった。

 

また同じく朝鮮の宣教の祖として知られるネヴィアスは、各地に聖書研究を推進した。彼らは神のこと ばを熱心に学び、まっすぐ受け取った。

 

ドイツの教会闘争では“神の言葉の神学”が再確認され、運動の支柱をなした。告白教会以前のド イツでは聖書の使信が人間の言葉とヒューマニズムの中に呑み込まれつつあった。ところが真理が国家権力の激しい攻撃にさらされたとき、教会は再び息を吹き返し、本来それがあるべき正しい位置に 神のことばを戻した。

 

ところが真理が国家権力の激しい攻撃にさらされたとき、教会は再び息を吹き返し、本来それがあるべき正しい位置に 神のことばを戻した。

 

日本でも、国体主義下で偶像崇拝を拒んだ多くの信者たちの共通点はこの聖書 観だった。

 

中田重治監督下のホーリネス教団然り、ワイドナー婦人宣教師が指導した美濃ミッション然り、改革派の岡田稔師然り、ブラザレンやセブンスデイ他、教団への合同を拒んだ少数派の信者たちも然り、彼らは 66 巻の正典すべてを誤りなき神のことばとして受け取った信者だった

 

聖書は、ある部分は神のことばであり、ある部分はそうではないというような読み方を許さない。すべてが神のことばであるという前提に少しでもほころびが生じるなら、すべてが怪しいということ になる。

 

すべてが神のことばであるという前提に少しでもほころびが生じるなら、すべてが怪しいということ になる。

 

どの部分が神のことばで、どの部分がそうでないかということが人間の判断に委ねられるとするなら、その判断自体が不完全、不確かなので、結果として全体の信頼性に疑いが生じる。

 

聖書は 一点一画が崩れれば、すべてが崩れる真理の構造体なのである。それによって生じる結果は、信仰と生活の絶対的基準であるはずの正典が、無いよりはあったほうが良い、よく言って心温まる詩歌集程度の、道徳宗教の神話くらいのものに貶められてしまうのだ。グレーゾーンで妥協を図る日本人には、聖書を文字通り信じることがとても難しい。

 

グレーゾーンで妥協を図る日本人には、聖書を文字通り信じることがとても難しい。

 

良くも悪くも 和を好む国民性が、聖書をいかに読むかということ、つまり我々の聖書観に決定的に関わってくる。

 

例えば、宣教師を支える約束献金について言えば、個人レベルにおいてさえ忠実に守り通すのは概し て欧米の信者が多い。彼らは、歴史的にその聖書観を通じて彼らの契約概念を体得しているのだ。

 

一 方、契約規範のいい加減さは、私たち日本社会のいたるところに瞥見できる。道交法の制限速度はどう考えても遵守するようには設けられていない。

 

+20km/h までは暗黙の了解で、警察も取り締まることを控えているとかいないとか。またこの国の法律では個人でも組織でも公営意外の賭博行為は禁止されている。

 

ところが 三点方式と称して公明正大にパチンコ店では賭博行為が黙認され、マッサージ 店と称して数え切れないほどの違法であるはずの売春行為が摘発をまぬかれている。

 

さらに深刻なケースになると、国家の根幹に関わる憲法ですら、中学生もあきれる二重基準だ。自衛隊は明らかに軍隊である。こんな誤魔化しを戦後 70 年も公然と放置してきた。文言に対するいい加減さは、私たちの聖書観に大きな影響を与えている。

 

この傾向がさらに深刻に顕在化したのが国体下におけるキリスト 者の神社参拝問題である。

 

実際、当時の明治憲法下では信教の自由が認められていた。では国体下に おける国家神道とは一体何なのか。あれは公権法解釈上、宗教とは認められていないので信教の自由を認めた明治憲法とは何ら矛盾しないというのが理屈なのだ。これはどこかで聞いたことのある言い 回しではないか。

 

そう。現在の日本国憲法下における自衛隊の解釈と同じだ。解釈上軍隊ではない。 解釈上宗教ではない。この一四半世紀、日本人は何をしていたのか。まったく進歩していないのか。

 

まして言葉の宗教 と言っても過言でないキリスト信者がこの事実に違和感を覚えないのだ。言葉に対する確信は、私たちの救いの確信にも関わる。私たちは文言に対して誠実であるべきだ。

 

憲法上の信教の自由を個人として問うことになったのは 1891 年の内村鑑三の不敬事件が有名である が、キリスト者の神社参拝拒否問題で、教会として全国的に問うことになったのは 1933 年の美濃ミッ ション事件であった。

 

聖書信仰に立つワイドナー女史が指導するこの小さな群れの神社参拝への抵抗は、1920年代後半からあったが、1933 年 9 月 1 日の読売新聞の偏向した扱いで邪教のごとく全国的に報道され、瞬く間に批判の渦中にさらされた。

 

資金的に太刀打ちできないこの小さな群れのささや かな対抗手段は、翌月 10 月 5 日に全国のキリスト教会や諸団体宛てに発送した 4500 通にものぼる真 相発表文「全国基督信徒に告ぐ」で飛檄することくらいだった。

 

神社参拝問題でかねてから美濃ミッ ションを応援していた中田重治師、堺日基中央教会の齊藤敏夫師、一麦の松原和人師、救世軍深川小隊、激励や同情の手紙を寄せたいくらかの個人や地方教会があった以外は、キリスト教界全体としてはこの小さな群れの悲痛な叫びを黙殺した。

 

太平洋戦争中の厳戒態勢に比べれば、この時点では幾分まだ、教会が団結して信教の自由を求めて反対運動を展開する余地は十分にあったはずだ。

 

また有力 な政治家に通じて、キリスト教徒の立場を行政に説明し働きかけることも可能だったろう。ところが、大勢はかかる火の粉を振り払うために、実直に聖書を信じる美濃ミッションに“根本主義者 ファンダメンタリスト ”と 狂信者呼ばわりし、トカゲの尻尾切りを謀ったのだ。

 

そもそも主流派とされる信者の大半が、神社参拝に何の問題意識も持っていなかったことこそが大いに問題であり、根底にあるのがその聖書観なのだ。

 

根底にあるのがその聖書観なのだ。

 

国家や憲法、法律を超えたところに、私たちの唯一絶対の基準である神のことばがあり、どこをどう読んだとしても、国家神道に額づくことを容認するような結論が出るはずがない。

 

彼らにとって聖書は誤りを多数含んでおり、信仰と生活の絶対的基準足り得ない、せいぜい参考書程度の物で、人生や命を賭けるに値するものではないのだ。この聖書観は彼らに逃げ口実を与えたのではないか。

 

1941 年の日本基督教団結成にあたって、教派合一に神学的な裏付けを与えたのが簡易信条主義だ。簡易信条主義とは、教会の信条、信仰告白を出来るだけ簡易にし、その規範性、拘束性を最小限のも のとする主義である。公会主義の合同教会では必然的に簡易信条にならざるを得ない。

 

日本のプロテ スタント教会に多大な影響力を与えた植村正久師は、“信条制定に関する意見”で、日本に 16 世紀のルーテル派によるアウクスブルク信仰告白、17 世紀のカルヴァン派によるドルト信仰基準、ウェストミ ンスター信仰告白など、聖書の無謬(むびゅう)性に立脚した信仰告白を、“化石然たる信条”と見なして必要ないとした。

 

彼曰く「化石然たる信条を固守し、将来に争いを起し、分裂を生ずるの種子をこの伝道の春 に播(はし)置かんとするに至りては、余輩ますますその不可なるを知る。」

 

「日本国キリスト教徒は、その 信条をなるべく自由寛大にして十分に進歩の余地を与え、協和の根基を固うせざるべからず。」と述べている。つまり真理よりは和なのである。

 

真理よりは和なのである。

 

和解すること、和合すること、争いのないことが目的化することには十分注意を払う必要がある。偶像崇拝のように、譲ってはいけない真理に妥協するような轍は二度と踏んではいけない

 

人間の目に好ましく見えることがあっても、真理に妥協して真の平和はあり得ない。真理を捨ててまで和を追求するなら、もはや我々は“みことばの民”とは言えまい。

 

神のことばを神のことばとして受け取る。これがみことばの民である私たちの正しい態度だ。この点に おいて妥協は許されない。感謝すべきは、あれほどにひどい時代であったにもかかわらず、私たちに残された一つの希望がある。それは決して妥協しなかった本物の少数者がいたという事実だ。

 

かつてイスラエルに 3 年半雨が降らなかったとき、バアルの預言者 450 人と対決したエリヤのことばを通して、主は再び今の時代に語り掛けておられるのではないだろうか。

 

「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」

 

列王記第一18 章 21 節 預言者エリヤは、北王国イスラエルを埋め尽くすバアル崇拝と対決した。その結果、一滴の雨も降 らない 3 年半の大干ばつが終わり、全土を覆い尽す激しい大雨が地を潤した。我々が今、この国を覆すような大リバイバルの大雨を期待するなら、この世の神との対決は不可避である。

 

我々が今、この国を覆すような大リバイバルの大雨を期待するなら、この世の神との対決は不可避である。

 

ましてや、信者 である我々が屈してしまったことを有耶無耶にしては決して前に進むことはできない。どっちつかずによろめいていたような態度には、きっぱりと今決別を果たさなければならない。

 

主は、どんなに時代が悪くても、いつの時代にも本物の少数者、残りの者を握っておられた。エリヤの時代、国が暗黒 に閉ざされたかのように見える最悪期でさえ、イスラエルに残りの者が絶えた事はなかった。バアルに膝を屈めない 7 千人とはそういう人たちのことだ。

 

我らの祖国が真っ暗に閉ざされ軍国主義と全体主義の暴風が吹き荒れる只中にあった時でさえ、神は、この国においても神であり、バアルに決して 膝をかがめないこの国の残りの者を握っておられた。

 

そして今に至るまで、この世の神々が跋扈する 異教のこの国にあってすら、我らの主は全く変わることなく、ご自身を唯一の神として啓示しておられる。

 

いたんだ葦を折ることなく煙っている燈心を消すこともない。誰の目にも止まらないようなほんのわずかばかりの者、バアルに決して膝を屈めない今の時代の残りの者を握っておられる。

 

誰の目にも止まらないようなほんのわずかばかりの者、バアルに決して膝を屈めない今の時代の残りの者を握っておられる。

 

この国 のキリスト者は、人口比で 0.2%から 1%程度と言われて久しい。しかし数が多いか少ないかと言うこ とは問題ではない。本物の信仰があるかないかと言うことこそが問題なのだ。

 

この“時の声”を聞いて立ち上がる者よ。あなたもまた、この国の残りの者ではないのか。神はまだこの国を見棄てておられないし、見離してもいない。残りの者がいると言うのはそういうことだ。

 

この国の片隅で、私たちは今も大胆に宣言する。“イエスが統べ治めたもう”と。この問題に対して光を当てずにして、私たちの戦後は決して終わらない。

 

戦後の霊的捕囚のような 70 年を終えるにあたって、過去を清算し前進するためにも、我々の失敗を記憶し、明記し、共有しよう。そこから悔い改めて立ち上がろう。

 

この国の心ある残りの者よ。この時、ともに膝を折って主の 前に悔い改め、エリヤの日のように“主こそ神です”と声高らかに宣言し新たな季節に出発しよう。

 

ーおわりー

 

宣教師訓練センター 石野 博師による特別寄稿

 (本文中の傍線、強調はブログ管理人によります。)