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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

その時代を生きる預言者というのは、神によって完全に受け入れられる一方、人からは全く拒絶される存在である。(レオナルド・ラーベンヒル)

荒野で叫ぶ預言者たちの声 福音主義教会の大惨事―この世への迎合精神について

 (自ブログ「地の果てまで福音を」からの再掲載)

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その時代を生きる預言者というのは、

神によって完全に受け入れられる一方、

人からは全く拒絶される存在である。

 

彼らは、危機的な時代に 神によって備えられし緊急人(emergency men)である。そして、そういった預言者の払うべき代価― それは、彼が孤独のうちに生きなければならないということである。

 

偉大な神の人というのは、これまで例外なく、非常に、非常に、孤独な人であった。

 

「預言者の機能は、」とオースティン・スパークスはかつて言った。

「ほとんど常に、回復をもたらすためのものである」と。

  

預言者は、失われし宝を探し当てる神の探偵である。そして彼の有用性の度合いは、この人の「不人気度」によって決定される。

 

妥協というのは彼の知らざる所のものであるからだ。

 

神の人は、その顕現の日まで隠されている。しかしやがて現れる。

 この人はその務めの間、日々、苦しみのパンを食べ続け、その一方において、彼に聴く者に、いのちのパンを供給する者である。

 

 

福音主義キリスト教内には今日、とてつもない空白がある。

そう、預言者の不在である。

 

尋常でない炎を宿す人。

この世的な一切のものから離れている人の不在である。

 

この種の人間は、他の人から―他の善良な人々からでさえも―拒絶される。なぜなら、彼らの目に、この人はあまりにも厳格でいかめしく、打ち込み方も尋常でなく、あまりに否定的かつ非社交的に映るからである。

 

おお 彼をして バプテスマのヨハネのように簡素たらしめよ。彼をして、しばしの間―現代神学および、よどんだ「教会主義」という名の荒野で叫ぶ「声」となさしめよ。

 

彼をして、使徒パウロがごとき無私の男とならしめよ。 彼をして、「我は、この一事に努める」と言わしめ、かつ生かしめよ。彼をして、教会的人気をことごとく拒絶せしめよ。

 

彼をして、自己否定者、

「非」自己追及者、

「非」自己アピール者、

「非」自己義認者、

「非」自己顕示者、

「非」自己実現者とならしめよ。

 

彼をして、自己に人を引き寄せるいかなる試みを拒絶せしめ、ただひたすらに、人を神の元に引き上げることのみを言わしめよ。

 

日々彼をして、聖なる神の御座―神よりの指示を受けし部屋―より出さしめよ。物欲的な催眠状態にかかったこの時代において、彼をして、―財貨のガチャガチャいう音で耳が鈍くなっている―何百万人の耳を開かしめよ。

 

彼をして、今世紀未聞の「」を持って泣かしめよ。

 

なぜなら彼は、今世紀誰も見ることのなかったある幻を見たからである。

 

「超」物質主義という荒野―。そこでは 情欲という名の毒蛇がわれわれに噛みつき、―霊的にまったく盲目の―啓蒙家たちが、到来しつつあるハルマゲドンに我々を導こうとしている。

 

おお神よ、〈モーセ〉をわれらに送りたまえ。

そして、我々をこの荒野から導き出したまえ。

 

神よ、我々を憐みたまえ!

そして我々の元に預言者を送りたまえ!