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巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ディダケー(12使徒の遺訓:Διδαχή των Δώδεκα Αποστόλων)第1章 いのちの道①

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ディダケー(十二使徒の遺訓、コイネーギリシア語: Διδαχή)は、「教え」を意味する、初期キリスト教の文書です。

 

十二使徒の教えと伝えられていますが、多くの学者によって1世紀後半から2世紀初頭に成立した文書と考えられています。(参照:ココ

 

ギリシャ語本文は、このサイトから転載しています。また、本文の日本語訳及び章タイトル名はブログ管理人によるものです。

 

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 1873年に発見されたディダケ―写本のタイトル部分(引用元

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美しいフランスとそこに息づく美しい人々

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Head Covering Movementで共に翻訳の働きをしているフランスのカロリーヌが家の近くの写真を撮って送ってくれました。

 

目の覚めるようなブルーと若緑。彼女は、フランスの片田舎に居を構えているのですが、なんとそこはGPSにも探知されないくらい鄙(ひな)びたところにあるのです。

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私がクリスチャンの教理論争史を愛しんでいる理由――Exclusive Psalmody Debateの事例から【キリスト礼拝の本質を考える】

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私は、クリスチャンの教理論争史にとても興味があり、それらの文献を読むのが好きです。そして今日はみなさんに、私がなぜExclusive Psalmody Debate(礼拝時に詩篇歌だけを歌うべきか否かの論争)を愛しているのか、その理由をお分かち合いしたいと思います。

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他者理解/相互理解としてのディスペンセーション主義考究シリーズ最終回㉒「物理的な王国」「未来におけるユダヤ人信者たちの役割」「シンボルの深み」 (by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大 新約学)

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Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists

Westminster Theological Seminary, PA, summer, 1986

(目次はココです。)

 

追記―1993年

 

1987年の初版以来、私たちは、本書3章でみてきたような、修正ディスペンセーション主義そして「神のひとつの民」型ディスペンセーション主義の、さらなる進展を目の当たりにしています。

 

特に、最新の発展具合を、Craig A. Blaising and Darrell L. Bock, eds., Dispensationalism, Israel and the Church (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1992)1の著書の中にみることができます。

 

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Craig A. Blaising(南西バプテスト神学校)

 

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Darrell L. Bock(ダラス神学校)

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他者理解/相互理解としてのディスペンセーション主義考究シリーズ㉑ 「キリストにあるイスラエルの成就」(by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大 新約学)

 

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いのち、そして有機体

 

Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists

Westminster Theological Seminary, PA, summer, 1986

(目次はココです。)

 

 

古典的ディスペンセーション主義を特徴づける中心的原則は、イスラエルと教会の「パラレルにして別々な宿命」という原則です。それによると、イスラエルと教会は神の二つの民であり、一つは地上的、もう一つは天的です。

 

この章では、この原則を組織神学の観点からご一緒にみていきたいと思います。しかし覚えていただきたいのは、現在、多くのディスペンセーション主義者はパラレルな二つの宿命というこの原則を修正しています。それゆえ、本章の考究はそういった方々には当てはまらないかもしれません。

 

一方、この「二宿命原則」を保持しておられる方々にとって、その原則への最も鋭利にしてダイレクトな挑戦は、キリストにある成就に関する聖書的教えの省察より生じてきます。

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巡礼者

好むと好まざるにかかわらず、人はさまざまな肩書や称号や名称を自分自身につけたり、他人につけられたりしながら生きています。みなさんにはどういう称号(title)がありますか?

 

このブログのタイトルにもあるように、私は巡礼者(pilgrim)という称号をとても気に入っています。巡礼者と聞くと、なんだか途端に土やら草のにおいがしてきて、そうすると「称号」というお堅い漢字が拍子抜けしてきょとんとしている感じがして、そこがすごく好きなんです。

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奥まった森林を歩いていたら

親愛なる私の姉妹へ

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奥まった森林を歩いていたら、上のような可憐な花をみつけました。

 

狭く、身動きのとれない場所にあなたはいます。

〈私には、移動の自由はありません。〉

 

細い根と、細い茎でやっと立っています。

〈だから乱暴な風さん、どうか私のところには来ないでください。〉

 

ああ、あなたは美しい。

あなたのその小さな身には、

創造主の美がくまなく映し出されています。