Fr. Matthew Baker(♰2015), "A Great Sign" (Rev. 12:1): A Homily on the Dormition of the Theotokos, Aug.15, 2014(抄訳)生神女就寝祭の日に
また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。(黙示録12章1節)
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Fr. Matthew Baker (♰2015) on Reading Orthodox Material (拙訳)
現代神学者の中で一番無難なのはやはり、ゲオルギイ・フロロフスキイ(1893-1979)でしょう。正教界内に存在するあらゆるスペクトルにあって今日に至るまで、彼はどの陣営からも一目置かれ、尊敬されています。アトス山修道院群のある人々は彼のことを「教父(師父)」と呼んでおり、サハロフの聖ソフロニイ長老はかつて、自分の書いた草稿をフロロフスキイの元に送り、彼に判断を求めました。「教父たちの王道にとどまり続けるために、私はあなたを必要としているのです。」聖ソフロニイはフロロフスキイに言いました。
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Seraphim Hamilton, Rethinking Romanides, Apologia Pro Ortho Doxa(拙訳)
私は、イオアンネス・ロマニデスは正教神学に非常にネガティブな影響を及ぼしていると考えています。(少なくとも一般信徒レベルにおいて)。善意の人々がこれらの諸思想を吸収し、「正教徒であるということの意味」をそこから定義するようになっています。そして後になり、それが誤りであったことに気づいた彼らは茫然自失となり、こうして彼らの世界観は粉々に壊されてしまいます。
Seraphim Hamilton, Why Orthodoxy? 4. Orthodox theology is beautiful and useful.(拙訳)
〔アンチ・カトリックではないにも拘らず〕依然としてなぜ私がローマ・カトリックでないのか、をここで説明できるように思います。聖書、教会史および哲学的神学を学ぶ中で、私は、フィリオクェ条項への正教反論論証がとてつもなくパワフルであることを発見しました。ウーシア(essence)、ペルソナ(person)、エネルゲイア(energies)という三重の区別という教義を肯定してはじめて、御子の御霊に対する永遠の関係を理解することができるということが分かったのです。