巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ディスペンセーション主義者を理解する (by ヴェルン・ポイスレス/ウェストミンスター神学大学、新約学)

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Vern Sheridan Poythress, Understanding Dispensationalists

Westminster Theological Seminary, PA, 1986(インターネットにて公開)

 

  • 著者紹介
  • はじめに
  • 用語定義・聖書の歴史的形態・ジョン・N・ダービーについて
  • スコフィールドのディスペンセーション主義の特徴
  • ディスペンセーション主義のヴァリエーション
  • 契約主義神学の中でのいくつかの進展
  • 代表的かしら性(REPRESENTATIVE HEADSHIP)
  •  千年王国と万物の成就を巡っての意見の一致と相違について
  • 単純な反論ではほぼ不可能
  • いろいろな社会的要因
  • ディスペンセーション主義の朋友との対話のために
  • 患難期前携挙説にとっての問題聖句 1コリント15:51-53
  • 「字義的“LITERAL”」解釈とは何でしょうか?
  • 旧約聖書のイスラエルにおける解釈学的見地
  • 予型(よけい)について
  • ヘブル人への手紙12:22-24
  • キリストにあるイスラエルの成就
  • 追記―1993年
  • 文献目録(BIBLIOGRAPHY)
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思索と内省と

 

「聖ユスティン・ポポヴィッチは言う。――神学理論というものは、その理論の〈体験〉をまず第一に必要としている。それ無しの単なる理論は、偽装した無知蒙昧に他ならない。」


ある隠遁士がこう言った。その瞬間、わが心に光が射し、私は自分の愚かさの真実を見た。上滑りしたぺらぺらの貼り付け知識。


たとい教義の詳細を論じ、他人を説得するだけの論証力があっても、その教義がわが血となり肉となっていないのなら、それは単なる理論に過ぎない。

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教皇制及びペテロの首位性に関するカトリック・正教双方の文献リスト

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エリック・イバラ師が、教皇制及びペテロの首位性に関する文献リストを挙げておられます。各著者は、カトリック教会の方である場合もあれば、正教会それから、聖公会の方である場合もあります。

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創世記を「文字通りに“Literally”」解釈することについて(セラフィム・ローズ修道士)

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創世記および進化について語る人々の多くがこの原則に注意を払っていないのではないかと私は案じている。中にはプロテスタント原理主義を論駁しようと躍起になる余りに反動が出過ぎ、そういった人々は、創世記の聖句を「文字通り」に解釈しようとするいかなる試みに対してもこれを極度に反駁してはばからない。

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「放蕩娘」の帰郷――アテネ大学法学部マリア・コルナルーさん(21)へのインタビュー記事

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アギオス・エレフテリオス教会(Church of Agios Eleftherios)

目次

  • 生い立ち
  • 煙草、パーティー、マリファナ
  • 魔術の世界へ
  • ギリシャ旧暦派(Greek Old Calendarists)分離グループへ
  • エヴァンジェリカル教会の姉妹に出会う
  • 精神分析家兼司祭の所に相談に行く
  • 真の悔い改め

 

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真理は単純だろうか、それとも複雑難解だろうか。

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某正教修道院で一人の修道士の方と話をしました。この方は私の霊的旅路を評し、一言、「真理というのはね、単純なんだよ。単純。」とおっしゃいました。どういう意味だろうと思案していたところ、「あなたが正教に導かれるようになったきっかけ自体は、煩雑な知的探求というよりは、むしろきわめてシンプルな諸出来事を通してであった」という答えが返ってきました。

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