巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

正教に関し何を読んだらいいだろう。(by マシュー・ベーカー神父)

f:id:Kinuko:20201020180053j:plain

 

Fr. Matthew Baker (♰2015) on Reading Orthodox Material (拙訳)


現代神学者の中で一番無難なのはやはり、ゲオルギイ・フロロフスキイ(1893-1979)でしょう。正教界内に存在するあらゆるスペクトルにあって今日に至るまで、彼はどの陣営からも一目置かれ、尊敬されています。アトス山修道院群のある人々は彼のことを「教父(師父)」と呼んでおり、サハロフの聖ソフロニイ長老はかつて、自分の書いた草稿をフロロフスキイの元に送り、彼に判断を求めました。「教父たちの王道にとどまり続けるために、私はあなたを必要としているのです。」聖ソフロニイはフロロフスキイに言いました。

 

しかしながらこういった態度は近年、北米のリベラル正教アカデミアの一角で崩され始めようとしています。彼らはフロロフスキイは「ポレミカルだ」「アンチ西洋的だ」「教父の言録を不毛に繰り返しているに過ぎない」等と言って、彼をとみに攻撃しています。実際、これほど真からほど遠い言明はなく、批判者たちはそもそも広範囲にそして注意深くフロロフスキイの著述を読んだことがないのです。


ドゥミトル・スタニロアエ神父(1903-1993)もまた格別に優れています。抜群に抜きんでた巨人です。スタニロアエとフロロフスキイをじっくり時間をかけ精読してごらんなさい。その他にもまだ多くの優れた人物がいます。アトス山にあるシモノペトラ修道院のエミリアノス掌院はおそらく現代における第一級の修道士神学者の一人でしょう。それからサハロフの聖ソフロニイ、プラシード・デセイユ掌院(Placide Deseille)、シモノペトラ修道院のヴァシレオス掌院なども挙げられます。

 

特に、プラシード掌院の美しい随筆「巡礼における諸段階(Stages of a Pilgrimage)*1」をお勧めします。これは、ローマ・カトリシズムについて記された正教書籍の中で、私の知っている限り、最も博識かつバランスが取れ、公正にして洞察に満ちた取扱いがなされている書だと思います。この領域においては、ただ単にコンボスキニオン(祈りのロープ)をいじり、ヘシュカストになったフリをしているだけでは理解できません。実際に腰を据え、しっかりと歴史資料に取り組む必要があるのです。

 

プラシード掌院は実際ローマ・カトリック神学、典礼、霊性を深く知っておられます。彼はフランス・シトー会修道院で修道生活を送り、長い長い苦悶と葛藤のプロセスを経た後、最終的に東方正教に改宗されました。パトリック・レアドン神父(Patrick Reardon)も、ここ米国における良質な著述家の一人と言えるでしょう。彼は聖書のみことば及び典礼に精通し、東方・西方双方の教父たちに通じています。その他にもまだまだ優れた著述家はいます。


インターネット上で正教関係の資料を読む際、十分に注意と警戒が必要です。特に、「エキュメニズムという汎異端("the pan-heresy of ecumenism")」等というスローガンや、リテラシーや歴史的文脈を無視した上でただ単に教会カノンや教父文書の立証テクストを引用しているだけの諸サイトは回避するようにしてください。それから、安易にして、図式的、しかし極度に単純化されたコントラスト「東方キリスト教」VS「西方キリスト教」を前面に打ち出している諸サイトにも気を付けてください。

 

聖書をよく読み、教父文書そのものを体系的に、大量に、広範囲に根気強く読み続けてください。それから上に挙げた健全な現代神学者たちの著述も。「正統性」、「厳格さ」、「敬虔」という名の下に広域的な教会一般から自らを分離させている人々から遠ざかるようにしてください。あなたの教区の司祭の言うことに耳を傾け、彼と良い関係を築くよう努めてください。そして彼に何を読んだらいいのか質問してみてください。


ー終わりー

*1:The Living Witness of the Holy Mountain Contemporary Voices from Mr. Athos, trans. and ed. Hieromonk Alexander [Golitzin] [South Canaan, PA: St Tikhon's Seminary, 1999].