巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

創世記を「文字通りに“Literally”」解釈することについて(セラフィム・ローズ修道士)

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創世記および進化について語る人々の多くがこの原則に注意を払っていないのではないかと私は案じている。中にはプロテスタント原理主義を論駁しようと躍起になる余りに反動が出過ぎ、そういった人々は、創世記の聖句を「文字通り」に解釈しようとするいかなる試みに対してもこれを極度に反駁してはばからない。


しかしそういう反駁の試みの中にあって彼らは創世記の書に関する聖バシレイオスやその他の注解者たちに決して言及しようとはしないのである。聖バシレイオスをはじめとする注解者たちは、聖句を解釈するに当たってわれわれが倣うべき諸原則を明確に述べているのにもかかわらず、である。

教父の伝統に忠実であらんと公言しているわれわれの多くが時として軽率さに走り、教父たちの教えの代わりに自らの「知恵」に依拠しようという罠に容易に陥ってしまうのはなぜであろうか。正教クリスチャンにとっての世界像や人生哲学は教父の内に見い出されると私は堅く信じている。自分自身の「知恵」でもって人に教えを説くことができるほど自分は十分に賢いのだと思い上がることなく、へりくだって教父たちの教えを傾聴する態度があるのなら、われわれは道を誤ることはないであろう。


fr. Seraphim Rose, Letter to Dr. Alexander Kalomiros(抄訳)

 

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