巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

イグナティオスによるスミルナ人への手紙【AD2世紀前半】第2-8章

An Agape (âGodâs Loveâ) Love FeastâCatacomb of Marcellinus & Peter, Rome

ローマにあるカタコンベ壁画(communion;Catacomb of Marcellinus and Peter, Rome、出典

 

目次

 

第1章はココ

第2章 キリストの真の受難

 

主は、私たちが救われるために、これら全てのことを私たちのために苦しまれました。主は、ーー真に御自身を上げられたようにーー真に苦しまれたのです。ある不信仰な者たちが「主は苦しまれたように見えるだけだ」と主張していますが、そうではありません。現にそういう彼ら自身、〔クリスチャン〕であるかように見えているに過ぎません。そして彼らが信じているごとく、最終的に彼らは肉体を失った単なる幻影*1のようになるでしょう。

 

第2章原文

II
1 Ταῦτα γὰρ πάντα ἔπαθεν δι ̓ ἡμᾶς, ἵνα σωθῶμεν·

2 καὶ ἀληθῶς ἔπαθεν, ὡς καὶ ἀληθῶς ἀνέστησεν ἑαυτόν, οὐχ ὥσπερ ἄπιστοί τινες λέγουσιν, τὸ δοκεῖν αὐτὸν πεπονθέναι, αὐτοὶ το δοκεῖν ὄντες· καὶ καθὼς φρονοῦσιν, καὶ συμβήσεται αὐτοῖς, οὖσιν ἀσωμάτοις καὶ δαιμονικοῖς.

 

第3章 キリストは復活後、肉体を有しておられた

 

なぜなら、復活後も主は依然として肉体を有しておられたこと*2を知っているからです。そして今も主はそうであると信じています。例えば、ペテロと共にいた人々の所に来られた際、主は彼らに仰せられました。「わたしに触れ、さわってみなさい。そしてわたしが実体なき霊*3ではないことを見なさい。」そうすると、彼らはすぐさま主に触れ、信じました。なぜなら、彼らは、主の肉と霊〔というリアリティー*4〕と接触していたからです。それゆえに彼らはまた死を軽蔑し、それに優る者(死を克服する者*5)になりました。主は復活後、ーー霊的には御父に結び付いていましたがーー肉体を有している者として、彼らと共に食し、共に飲みました。

 

第3章原文

III
1 Ἐγὼ γὰρ καὶ μετὰ τὴν ἀνάστασιν ἐν σαρκὶ αὐτὸν οἶδα καὶ πιστεύω ὄντα.

2 καὶ ὅτε πρὸς τοὺς περὶ Πέτρον ἦλθεν, ἔφη· αὐτοῖς· Λάβετε, ψηλαφήσατέ με καὶ ἴδετε, ὅτι οὐκ εἰμὶ δαιμόνιον ἀσώματον. καὶ εὐθὺς αὐτοῦ ἥψαντο καὶ ἐπίστευσαν, κραθέντες τῇ σαρκὶ αὐτοῦ καὶ τῷ· πνεύματι. διὰ τοῦτο καὶ θανάτου κατεφρόνησαν, ηὑρέθησαν δὲ ὑπὲρ θάνατον.

3 μετὰ δὲ τὴν ἀνάστασιν συνέφαγεν αὐτοῖς καὶ συνέπιεν ὡς σαρκικός, καίπερ πνευματικῶς ἡνωμένος τῷ· πατρί.

 

第4章 こういった異端者たちを警戒しなさい

 

愛する者たち、あなたがたもまた私と同じ意見を持っていることをよく知っていますが、前もってあなたがたに注意しておきたいことがあります。人間の形をしたこれらの獣たちを警戒しなさい。これらの獣を受け入れてはならないだけでなく、できることなら、顔を合わせてもいけません。

 

あなたがたが為すべきはただ一つ、彼らが悔い改めに導かれるよう、彼らのために神に祈ることだけです。但し、悔い改めは非常に難しいでしょう。ですが、私たちの真のいのちであるイエス・キリストには、それを為す力があります。

 

結局のところ、仮に私たちの主がなされたこれらの事が仮現的なものに過ぎなかったのだとしたら、私もまた、仮現的に捕縛されているに過ぎない(=捕縛されているように見えるに過ぎない)ということになります。それならば何のために私は自らを死に、火に、剣に、野獣に明け渡してきたのでしょうか*6。なぜなら、剣〔による殉教〕に近づく時、神に近くされ、野獣に囲まれる時、神と共にいるからです。そしてただ唯一、イエス・キリストの御名により、そして主の御苦しみを共有すべく私はこれら一切の事に耐えています*7。なぜなら全き人と成った主がそれに耐え得るべく内的に私を強くしてくださるからです。*8 

 

第4章原文

IV
1 Ταῦτα δὲ παραινῶ ὑμῖν, ἀγαπητοί, εἰδὼς ὅτι καὶ ὑμεῖς οὕτως ἔχετε. προφυλάσσω δὲ ὑμᾶς ἀπὸ τῶν θηρίων τῶν ἀνθρωπομόρφων, οὓς οὐ μόνον δεῖ ὑμᾶς μὴ παραδέχεσθαι, ἀλλ ̓ εἰ δυνατὸν μηδὲ συναντᾶν, μόνον δὲ προσεύχεσθε ὑπὲρ αὐτῶν, ἐάν πως μετανοήσωσιν, ὅπερ δύσκολον, τούτου δὲ ἔχει ἐξουσίαν Ἰησοῦς Χριστός, τὸ ἀληθινὸν ἡμῶν ζῆν.

2 εἰ γὰρ τὸ δοκεῖν ταῦτα ἐπράχθη· ὑπὸ τοὺ κυρίου ἡμῶν, κἀγὼ τὸ δοκεῖν δέδεμαι. τί δὲ καὶ ἑαυτὸν ἔκδοτον δέδωκα τῷ· θανάτῳ, πρὸς πῦρ, πρὸς μάχαιραν, πρὸς θηρία; ἀλλ ̓ ἐγγὺς μαχαίρας ἐγγὺς θεοῦ, μεταξὺ θηρίων μεταζὺ θεοῦ· μόνον ἐν τῷ· ὀνόματι Ἰησοῦ Χριστοῦ εἰς τὸ συμπαθεῖν αὐτῷ· πάντα ὑπομένω, αὐτοῦ με ἐνδυναμοῦντος τοῦ τελείου ἀνθρώπου.

 

第5章 彼らの危険な誤謬

 

ある人々は愚かにも主を否みーーいや、むしろ主に拒絶されていると言った方がいいでしょうーー、真理よりも死の唱道者に成り下がっています。こういった人々は預言者たちによっても、モーセ律法によっても、そして同時代における福音や、私たちそれぞれが甘受している苦難によってさえも説得されることを拒んでいます。なぜなら彼らは私たちに関しても同様の事を考えているからです。*9

 

すると、主が真に肉体を保持している*10ということを告白せずわが主を冒涜している人に良く思われたとして、そこに一体どんな益があるというのでしょう。それを認めようとしない人は事実上、全く主を否定しているに等しく、その人自身、死に覆われている*11のです。しかしながら、彼らは不信仰者ですから、彼らの実名を挙げることは適切でないと思いますし、彼らが悔い改め、私たちの復活であるところのキリストの受難という〔真の信仰〕に立ち返るまでは、彼らのことに言及したくもありません。

 

第5章原文

V

1 Ὅν τινες ἀγνοοῦντες ἀρνοῦνται, μᾶλλον δὲ ἠρνήθησαν ὑπ ̓ αὐτοῦ, ὄντες συνήγοροι τοὺ θανάτου μᾶλλον ἢ τῆς ἀληθείας· οὓς οὐκ ἔπεισαν αἱ προφητεῖαι οὐδὲ ὁ νόμος Μωύσεως, ἀλλ ̓ οὐδὲ μέχρι νῦν τὸ εὐαγγέλιον, οὐδὲ τὰ ἡμέτερα τῶν κατ ̓ ἄνδρα παθήματα.

2 καὶ γὰρ περὶ ἡμῶν τὸ αὐτὸ φρονοῦσιν. τί γάρ με ὠφελεῖ τις, εἰ ἐμὲ ἐπαινεῖ, τὸν δὲ κύριόν μου βλασφημεῖ, μὴ ὁμολογῶν αὐτὸν σαρκοφόρον; ὁ δὲ τοῦτο λέγων τελείως αὐτὸν ἀπήρνηται, ὢν νεκροφόρος.

3 τὰ δὲ ὀνόματα αὐτῶν, ὄντα ἄπιστα, οὐκ ἔδοξέν μοι ἐγγράψαι. ἀλλὰ μηδὲ γένοιτό μοι αὐτῶν μνημονεύειν, μέχρις οὗ μετανοήσωσιν εἰς τὸ πάθος, ὅ ἐστιν ἡμῶν ἀνάστασις.

 

第6章 キリストの血潮に対する不信仰は非難されなければならない

 

誰にも騙されてはなりません。もしもキリストの血潮に対する信仰がないのなら、ーー天の軍勢であろうと、栄光の内にいる御使いたちであろうと、可視的、不可視的支配者たちであろうとーー、責めを受けるのです。それができる者は、この真理を受け入れなさい。

 

誰も高い位置で自らを誇ることがないようにしなさい。価値あるのは結局、信仰と愛ーーこれに尽きるのであり、これに優るものはありません。しかし、私たちの受け継いでいるキリストの恵みに関し異なる意見を抱いているあの人たちが、いかに神の御心に敵対しているのかを見てください。彼らには愛に対する配慮がなく、やもめやみなし子、そして抑圧されている人々、捕らわれている人々、自由の身にされた人々、飢え渇いている人々に対する配慮の心がありません。

 

第6章原文 

VI
1 Μηδεὶς πλανάσθω· καὶ τὰ ἐπουράνια καὶ ἡ δόξα τῶν ἀγγέλων καὶ οἱ ἄρχοντες ὁρατοί τε καὶ ἀόρατοι, ἐὰν μὴ πιστεύσωσιν εἰς τὸ αἷμα Χριστοῦ, κἀκείνοις κρίσις ἐστίν· ὁ χωρῶν χωρείτω. τόπος μηδένα φυσιούτω· τὸ γὰρ ὅλον ἐστὶν πίστις καὶ ἀγάπη·, ὧν οὐδὲν προκέκριται.

2 καταμάθετε δὲ τοὺς ἑτεροδοξοῦντας εἰς τὴν χάριν Ἰησοῦ Χριστοῦ τὴν εἰς ἡμᾶς ἐλθοῦσαν, πῶς ἐναντίοι εἰσὶν τῇ γνώμῃ τοῦ θεοῦ. περὶ ἀγάπης οὐ μέλει αὐτοῖς, οὐ περὶ χήρας, οὐ περὶ ὀρφανοῦ, οὐ περὶ θλιβομένου, οὐ περὶ δεδεμένου ἢ λελυμένου, οὐ περὶ πεινῶντος ἢ διψῶντος.

 

第7章 あのような異端者たちから離れていなさい

 

彼らは、ユーカリスト*12および祈りを回避しています。なぜなら彼らはユーカリストが私たちの救い主イエス・キリストの肉であると告白していないからです。イエス・キリストは私たちの罪のために苦しまれ、御父がその善良さゆえに蘇らせてくださいました。それゆえ、ユーカリストという、神からのこの賜物に対し悪口を言う者たちは、その論争のただ中で死を引き起こしているのです。しかし本来なら、彼らもまた復活に与るべく、それを尊愛の内に取り扱うべきでした。

 

それゆえ、あなたがたはこういった人たちから遠ざかっているべきであり、私的な場でも公の場においても、彼らのことを話題にしないようにしなさい。そしてその代りに、預言者たちーーとりわけ福音ーーに心を留めなさい。その中には〔キリストの〕受難が私たちに啓示されており、復活〔の事実〕が完全に開示されています。

 

第7章原文

VII
1 Εὐχαριστίας καὶ προσευχῆς ἀπέχονται, διὰ τὸ μὴ ὁμολογεῖν τὴν εὐχαριστίαν σάρκα εἶναι τοῦ σωτῆρος ἡμῶν Ἰησοῦ Χριστοῦ τὴν ὑπὲρ τῶν ἁμαρτιῶν ἡμῶν παθοῦσαν, ἣν τῇ χρηστότητι ὁ πατὴρ ἤγειρεν. οἱ ουͅν ἀντιλέγοντες τῇ δωρεᾷ· τοῦ θεοῦ συζητοῦντες ἀποθνήσκουσιν· συνέφερεν δὲ αὐτοῖς ἀγαπᾶν*13, ἵνα καὶ ἀναστῶσιν.

2 πρέπον ἐστὶν ἀπέχεσθαι τῶν τοιούτων καὶ μήτε κατ ̓ ἰδίαν περὶ*14αὐτῶν λαλεῖν μήτε κοινῇ, προσέχειν δὲ τοῖς προφήταις, ἐξαιρέτως δὲ τῷ· εὐαγγελίῳ, ἐν ᾧ τὸ πάθος ἡμῖν δεδήλωται καὶ ἡ ἀνάστασις τετελείωται.

 

第8章 司教の許可なしに何事も勝手に執り行なってはならない

 

あらゆる分裂を回避しなさい。なぜならそれが悪の始まりだからです。イエス・キリストが御父に従順に従ったように、あなたがたは皆、司教/主教*15に従いなさい。また使徒たちに従うようにして、あなたがたの長老*16に従い、さらに神の掟に対しあなたがたが払っているのと同様の敬意を、あなたがたの助祭/輔祭/執事たち*17にも払いなさい。

 

司教/主教の許可なしに、誰かが教会に関わる事柄を執り行うようなことがあっては決してなりません。合法的とみなされるべき唯一のユーカリストは、司教/主教自身によって執り行われるものか、もしくは、彼によって権限を与えられ委託された人によって執り行われるものに限ります。司教/主教がいる場所に、彼の司牧する民もいるべきです。それは、イエス・キリストが現存する場所はどこであろうと、そこに公同的教会*18が存在するのと同様です。

 

司教/主教の許可なく、バプテスマを執り行ったり、愛餐を祝ったりすることは合法的ではありません。他方、司教/主教が承認するものは何であれ、それはまた神にも喜ばれ、このようにして、為される全ての事が安全にして合法的なものとなります。

 

第8章原文

VIII
1 τοὺς δὲ μερισμοὺς φεύγετε ὡς ἀρχὴν κακῶν*19.Πάντες τῷ· ἐπισκόπῳ ἀκολουθεῖτε, ὡς Ἰησοῦς Χριστὸς τῷ· πατρί, καὶ τῷ· πρεσβυτερίῳ ὡς τοῖς ἀποστόλοις. τοὺς δὲ διακόνους ἐντρέπεσθε ὡς θεοῦ ἐντολήν. μηδεὶς χωρὶς τοῦ ἐπισκόπου τι πρασσέτω τῶν ἀνηκόντων εἰς τὴν ἐκκλησίαν. ἐκείνη· βεβαία εὐχαριστία ἡγείσθω, ἡ ὑπὸ ἐπίσκοπον οὖσα ἢ ᾧ ἂν αὐτὸς ἐπιτρέψῃ. 2 ὅπου ἂν φανῇ ὁ ἐπίσκοπος, ἐκεῖ τὸ πλῆθος ἤτω, ὥσπερ ὅπου ἂν ᾖ Ἰησοῦς Χριστός, ἐκεῖ ἡ καθολικὴ ἐκκλησία. οὐκ ἐξόν ἐστιν χωρὶς τοῦ ἐπισκόπου οὔτε βαπτίζειν οὔτε ἀγάπην ποιεῖν· ἀλλ ̓ ὃ ἂν ἐκεῖνος δοκιμάσῃ, τοῦτο καὶ τῷ· θεῷ· εὐάρεστον, ἵνα ἀσφαλὲς ᾖ καὶ βέβαιον πᾶν ὃ πράσσετε.

 

関連記事

*1:δαιμονικοῖς:「悪霊」とも訳せます。c.f. Phillip Schaff. 「幻影」という訳は、phantoms [Maxwell Staniforth訳, 1968]を参照したものです。

*2:文字通りには、"in the flesh" ἐν σαρκὶ

*3:文字通りには、"demon" ;δαιμόνιον. ヒエロニムスによると、この引用は『ナザレ人の福音』から取られたものです。〔比較〕ルカ24:39。参:フィリップ・シャフ注釈

*4:κραθέντες τῇ σαρκὶ αὐτοῦ καὶ τῷ· πνεύματι:この部分の訳は、 [Maxwell Staninforth訳] " "for they had had contact with the flesh-and-blood reality of Him."を参照しました。

*5:文字通りには"above death" ὑπὲρ θάνατον

*6:アンドリュー・ラウス注釈:「この時点ではまだイグナティオスは自分の最期がどのような形で来るのか知りませんでした。というのも、焚刑、斬首刑、野獣に食い殺される刑、その中のいずれの方法も考えられたからです。実際、彼の兄弟であり殉教者であるポリュカルポスの死刑執行には上の3つの方法が全て用いられました。まず彼はライオンによって脅しを受け、火あぶりにされ、その後、とどめの一撃として短剣で殺されました。」The Apostolic Fathers Early Christian Writings, Penguin Classics, 1968, [Reprinted with new editorial material by Andrew Louth, 1987], p.104-5.

*7:〔比較〕ローマ8:17。参:シャフ注釈

*8:〔比較〕ピリピ4:13。参:シャフ注釈

*9:アンドリュー・ラウス注釈:「彼らは受難それ自体が非実在的な幻想であるのだから、キリストゆえに信者が受けるあらゆる苦しみもまた無為にして不毛なものであると主張していました。」

*10:σαρκοφόρον; "flesh-bearer.”

*11:νεκροφόρος; "death-bearer."// アンドリュー・ラウス注釈:「なぜなら彼は、自分の肉体が死後再び蘇り得るということを信じていないからです。」

*12:聖餐

*13:Literally, “to love.” Some think there is a reference to the agapæ, or love-feasts.参:シャフ注釈

*14:The reading is περί in the one case, and μετά in the other, though the latter meaning seems preferable. Most of the mss. of the longer recension read περί, as in the shorter. 参:シャフ注釈

*15:ἐπισκόπῳ; bishop

*16:πρεσβυτερίῳ; presbytery

*17:διακόνους; deacons

*18:ἡ καθολικὴ ἐκκλησία; catholic church

*19:As this sentence seems to belong more closely to what follows, I have copied the editors who place it here rather than at the end of the previous chapter. 参:アンドリュー・ラウス注釈. The Apostolic Fathers Early Christian Writings, Penguin Classics, 1968, [Reprinted with new editorial material by Andrew Louth, 1987], p.105.