どんなに世が変わり、
諸教会の教えが変わっても、
私は、わが兄弟たちと共に
古(いにしえ)のかしら像を見上げ
そこにとどまり続けたいと思う。
教会のかしらであるキリスト。
女性のかしらである男性。
そしてキリストのかしらである神。
永遠(とわ)なる創造の秩序。神の智慧。
聖所の中で、
神性なるその絵図が
可視的に世界に開示される。
神の聖所は
天と地が出会い、
天の像(εἰκών)が地に映し出される空間だから。
ああ、神論、三位一体論、人間論、礼拝論が
有機的統合のうちに耀きを放っている。
この美しさはいかばかりであろう。
ーーー
もはや此処にわが兄弟たちの家(οἶκος)はないのだろうか。
私たちは移らねばならないのだろうか。
どこに?主よ、どこに?
われらを見捨てたもうな。
おお主よ、われらを見捨てたもうな。
1コリント11:1-16、エペソ5:22-33