巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

再びブログを公開モードにしました。

 

しばらくこのブログを非公開にしていました。

 

じぶんの過去の思索や翻訳記事の選択など、振り返ってみて、いろいろと反省点が多く、いっそのことこのブログ自体を公の場から消そうと思ったのです。

 

そんな中、私の親しい友人でありキリストにある姉妹から本ブログのいくつかの記事に対しての肯定的なコメントをいただきました。

 

時をおいて黙想するなかで、神様はそもそも完璧な自分、完璧な記事を私に期待しておられないし、たとい間違いや勘違い、行き過ぎや不足があったとしても、それを私の信仰成長記として、寛容なお心で受け止めてくださっていることを感じるようになりました。

 

また『書く習慣 自分と人生が変わるいちばんの大切な文章力』という著書の中で、著者のいしかわゆきさんが、次のように言っておられました。

 

「みなさんにも、『当時はわからなかったけれど、今だったらわかること』はたくさんあると思います。自分の失敗は取り戻せませんし、時間も巻き戻すことはできません。でも、あなたの体験で、誰かの未来は救えるかも・・

読者に過去の自分を重ねて『こんなふうになるなよ』と伝えているのです。願わくば、その人が同じような失敗をしないように、自分の知識や体験を早めに知っておいてほしいと、共有してくれているのです。

人の悩みの種類はたかが知れています。過去のあなたと同じ悩みを抱えている人は、必ずいます・・その文章は、過去の自分のように悩む人に、きっと届くはず。」

 

 

これを読んだ時、「じゃあ、私の過去のどたばた劇や、葛藤や、混乱や、失敗もまた、いつか誰かの役に立つかもしれない」と思ったのです。

 

そういうプロセスを経て、私は再びこのブログを公開モードにすることにしました。

 

どうか主が私を憐れんでくださり、読者の方にとって有益な内容のみがみなさんの心に留まり、主の御目に有益でないものは読者のみなさんの目からも隠されますようお祈りします。

 

どうぞお元気でお過ごしください。

 

 

福音主義界における昨今の「被り物の教え」事情【1コリント11章2-16節】

1948年、長老派教会 聖餐式の様子

(女性信徒たちは皆、被り物を被っているのがみえます。)写真元

続きを読む

急進的フェミニズムと神なき「ジェンダー・パラダイム」の根源――アビゲイル・ファヴェール教授へのインタビュー

 

Radical feminism and the roots of the godless “gender paradigm”, The Catholic World Report, 2022.(私訳)

 

アビゲイル・ファヴェール教授の新著『ジェンダーの創世記: A Christian Theory』(イグナチオ出版、2022年)は、ジェンダー・イデオロギーおよびジェンダー・パラダイムの分析と批評を取り扱った本です。

 

トランスジェンダー運動のフェミニズム的ルーツ、「性」と「ジェンダー」の違い、創世記の重要性、トランスジェンダーに対するカトリック的対応のあり方などについて、ファヴェール教授はインタビューに応じてくださいました。

続きを読む

アビゲイル・ファヴェール教授の新刊書『The Genesis of Gender: A Christian Theory 』に関するすぐれた書評

 

アビゲイル・ファヴェール教授の新刊書『The Genesis of Gender: A Christian Theory (ジェンダーの起源:キリスト者の考察)』(2022年)が話題を呼んでいます。

続きを読む

痛み、苦しみの意味(セラフィム・ローズ修道士)

 

 

Fr. Seraphim Rose, Father Sraphim Rose: His Life and Works(引用翻訳)

 

人はなぜ、快楽や幸福ではなく、むしろ痛みや苦しみを通し、事を学ぶのだろう。

それは、快楽や幸福がこの世に与えられたもので満足するよう人を慣らすのに対し、痛みや苦しみは、――この世の限界を超えた――より深い種類の幸福を求めるよう人を駆り立てるからだ。

続きを読む

女性らしさとベール――女性の被り物の重要性について

出典

The Feminine and the Veil. Significance of headcovering for women, April, 2022.(拙訳)

 

 

なぜ女性は頭を覆わなければならないのでしょうか?理由はたくさんありますが、最も明白なのは、神がご自分の子供たちに自発的な服従と従順を求めておられるからです。暴君だからではなく、神が愛に満ちた父だからです。「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように」(マタイ26:39b)というのが救いにいたる上での唯一の道なのです。

続きを読む