巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

キリスト教会の〈普遍性〉へのたましいの欣求――「西方典礼正教(Western Orthodoxy)」「東方典礼カトリック」「聖公会継続派」

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「キリスト教礼拝の歴史に通じている人なら誰であれ、西方典礼伝統の豊かさを否定することはできないだろう。特に、旧く敬虔なローマ典礼の豊かさを。」アレクサンダー・シュメーマン神父、東方正教会

*写真は「西方奉神礼教会/ 西方典礼正教(Western Rite Orthodoxy)」(出典

 

↑「西方典礼正教(Western Orthodoxy)」ラテン語と英語による奉神礼/ミサ

 

洗礼準備生としてカトリック教会にいた時、私は東方典礼カトリック教会(Eastern-rite Catholic)に所属していました。カトリック教会内でもかなり微妙な立場にあり内外からの批判も多いこの「東方典礼カトリシズム」ですが、私個人がそこで感じたのは、教義的ジレンマの存在、そしてそれにもかかわらず(いや、それだからこそ一層強く)教会分裂の痛みとその癒しを求めてやまない聖霊の呻きでした。

 

「西方」は「東方」を必要としており、「東方」もまた「西方」を必要としている。両者は競合の関係にあるのではなく本来、ひとつの御体の中で互いにいたわり合わなければならない相補的存在なのだということを私は魂の奥底で感じました。

 

三位一体論(>フィリオクェ条項)理解が最終的には自分にとっての分岐路になり、私は東方正教側に改宗する選択をしました。ですが、カトリック・コミュニオンにいた時に魂に深く彫り込まれたこの「東西両方があわさったキリスト教表現の普遍性」への求めは、ギリシャ正教クリスチャンとなった自分の中で以前と変わることがないばかりか、いよよ切実な形で深化していきました。

 

下のドキュメンタリーは、それぞれ異なった背景をもつ三人のキリスト者聖職者たちが、正教会内の西方典礼(Orthodox West)という信仰表現のあり方に自分の魂のやすらぎを見出すまでの長い長い信仰道程(求道、回心、牧会、放浪、失望、断念、再起)の歩みを追っています。*1

 

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the-orthodox-west-gazette.pinecast.co

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下の文章(「捕囚のアングリカン」)は、元聖公会継続派(The Continuing Anglican)出身の方で、カトリック教会と正教会との間を行き来し、もがき苦しんだ挙句、東方正教に改宗したペリー・ロビンソン師の魂の告白文です。

 

Anglicans In Exileenergeticprocession.wordpress.com

 

この記事を読む以前の自分は、リトルジーもあり伝統的カトリック色の強い伝統派アングリカンやアングロ・カトリック系譜の方々の伝統教会移行は、私のように低教会的エヴァンジェリカルな環境にいた人々よりもずっと容易なのではないだろうかと推測していました。しかしそういう見方は甘かったようです。

 

ロビンソン師の告白文を読み、私は初めて、伝統派聖公会信者の方々にはその他の伝統派福音主義信者とは種類の異なる独特の困難さがあるということに気づかされました。ロビンソン師は伝統派アングリカンの方々が、メインストリーム(リベラル)聖公会内で長年感じてきた疎外感、移行先のカトリック・コミュニオン、正教コミュニオン内で感じるこれまた別の種類の疎外感――それらが一体いかなるものであるのかについて描写しておられました。

 

正教会内の西方典礼(Orthodox West)の主たる母胎は、聖公会信仰・文化を愛しつつも急速にリベラル化する聖公会コミュニオンを半ば追い出される形になってしまった捕囚アングリカン(=聖公会継続派)だと伺っております。慢性的疎外感に苦しみ、孤独と戦いながら正統派キリスト教信仰や共同体のあり方を模索してきた捕囚アングリカンの半世紀にわたる苦難の歴史は、分裂教会の痛みの具現的かたちとなり、死を通り抜け復活のいのちを生き、福音宣教の働きを継続する不滅の像(icon)となっていると思います。

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「『西方典礼正教(Western Orthodoxy)』や『東方典礼カトリック(Eastern-rite Catholic)』といった中途半端な存在は、かえって東西教会再一致の障害物になっているから廃止すべき」という批判もあります。

 

確かにこの批判は無視できないある真実をついているように思われます。つまり、東西教会再一致という一千年来の悲願とその実現に向けた双方の努力の積み重ねを、「西方典礼正教」や「東方典礼カトリック」といったその場しのぎの「置き換え物」でごまかしてはならない、問題の真の解決は、「西方」の中に臨時「東方」を置いたり、「東方」の中に臨時「西方」を置いて、それでめでたしめでたしとすることではなく、両コミュニオンの間に今も未解決の問題として残っている教義上の不一致をどうにかして解決の方向にもっていくことにあるのではないか、という問題提起です。

 

私個人は、この問題提起に対する答えをもっていません。問題の規模が巨大すぎて途方に暮れるばかりです。ただ、思うのです。もしも答えがあったのなら、もうとっくに東西教会は再統一を果たしていたのではないかと。そしてもしも答えがあるのなら、「西方典礼正教(Western Orthodoxy)」や「東方典礼カトリック(Eastern-rite Catholic)」のあり方を巡り、両コミュニオン内でここまで意見が対立することもなかっただろうと。

 

冒頭のドキュメンタリーの中で、西方典礼正教会の神父様が、こういった信仰表現のあり方は、自分という一個の具体的人間の、信仰におけるオーソドクシーを模索する延長線上に有ったという旨の内容を語っておられました。これらの典礼が必需であれ必要悪であれ、私たちキリスト者が、今この時に、分裂の悲劇の最中に生きているというこの事実だけは動きません。そして、教会の普遍性を喘ぎ求めるキリスト者の魂の求めが存在する限り、こういった典礼の存在は今後も、分裂した私たちの教会のただ中に、緊張感を持ちつつ有り続けるのではないかと思います。

 

ー終わりー

 

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*1:西方奉神礼教会について(Western Rite Orthodoxy):ビザンティン奉神礼が主に広く行われている地域における西方奉神礼教会の例は古くから存在します(アマルフィとも呼ばれる、ラテンの聖マリア修道院はよく知られる例です)、西方奉神礼教会設立の動きの歴史は、19世紀におけるユリウス・ヨーゼフ・オーバーベックの働きと生涯に始まると捉えられることが多いようです。現在、在外ロシア正教会(ROCOR)とアンティオキア正教会北米大主教区の一部であるアンティオキア西方奉神礼輔佐主教区(Antiochian Western Rite Vicariate, 略称:AWRV)に西方奉神礼正教の教会が存在します。その他、フランスなど西欧にも西方奉神礼のコミュニティがあります。参照

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