巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

懐疑に苦しむ魂への励まし(byトリフォン修道院長)

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Abbot Tryphon, Doubt, Orthodox Christianity, 2016

 

以前、ある女性に会ったことがあります。この女性はかつて一度も自分の信仰を疑ったことがなく、教会の諸教理の内どれ一つとして一瞬たりとも疑った経験がないと主張していました。

 

それから一年も経たない内に、この女性は棄教し、正教から背教しました。神に対する自分の信仰や教会の諸教理を少しでも疑うことが全ての終わりであると考えていたため、彼女は壊れやすい状態にあったのです。信仰の片割れは確かに不信仰ではあるものの、懐疑それ自体はそれら二つの立場の間に位置する一種の ‟躊躇” として捉えられなければならないのですが、残念なことに彼女はその部分を理解していなかったのです。

 

懐疑は信仰に相反しません。なぜなら懐疑は不信仰とイコールではないからです。懐疑というのは、「人間であるとはいかなる意味を持つのか?」「神のみこころの内へと旅する信仰者ファミリーの一員として存在するということはどういうことか?」——そういった霊的諸側面の深みへと私たちの歩みを進ませる触媒として機能し得るし、またそうであるべきなのです。

 

信仰はそれが本物なら、必ずや現状(status quo)に挑戦をかけ、独りよがりや自己満足(complacency)状態を激しく揺さぶり、私たちをそこから外に放り出すことでしょう。

 

懐疑を不信仰として取り扱おうとするなら、私たちは自らを矛盾した状態に置いてしまうことになります。あたかも、是が非でもどちらか一方の側に身を置かなければならないと言われているかのように。。一つのカテゴリーかもう一つ別のカテゴリーかの二者択一を迫られていると考える時、私たちは、懐疑というのがその本質において、二つの立場の中間に位置する場所であるということを忘れていることになります。

 

そしてここにおいて正教会の身体性・物理性(physicality)というのが善き役割を担ってくるのです。神殿の建築、司祭の装束の美しさ、イコンの神秘、リトルジーの中で神に捧げる芳香のえもいわれぬ香り、、こういったものは物質的世界と霊的領域を結ぶ架け橋としての役割を担っています。

 

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写真

 

こうして共に旅していく中で私たちは自らと、創造主である神との間が再びつながれる体験をし、私たちのただ中に現存する神の受肉がリアリティーとなります。

 

物質性と霊性の架け橋としての正教は、私たちが知恵において成長していくことを助けてくれるだけでなく、私たちの生涯に渡る霊的発展のさまざまに異なる諸段階を辿る手助けもしてくれます。

 

生涯にわたる私たちの旅路は、ある次元における照明(theoria)を追い求めるプロセスであり、それは、単なる箇条書きの「信仰声明」に対する盲目的信奉ではありません。換言しますと、オーソドクシー(正教)というのは、各種信条、宗教慣習、礼拝、教理に対する単なる信奉をはるかに超えるなにかであるということです。

 

正教というのは、私たち信者が、人間経験において直面するさまざまな複雑性に向き合うことを許すに足りる十分な深さをもった信仰です。それと同時に正教は、地上におけるこの生の中では人間は全てを理解することはできないということを認めつつ、それらを神秘(Mystery)として捉えています。ですから、信仰者は決して疑ったりしないという見解は真ではないわけです。

 

懐疑というのは信仰の反対ではなく、「乗り物」です。この乗り物により、私たちは真の信仰である神秘の深みへと入ってゆくよう挑戦を受けます。何もを私たち信仰者を不確かさとの葛藤から回避させません。なぜならまさしくこの不確かさにより、私たちは現状自己満足(complacency)という状態から守られているからです。

 

自己満足というのは信仰を攻撃する真の敵であり、霊的成長を阻害する物です。自己満足により私たちは神の国および、キリストとのコミュニオンによって与えられる喜びから締め出されます。ですから問われるべきはどちらかの側を二者選択するということではなく、神的智慧である神に自らを従わせるか否かにあるのです。

 

ー終わりー

 

Abbot Tryphon

The Morning Offering(18 / 08 / 2016)

 

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ヴァション島のトリフォン修道院長(写真

 

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