巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

列車の中の神学——マルチ信仰談義【シリーズ① 永遠の刑罰について】(by マイケル・ロフトン)

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Michael Lofton, Theology on a Train: A Multi-Faith Dialogue, Jan, 2019(拙訳)

 

 

キャストと設定

 

登場人物:無神論者、南部バプテスト教徒、長老教徒(カルヴァン主義)、カトリック教徒 A、カトリック教徒 B、改革派ユダヤ教徒、メシアニック・ジュー、スンニ派イスラム教徒 A、ユニタリアン教徒、東方正教徒、オリエンタル正教徒、正統派ユダヤ教徒、モルモン教徒、改革派バプテスト教徒、アングリカン教徒、カリスマ派教徒、ルーテル教徒、カント主義哲学者、スンニ派イスラム教徒 B。

 

場面:土曜の朝。ニューヨーク市の地下鉄は乗客で込み合っている。一人の乗客が聖書を読んでいる。それに気づいた通勤者が彼に話しかけるところから会話はスタートする。

 

永遠の刑罰について

 

無神論者:なんでそんなものを読んでるんですか?聖書って非合理な書物ではないでしょうか。

 

南部バプテスト教徒:なぜ聖書が非合理だとお考えですか。

 

無神論者:自分は神の存在を信じていませんが、一応キリスト教に関しては勉強してきたつもりです。私が考えるに、聖書の神というのは、自分の息子(御子)に関する使信を人が受け入れないからというただそれだけの理由で人を永劫的苦悩の刑罰に送り込んでいます。体系の証拠という点から言ってもこれが非合理であるというのは明白だと思いますが・・

 

南部バプテスト:それじゃあ、とりあえずあなたのおっしゃったことが真だと仮定しましょう。それでは、それがどういう形で非合理なのか私に説明してくれませんか。

 

無神論者:子供さんいらっしゃいますか。仮にあなたが父親だったとして、あなたは自分の子たちを永劫苦悩の場所に送り込みますか。

 

南部バプテスト:子供はいます。ですがわが子を地獄に送り込もうなどとは断じて思いませんね。そんなことはしませんよ。

 

無神論者:ほらほら。あなたでさえ、聖書の神よりはよっぽど合理的で慈悲深いじゃないですか。

 

南部バプテスト:いいえ。うちの子供たちはそのような懲罰を引き起こすような違反行為を私に対して犯してはいません。一方、聖書の神は無限に聖なる存在であるがゆえに、この神に対するいかなる違反行為といえどもそれらは永劫的懲罰に値するのです。しかしここに良き知らせがあります。神はこれらの永劫的刑罰からの脱出の道として福音を提供してくださっているのです。違反行為を為した者が地獄で苦しむ代わりに、イエスが彼らの罪のために身代わりとなって十字架上で苦しんでくださったのです。彼らがただ一心にイエスに信仰を持ち、自らの罪を悔い改めるなら、彼らは地獄を逃れ、そして神の義もまた満たされるのです。

 

無神論者:しかしです。聖書の神は、誰が福音を受け入れ、誰がそれを拒絶するのかを、創造以前にすでに知っているわけですよね。にもかかわらず、神はそれを承知の上であえて、永遠の刑罰を受けることになる人間たちを創造した。。ここでちょっと考えてみてください。子らが最終的に地獄行きになるということをあらかじめ知っていたとして、あなたはそれでも自分の子をつくろうと思いますか。

 

南部バプテスト:たしかに、誰が福音を拒絶するのかを神はご存知です。しかし神は選択する自由意志を人間にお与えになっており、それゆえに、彼らは自主的に(willfully)地獄を選んでいるのです。

 

無神論者:しかし神はそれでもあえてそういった彼らを創造していますよね。——彼らが自主的に地獄を選ぶということを知っておきながら・・。これってかなりサディスティックじゃないでしょうか。さらにひどいことに、あなたの聖書には神がある人々を天国行きに予定(predestine)していると言っていますので、そこから明瞭に示されているのは、神はある別の人々を地獄行きに予定しているということです。聖書はイエスでさえ世界の創造以前に、ほふられるべく予定されていたと言っています。またユダはイエスの十字架刑をもたらした人ですから、ユダはイエスを裏切り、地獄に行くようあらかじめ予定されていたのです。

 

長老派教徒:いやいや、あなたがたの会話を立ち聞きせざるを得ませんでしたよ。私は長老教会に通う信者でしてね、一言ちょっとつけ加えさせてくださいな。たしかに神はある人々を天国に予定されておられますが、神は、誰一人として積極的に(actively)地獄行きに予定されてはおられないのです。神はただ、救済の見込みがなく見捨てられた者を見過ごし(pass over the reprobates)、彼らに再生の賜物を与えておられないのです。ちなみにこの再生の賜物こそ、霊的に蘇生し、福音に応答することができるべく人間が必要としているものです。

 

無神論者:いや、さらに悪いことに、この「神」は、救済の見込みなき者たちを救う能力を持っていながら、そして彼らが最終的に地獄に行くことを知っていながら、尚も彼らを造り、しかも、彼らに、救われるための能力を提供してもいないのですからね。全く驚きですよ。

 

長老派教徒:おそらくですが、神は人間救済におけるご自身の慈愛を示したいと願っておられるだけでなく、永劫刑罰におけるご自身の義をも示したいと願っておられるのではないでしょうか。人は神の義という背景があってこそ、神の憐れみの真の価値を理解し、それに感謝することができると思うのです。

 

カトリック教徒A:えーと、余計な口出しはしたくないのですが・・。私、カトリック信者でして、それで一言申し上げたいと。神がある人々を天国に予定され、別の人々を、——彼らに耐久的恩寵を提供しないことにより——見過ごされるという見解に私も同意していますし、神がそうなさるのはひとえにご自身の「義」と「慈愛」その両方を示すためであるという点にも同意します。さらに、これが一介の父親として自分がやる行為ではないという点もその通りです。しかしながらここで私たちが留意しなければならないのは、愛や父親像に関する私たち人間の理解や基準は神のそれとイコールではないということです。つまり、それらは類比的(analogous)であって、多義的(equivocal)ではないのです。

 

カトリック教徒B:すみませんが、同じカトリック信者として私はあなたのその見解に同意しかねます。私たちは、全ての人が救済されるという合理的希望を持つことができると信じています。救いはイエス及び、ひとつの御体である教会を通してのみもたらされますが、仮にある人が〔福音に関して〕全く無知であり且つ自分の良心に従っているのなら、教会に入りたいという潜在的願望を通し、そしてイエスの御業を通し、神の恩寵によってそういう人々は救済され得ると思います。

 

カトリックA:そういった見解はある種の例外に対し門戸を開くでしょうが、あなたがたはそういった「例外」を今や「原則」に変換させようとしています。

 

カトリックB:いいえ。私が言っているのはただ、私たちは合理的希望を持つことができるということだけです。

 

カトリックA:しかし全地公会議の一つはアポカタスタシス(万人救済主義)を糾弾しています。アポカタスタシスというのは、全ての人は苦しみの一時期を経た後、皆、神の元に回復されるという見解のことです。また、教会の外にいる人々も救われるという「大いなる希望」を持つことができるという見解をピオが糾弾しています。

 

カトリックB:そういった諸資料に関しては私もよく知っていますが、それらの諸教理の言語は非常に専門的であり、それゆえ、私の立場と調和し得ると思います。

 

無神論者:あなたがたは要点を把握し損なっているだけでなく、かなり主題から外れてしまっています。さっき私が言ったように、人間の父親たちでさえ、もしも自分の子が永劫的に刑罰の苦しみに遭うということを知っていたのなら、子供をつくることを差し控えるでしょう。ならば、人間は聖書の神より慈愛深いということになりませんか。

 

カトリックA:繰り返しますが、私たち人間の愛は、神の愛と同じではないのです。

 

改革派ユダヤ教徒:ユダヤ人として私は、聖書の神を——少なくとも旧約聖書の神を——擁護しなければならないと思いまして、それで会話に参加させていただきます。ええ、私もそういった「神」はモンスターであり、愛なき存在だという点で同意します。私たちユダヤ人は地獄の存在を信じてはいません。

 

メシアニック・ジュー:ちょっと待ってください。メシアニック・ジューとして私は真のジュダイズムを擁護しなければなりません。真のジュダイズムはダニエル書の中で永劫的刑罰を説いているのです。それから、その他幾つか別のユダヤ諸教派もある種の地獄形態を信奉しているということを付け加えたいと思います。ですからあなたの見解はジュダイズムを代表するものではありませんよ。

 

スンニ派イスラム教徒:私たちムスリムは皆が皆、地獄の性質について意見を同じくしているわけではありません。ですが私は永劫的刑罰の場が存在することを信じています。まあそうは言っても、論理的見地からみれば、地獄が神の愛の欠如であるという議論に一理あることは認めなければならないと思います。

 

カトリックA:あなたがこの議論の中でロジックを用いているのは奇妙ですね。というのも、アヴェロエス以降、イスラム教徒たちは合理的探求や哲学を放棄してしまったかのように思えるからです。

 

スンニ派イスラム教徒:イスラム教における理性と哲学の性質および位置に関し、あなたと議論することもできますが、そうするとかなり主題から外れてしまうことになると思います。

 

無神論者:脱線するのはやめてください。私が訊きたいのはただ、あなたがた宗教人たちがそれぞれ「自分の神は愛の神である」と言いながら、それと同時に、「その同じ神が、——永劫的に彼らが地獄に行くと知っているにも拘らず——、それらの魂をあえて創造する」という二つの事をいかにして同時に主張し得るのかという点なのです。

 

ユニタリアン教徒:私はユニタリアンであり、全ての人が天国に行くと信じています。私は他のクリスチャンたちのように聖書を文字通りには受け取っておらず、神が人々を地獄に送るという教えにも同意していません。愛なる神は決して人を永劫刑罰の場に送るようなことはなさらないのです。

 

【シリーズ②に続く】