巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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ある求道者とローマ・カトリック信者の会話【教皇制に関するディスカッション】

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Erick Ybarra vs. Jay Dyer: The Papacy Debate, Aug, 2019.(抄訳)

 

ブラッドリー・ペリー:私はかなりの期間、ジェイ・ダイアーの講義を聞き、且つ、現在、東方正教について調べています。正教よりはローマ・カトリシズムについてより知識があるのですが、とはいっても私はプロテスタント信者として育ってきましたので、正教、カトリックそのどちらに対しても堅い基盤があるわけではありません。

 

著名なカトリック弁証家であるピーター・クリーフトの著述を読み、教皇制を擁護するありとあらゆる議論に耳を傾けてきましたが、現時点において私はこの制度に確信を持つことができずにいます。私は純粋に心から教皇制を支持する議論を理解したいと思っています。しかしながら新約聖書を読んでも初期教会史を読んでも、私はペテロおよび彼の後継者への委託という点をそれらの資料に見出すことができないのです。

 

私の知る限りにおいて、マタイの福音書の聖句においてでさえも、ペテロが教会の頭(かしら)であり、彼がその他の使徒たちの代表責任者であるということを示唆してはいないと思います。キリストが教会の頭であり、教会が御体であるということに関しては皆同意していると思います。ですから、ローマ司教がいかにこの構図にフィットしているのか正直理解できません。

 

今私は自分の無知をさらけ出しているのでしょうか。ですが、創始より教会史においてエルサレムが中心地であったということを考慮する時、どうしてローマにいる司教に首位性があるのか、そこら辺のところが奇妙に思われてなりません。

 

新約聖書の中で「ローマ」が言及されているのは、その邪悪性に関する描写であったり、あるいは異邦人を改宗させようとのパウロの試みに関した箇所等です。当時ローマは異邦人の帝国でした。

 

もうかなり前にソラ・スクリプトゥーラ(「聖書のみ」)の教義は破棄しましたし*1、聖伝およびその重要性は理解しているつもりですが、それにしてもなぜペテロが主としてローマと関連づけられているのでしょう。パウロはローマにいました。ペテロはまず初めにアンティオケにおいて教会を確立させたのではなかったでしょうか。最初の教会はエルサレムにおいて設立されたのではないでしょうか。私のように道を探求する者にとって、こういった事項は非常に混乱をもたらすものです。それで最終的にやはり東方正教の方ではないのかと考えているのですが、その理由は正教が理に適っているのに対し、教皇制はそうではないからなのです。

 

これらの事項に加え、最近の教皇たちがモスクの中で祈ったり、ユダヤ教のメノラー(燭台)に点灯したりしている事実も取り上げるべきだと思います。こういった行為からは堅固にして真実なキリスト教信仰は反映されていません。

 

このように明らかにそして公然と教皇が罪深いことをやってのけながら、依然としてキリストの代理者(the vicar of Christ)としてとどまり続けているのはなぜなのでしょう。(「なぜならそれは神学的な事項ではない」とか「エクス・カテドラルではないから」等の理由づけで)。本当に理解に苦しみます。

 

ローマ・カトリック弁証家の方々はなんとかその矛盾を乗り切ろうと賢く新奇な方法をいろいろと駆使して擁護に努めているように思えます。しかしそれは人々をして最終的に、「教会(Church)というのはキリストの御体ではないのかもしれない」「もしかしたらキリストは『道であり、真理であり、いのち』ではないのかもしれない」と懐疑に落ち込ませるものではないでしょうか。正直、本当に分からないのです。

 

CS(ローマ・カトリック):まず、イエスがペテロに鍵を与えたことの重要性を押さえるべきでしょう。イザヤ22章、王家の管理人等。最初期の教父の引用句が示しているのは彼らが教皇をダビデの家の管理人として理解していたということです。ですからスコット・ハーンはその見解をでっち上げたわけではありません。

 

それから次は「全ての司教たちがペテロの権威を共有してはいなかっただろうか?」という問いです。この問いに対する答えは、ある程度において、それは然りである、となるでしょう。しかしカトリック信者たちはペテロが特に自らの後継者をローマに残したということを是認しています。

 

ー終わりー

 

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