巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

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崇拝(latria)と崇敬(dulia)の区別【イスラム圏改宗者たちとのディスカッション】

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Worship: Latria, Hyperdulia And Dulia | Catholic Apologetics Research Center

 

先日、クリスチャンになったばかりの元イスラム教徒(シーア派)の女性二人と食卓を囲み楽しく語り合う機会がありました。

 

彼女たちの信仰道程やものの見方は驚きと発見に満ちています。実際、低教会エヴァンジェリカリズムから伝統教会への移行にあたって、イスラム圏改宗者の友人たちとの交流は私の信仰にこれまで少なからぬ影響を及ぼしてきたと思います。

 

大半のプロテスタント神学と異なり、カトリック教会と正教会の神学においては、「崇敬(ラ:veneratio, dulia、ギ: δουλεία, 英:veneration)」は、神のみに対する「崇拝(latria)」とは異なる敬意の一種であると捉えられています。*1

 

聖トマス・アクィナスが説明したように、古典神学で「崇拝(latria)」と呼ばれる礼拝は、神のみに正しく捧げられるものであり、創造主である神のみに値するものであると捉えられています。それに対し、「崇敬(dulia)」は、神聖で尊厳のある人のキリスト教的徳に対し適切に敬意と畏敬の念を表すものであるとの区別がなされています。*2

 

私はこれまで主としてスイス宗教改革(改革派、アナバプテスト派)系列の伝統の中にいたため、「崇敬」と「崇拝」との間にはいかなる区別もできないという教えを信奉してきました。

 

しかしながらそんな私にイスラム圏改宗者の方々は非常に良い意味で挑戦をかけてくれたのです。神のみに対する礼拝を重要視し、いかなる偶像礼拝といえどもそれらを断固として拒絶するという点においてイスラム圏の人々の姿勢は、ダイ・ハードな厳格カルヴァン主義者をも「参った」と言わしめるほどの徹底さがあると思います。

 

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モスク(出典

 

しかしそんな彼らの強烈な「ソリ・デオ・グロリア*3」精神が、「聖人崇敬」という長きに渡るイスラム伝統と平和的に共存してきた事実は私を驚かせました。

 

イスラム圏改宗者の友人たちの話を聞いても、彼女たちの過去の歩みの中で「神のみに対する崇拝」と「聖人崇敬」という行為は互いに矛盾することなく、ごく自然な営為として歌に、嘆きに、祈りに反映されてきたということを知りました。*4

 

↓第十二代イマーム、マフディーに捧げた歌*5

www.youtube.com

 

↓エマーム・レザーに捧げた歌*6

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また、イコン崇敬に関しても、イコン否定派であった私に真正なるチャレンジを与えたのはイスラム圏改宗者の兄弟姉妹でした。

 

彼らはヨハネ1:14(「ことばは人となった」)、1ヨハネ1:1(「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことば」)の御言葉を示しつつ、「主なる神は、御子イエス・キリストが受肉され、私たち人間が彼を肉眼の目で見ることをよしとされた」という歴史的事実に目を向けるよう私に証言したのです。曰く、キリストの受肉という真理こそ、イスラム教とキリスト教を決定的に異なるものにするファクターであると。

 

彼らのイコン崇敬肯定は、7世紀のアラブ人、ダマスコの聖ヨアンネスの対イスラム教徒/ 対聖像破壊論者弁証を髣髴させるものでした。*7

 

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ダマスコの聖ヨアンネス(676年頃-749年)

 

おわりに

 

前にも書きましたが、相当の決意をもって国境越えをした改宗者の方々や、あるいは、ある重要な教義上の理由により国境ぎりぎりの所で尚も踏みとどまっている人々の弁証や論駁は時に私たちのこれまでの信仰内容を全面的に見直しさせ(あるいは破棄)させるほどのダイナミズムを持っていると思います。

 

こういう人たちの中で日々切磋琢磨し、もまれ、押され、押し返し、相剋・対決していく過程で、私たちは普段自分たちが「当たり前のもの」として受け取ってきた教理が実はとんでもない宝であったことを知ったり、あるいは逆に、それらが歴史的連続性を持たない偽教理であったことを愕然と知るのです。

 

教義はそれが揺さぶられてみて初めて私たちの目に真に価値をもったものとして内面化していく場合が多いのではないでしょうか。こういった信仰の道場が与えられていることを主に感謝します。

 

ー終わりー

 

 

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japanesebiblewoman.hatenadiary.com

*1:プロテスタント教会では、「崇敬」は時折、偶像崇拝の異端に相当すると考えられ、列聖に関連する実践は神格化の異端に相当すると考えられています。プロテスタントの神学は、通常、「崇敬」と「崇拝」との間ではいかなる区別もできないとし、崇敬の実践がキリスト教の魂を真の目的である神の崇拝からそらすことを論じています。スイス宗教改革者ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』12章で、「崇敬と崇拝と呼ばれるものの区別は、神の栄光を、明らかに罰せられていない天使や死者に授けることを許すという目的のために考え出された」と記しています。参照

*2:参照

*3:ソリ・デオ・グロリア(ただ神にのみ栄光、ラテン語:Soli Deo gloria)とは、プロテスタント宗教改革で基本的な信仰をあらわすために提示された五つのソラ(five solas)の一つ。

*4:但し、スンニ厳格派として知られるワッハーブ派は聖人崇敬の慣習を嫌っています。“Saudi Shiites Take Hope From Changes Next Door”. Los Angeles Times.“while most Sunnis view them as fellow, though possibly misguided, Muslims, Shiites are regarded as infidels by the Saudi religious establishment, which adheres to the ultraconservative and austere variation of Sunni faith known as Wahhabism. Saudi religious leaders see the Shiite veneration of saints and shrines, celebration of the prophet Muhammad's birthday and other rituals as sinful.” 引用元

*5:マフディー:ムハンマド・ムンタザル(محمد المنتظر ​; 868年 - ??)はシーア派・十二イマーム派において信じられる第12代イマームにしてマフディー、すなわち隠れイマームのことを指します。マフディーはシーア派において人類の最終的な救世主として現れるとされています。尚、十二イマーム派以外のイマーム継承列を異にする他のシーア派分派や、スンナ派においてはムハンマド・ムンタザルをマフディーとはしていません。十二イマーム派ではマフディーの生誕年を868年とし、神によって隠され(ガイバ; 幽隠・隠れ・掩蔽)、のちに再び現れその使命を達するものと信じられています。ムンタザルは「待望される者」の意。参照

*6:エマーム・レザー(アリー・アッ=リダー, علي بن موسى الرضا )は818年、マアムーンとともにトゥースにあったときに死去しました。後世の学者には、これをマアムーンによる毒殺であると見る者もおり、シーア派ではこの見解をとってエマ―ム・レザー(アリー)を殉教者と考えます。アリー・アッ=リダーの遺骸が葬られた地、今日の都市マシュハドの名は「マシュハデ・レザー」(リダーの殉教地)に由来するものであり、巨大なアリー・アッ=リダー廟とその複合施設(アースターネ・クドゥス)を持ち、現在でも多くの巡礼を集める地となっています。参照

*7:高名なる神学者 ダマスクの聖イオアンの生涯 - 名古屋ハリストス正教会内のページ // 教皇ベネディクト十六世の177回目の一般謁見演説 ダマスコスの聖ヨアンネス カトリック中央協議会 

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