巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

静寂と沈黙のうちにあること

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出典

 

マルコ1:35

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

 

寂しい所(εις ερημον τοπον):

-人の住んでいない、人里離れた、荒涼たる、荒野、孤独な

-a solitary place, an isolated place, a secluded place, a deserted place, a lonely place

  

内外のかまびすしい騒音と躁急さが

交錯する大通りを駈けるように抜け、

寂しい所(solitary place)へと

歩みをすすめる。。。

 

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静けさ。

空の手で 私は横たわる。

もはや 働くことも、意志することもない。

 

憔悴した思いが その動きを止め、

やすらぎのうちに、わが眼は閉じている。

 

そして、乱れなき天的な平安につつまれつつ、

沈黙のうちに、

私は汝の御胸に寄りかかる。

 

Gerhard Terteegen, The Sabbath Year(私訳)

 

 

静寂な場所で、

私は自分の足場を取り除く。

 

共に言葉を交わす友もなく、

電話での会話もなく、

会合もなく、心楽しませる音楽もなく、

あれやこれやの書籍もない。

 

そこにあるのはただ自分ひとり。

 

裸で、こわれやすく、脆弱で、罪深く、貧しく困窮し、

打ちひしがれているこの自分以外――なにもない。

 

孤絶と静寂の中で、

私が向き合わなければならないのが、

この「無(nothingness)」である。

 

この無の恐ろしさに耐え兼ね、

私の内にあるすべてのものは、

友の元に、キャリアに、もろもろの気晴らしに

逃げ込もうとする。

 

自らのむなしさを忘れ、

自分が一角(ひとかど)の者であると信じ込もうと、

もがきつつ。。

 

それだけではない。

静寂の内にとどまろうと決意するや、

混乱した数々の思い、

心をかき乱すようなイメージ、

狂気じみた幻想、奇怪な連想などが、

次々と自分の内面を襲い出す。

 

そして怒りや貪欲が

その醜い顔を現わし始めるのだ。

 

自分の敵どもに、

長ったらしく憎しみに満ちた言葉を放つかと思えば、

今度は、自分が金持ちで、影響力があり、

非常に魅力的だといういやらしい誇大妄想に酔うこともある。

 

あるいはその反対に、自分がひどく貧しく、醜く、

すぐにも誰かの慰めを必要としている

哀れな者だと感じる時もある。

 

こうして私は、

自分の「無」という暗い深淵から逃れようともがき、

虚栄の内にある自己の虚像を

再び建て直そうとするのだ。

 

荒野における知恵というのは、

自身のおそるべき無との対峙が、

私たちをして、完全にそして無条件に

主イエス・キリストへと服従せしめることである。

 

Henri Nouwen, The Way of the Heart, p. 27-28(私訳)

 

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一日の初め、私たちは沈黙する。

なぜなら、神が私たちに最初のことばをくださらねばならないからだ。

 

そして就寝前にも沈黙する。

なぜなら、最後のことばもまた神に属するものだからである。

 

沈黙というのは、神のみことばを待ち望み、

祝福のうちに神のみことばより出でることに他ならない。

 

しかし万人の知る如く、これは、実践され、

各々が学び取っていかねばならないものである。

 

Dietrich Bonhoeffer, Life Together, p. 79(私訳)

 

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私を通し お考えください。

神の御思いよ。

 

御父さま、

どうか私の思いを静めてください。

汝のご臨在の中で、静寂の内に宿り、

そうして汝の御思いが 

私の思いとなるまで。

 

私を通し お考えください。

神の御思いよ。

 

そうすれば、

いつも、そしてどこであっても、

私の存在をとおして溢れ出る流れが、

祈りの中で〈家路〉へと向かってゆくでしょう。

 

私を通して お考えください。

神の御思いよ。

 

ああ、私自身の思いが

永遠(とわ)なる海の

岸辺にたたずむ砂だまりのように洗われ、

そうして

消失していきますように。



Amy Carmichael, Think Through Me(私訳)

 

 

イザヤ40:11

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引

寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

 

 

空虚な展示の世界、

せわしなく、不毛な問いのあれこれ。

暗く荒々しい世界。

 

おお神よ、

どこに行っても、

それらが私の周りを取り囲んでいます。

 

ただ汝の内に、そして汝と共にあることだけが、

わが安息です。

 

百家争鳴。

あらゆる人の思想を見聞きし、

そうして、

疲れた子どもが母の元に駆けよるように、

私は汝の元に逃れます。

 

おお、こどもであることは、なんと甘美なことだろう!

それは永遠のいのちに満ちている。

 

困難な日々、そして歳月が過ぎゆく中、

騒ぎや争いから離され

静寂のうちに

私は、汝の御腕の中に横たわる。

 

汝の御腕!

乾き切ったわが魂は

汝を慕いあえぎつつ、

御腕にすがりつきます。

 

雨が牧場に歌を奏でさせるごとく、

ああわが主よ、

私にとって、汝は

かくの如くあられます。

Gerhard Tersteegen, At Rest(私訳)

 

詩篇42:5

わがたましいよ。

、、神を待ち望め。