巡礼者の小道(Pursuing Veritas)

聖書の真理を愛し、歌い、どこまでも探求の旅をつづけたい。

ビザンティン・カトリシズムは「包括的」?それとも「トリッキー」?【さあ、フィリオクェ問題に取り掛かろう!】

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ふぅ~、いろいろ大変だね。

 

目次

 

はじめに

 

自分の人生に与えられた恵みの中でもとりわけ大きなものは、時間的にも空間的にも壮大なキリスト教世界の中に息づく、さまざまな信仰者の方々と直接的にして心の通じ合う交流の機会が与えられてきたことです。

 

紙上での教義論争は時として人々に肉的対抗意識や苦々しさ、相手を見下す秘かなプライドといった否定的感情を植え付けるのではないかと思います。生身の同胞である〈なんじ〉をあえて意識外に追いやり、〈それ〉とすることで論争自体は確かにやりやすくなるかもしれません。

 

クリスチャンに成りたての頃、教会の書棚に「エホバの証人を斬る」というビデオが置いてあるのを発見し、「エホバの証人が異端であるというのは聞いているけど、それにしてもその人たちを『斬る』という表現はなんと残酷なことだろう。こういう精神はキリストの愛から大きく外れているのではないかな?」と疑問に思ったことを今でもはっきり覚えています。

 

さて私はギリシャ共和国という東方正教の御膝元で初めてカトリック教会(東方典礼)に触れるという実にユニークな経験を与えられています。(日本にいた時には、カトリック教会にも正教会にも一度も行ったことがありませんでした。)

 

そして地の利を生かし、何か疑問がある度に、カトリックといわず正教といわず自分に真実を語ってくれそうな人々の所に直接出向いていった結果、いろんなセクターにいる稀有な人々とお交わりする恵みに与りました。

 

日本ではカトリック教会のほとんどがローマ典礼なのではないかと思います。しかし東欧や中東それから北米には、複雑な歴史的経緯をへて「ローマ教会との一致」を保つ「東方典礼カトリック教会」という諸教会が存在しています。

 

東方典礼カトリシズム(ビザンティン・カトリシズム)の是非をめぐる激しい論争がありますが、本稿では私が見聞きし体験した東方典礼カトリック教会を、内側の視点と外側の視点その両方から描写してゆけたらと思っています。

 

東方典礼カトリック教会とはどんな教会?

 

日本にいる友だちから「東方カトリック教会と東方正教会はどこがどう違うのですか?」と質問を受けたのですが、両方に行った私の率直な所感はーー外観的にはどこも違わない、でした。

 

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東方典礼カトリック教会(出典

 

実際、一般のギリシャ人正教徒が日曜の朝、「東方典礼カトリック教会」という小さな看板文字に気づかず聖堂に入ってDivine Liturgyに与るとしたら、おそらく最初から最後までそこがカトリック教会であるとは分からないと思います。

 

日本では、訳語の相違ということもあるのかもしれませんが、カトリック教会と正教会はかなり違う印象を人々に与えているのではないかと思います。

 

しかしギリシャ共和国においては、両教会ともコイネー・ギリシャ語が典礼言語であり、典礼書も祈祷書も司祭の祭服も聖堂の建築構造も何もかも全く同じなので(礼拝後に出されるGreek Coffeeの味まで全く同じ!)、私の中では「カトリック教会と正教会というのはとても近い存在なんだなあ」という印象が刻まれることとなりました。

 

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典礼書や祈祷書

 

そしてそこにいる神父様たちとお話をする中で、彼らが何を願っているのかという動機の部分もよく分かるようになりました。東方典礼の神父様たちは「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです」(ヨハネ17:21)というイエス様の祈りを真剣に受け止め、「1054年の教会大分裂は悲劇だった。私たちは再び西方教会と一致することにより主の御心をお喜ばせしたい」という願いを持っておられると思います。

 

そして(少なくとも私の接した神父様たちは)帰一を政略とは考えておらず、「キリストの御体の傷を癒す」という信仰行為と捉えておられるようでした。

 

(実際、東西の教会が再び一つのコミュニオンとなることは主のみこころだと思います。ただ、その再統合が果たして「帰一教会」というあり方を通して為されるのか否かという点は大いに議論の余地があると思います。この複雑さは、実際に東方典礼カトリック教会のコミュニティーに入ってみなければ分かりませんでした。)

 

Ορθοδοξίαの語用やフィリオクェ問題を通し、ビザンティン・カトリシズムの「微妙さ」を痛感!

 

例えば、Divine Liturgy(ローマ典礼の「ミサ」に相当)の中で、東方カトリック司祭たちが「私たちΧριστιανοί Ορθόδοξοιは・・」と祈っておられるのを聞いて私は最初かなり驚きました。

 

Χριστιανοί Ορθόδοξοιというのは強いて訳せばOrthodox Christiansという具合になるかと思いますが、東方典礼カトリックの文脈に限っていうならば、これは一般的翻訳が難しい語ではないかと思います。

 

つまりどういうことかと言いますと、東方典礼カトリックの文脈の中でΟρθόδοξοιという語が用いられる時、意味論的にこの語には、日本語の「正教」、英語の「Orthodox」等よりもだだっ広い意味領域や含みがもたせてあるのではないかという事です。

 

そして意味領域におけるこの微妙なずれが、内側の視点でいうと「包括的(comprehesive)」、外側からの視点でいうと「曖昧」「トリッキー」とかそういう異なる反応となって現れ出てくるのだろうと推測します。

 

また、毎週、会衆一同が声を合わせて『ニカイア・コンスタンティノポリス信条*1』をギリシャ語原文で唱えますが、その際にも、西方教会(ローマ・カトリック、プロテスタント)とは違い、東方典礼カトリックは、東方正教と全く同じく、filioque(with the Son)の部分を唱えません。*2

 

つまり、東西分裂の最大の原因の一つであった聖霊論におけるフィリオクェ問題が、東方典礼カトリック教会と東方正教会の間ではすでに「解決」されている、ということになる・・・のでしょうか?

 

でもちょっと待ってください。東方典礼カトリック教会は、「ローマとフル・コミュニオンの関係にあるΟρθόδοξοι」という自己認識をしており、それが実質意味しているのは、ローマ・カトリック教会の全教義、全公会議に合意している、ということだと思います。

 

しかしながら、ローマ・カトリック教会では1545年より始まったトリエント公会議の第2回総会で、“Filioque” を加えたラテン語の信条が改めて承認されています。*3

 

そうしますと、東方典礼カトリック教会は、

①トリエント公会議の決議を認めつつ(“Filioque” を加えたラテン語の信条の正統性を承認)、且つ、

②ἐκ τοῦ Πατρὸς ἐκπορευόμενον(=父より出で)と“Filioque”の語句の入っていない信条の正統性を承認している、

ということになるかと思います。

 

困ったなぁ

 

 

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う~ん、困ったなぁ。(出典

 

「Aである」

「Aではない」

 

という二つの立場が同時に承認されるためには、

 

「Aという事項が本質的にアディアフォラである。分裂を起こさせるほどの重大な神学問題ではない」

 

という理解が不可欠ではないかと思います。つまり、「Aはあってもよく、またなくてもよい。」もしくは「できることなら、Aはない方がいい。でもそれがあった場合には、まあ、仕方ない、堪忍してあげるとしようか。」という理解の仕方になるかと思います。

 

それではフィリオクェ問題というのは、果たしてアディアフォラな事項なのでしょうか。それとも神学的に言ってこれは何か重要な含意をもった問題なのでしょうか。それを私たちはどのようにして知ることができるのでしょう?

 

そこで私は、この問題について詳しい見識をもっている人々に質問してみることにしました。

 

マヌエル・ニン主教の元を訪れる。

 

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マヌエル・ニン主教

 

まず初めに私は、アポイントを取って、マヌエル・ニン主教Manuel Nin i Güell, O.S.B, 1956-, ギリシャ・ビザンティン・カトリック教会主教)の元に質問をしに行きました。そして主教館の応接室で約30分、相談に乗っていただきました。

 

マヌエル主教はスペイン人ベネディクト会士であり(生まれはカタロニア)、東方典礼学、教父学の教授としてローマの神学校で長く教育に携わってこられた学者肌の修道司祭です。1994年には東方教会省の顧問になっています。また古典諸語(ギリシャ語、ラテン語、古シリア語)の専門家でもあられます。

 

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左、教皇フランシスコ、右、マヌエル・ニン主教(出典

 

マヌエル主教は物腰が低く静かでちょっぴり恥ずかしがり屋の方でした。そして私の質問にできるだけ正確に答えようと努力されている様子がうかがわれました。

 

腰を下ろした私は早速フィリオクェ問題のことに触れ、「ここの教会では毎週、(西方ローマ教会とは違い)正教会と同じ形式のニカイア・コンスタンティノポリス信条が唱えられていますが、そのことをヴァチカン教皇庁は許可しているのですか?」と単刀直入に訊ねてみました。すると主教は「許可しています」と即答されました。

 

聞き逃しがないように私は主教の目をまっすぐに見つめ、「フィリオクェ条項を入れない信条を唱えることを教皇庁は許可している、ということですね?」と再度確認してみたのですが、彼は「そうです。教皇庁は東方諸教会が自分たちの典礼儀式や固有の規律を守ることを尊重しています」とお答えになりました。さらに第二ヴァチカン公会議公文書の中の『東方諸教会教令』*4を読んでみるよう勧めてくださいました。

 

家に帰って、「東方諸教会に関する教令」を読んでみました。5項、6項は「東方諸教会の霊的世襲財を保存すべきこと」というタイトルでマヌエル主教が言われたようなことが書かれてありました。しかし、フィリオクェ問題自体に関する直接的言及はありませんでした。

  

正教修道院を訪れる。

 

Monk's cell in the Monastery of Chrissoskalitissa in Elafonissi, Greece, photo by Inga

出典

 

そこで今度は、正教修道院を訪れ、フィリオクェ問題について彼らがどういう見方をしているのかを訊きに行きました。するとやはり予想通り、これは東西間の単なる政治問題ではなく、正統的三位一体論にとって無視することのできない神学問題であるということを修道士たちは力説しておられました。つまり、アディアフォラな問題では全くない、ということです。*5*6

 

それにしても、聖霊が「父より」発出するのか、それとも「父と子より」発出するのか、という相違点はそれほど重要なのでしょうか。その時点で私は重要性の程度については何ともよく分からない状態にありましたが、一つ確かだったのは、「三位一体論においてはたったの一語であれ、それに変更を加えたり解釈を変えたりすることが後々大きな問題を引き起こす」ということでした。

 

脳医学でいえば、三位一体論はちょうど「脳下垂体」に相当するのではないかと思います。なぜなら脳下垂体の手術においては少しのメスのぶれで患者が即死する可能性さえあるからです。

 

三位一体説の重大性に関し、私は、ウェイン・グルーデム教授と、フェミニスト神学者たちの間のケファレー論争、相互恭順説論争を取り扱った論文を翻訳する中で前々からそれを実感していました。*7

 

ケファレーを「頭(かしら)」と訳そうが「源(source)」と訳そうがたいした違いはない、と考えておられる方がいますか?しかしこの論争における問題の所在をしっかり把握されている方はそれが決してささいな訳語の問題などではない、ということを熟知しておられると思います。ここには実際、三位一体神における位格間の関係性、かしら性などの死活問題がかかっていると思います。

 

あるいは次に挙げるいくつかの事例を想像してみてください。近い将来、高教会ルーテル派の一角が「ローマとの一致」を果たし、「ルーテル典礼カトリック教会(ルーテル・カトリシズム)」という新しいriteが出来るとします。

 

ルーテル典礼カトリック教会の主教は、このriteがローマ・カトリックとルター主義の良い点を綜合した「包括的」典礼であると言っています。さて、忠実派カトリック教徒もしくは忠実派ルーテル派教徒たちはこの新riteを受容するでしょうか?「ルーテル・カトリシズム」というあり方は「包括的」でしょうか、それとも「トリッキー」でしょうか?皆さんはどう思いますか。

 

別の譬えも挙げます。あるプロテスタント教団が、「今後、私たちの教団は、義認論における包括性理解を目指し、従来の信仰義認論に加え、『パウロ研究の新しい視点』に沿った義認論の支持者をもわが教団に受け入れることに決定いたしました。」と方針変更したとします。

 

さて、この教団は自らを「包括的」と理解していますが、「古い視点」の忠実派の方々、もしくは「新しい視点」の忠実派の方々それぞれの目に果たしてこの教団の新しいあり方は「包括的」と映っているのでしょうか。それともこれはどちらの陣営をも中途半端におとしめる「妥協の産物」なのでしょうか。

 

あるいは、「漸進的ディスペンセーション主義」の牧会者と、「新契約神学」の牧会者が合同し新しい教派を形成した場合はどうでしょうか。または、ある伝統的長老教団が、サクラメント性に対する包括的理解を目指し、Federal Visionを信奉する牧会者をも教団に受け入れ始めました。この「一致」と「合同」は、包括的でしょうか。それとも教理の純粋性を穢す「妥協」でしょうか。

 

そういう背景も手伝い、私は、「フィリオクェ問題をよく調べもしないままにアディアフォラなものとして片づけてしまっていいのだろうか?これがケファレー論争のような非常に重大な真理に関する神学問題でないと果たして私は断定できるだろうか?」と自問し続けました。

 

その2〕に続きます。

*1:

*2:関連記事

*3:1438年に東西合同で執り行われたフィレンツェ公会議でも採り上げられ、一旦ギリシャ系の主教らは「父から子を通して」を承認しましたが、ロシア正教会は公会議に出席したキエフ主教を破門し、決議の承認を撤回しました。これによって東西教会の分裂はそのままにされることとなりました。参照

*4:カトリック東方諸教会に関する教令 / OE (Orientalium Ecclesiarum) Decretum de Ecclesiis orientalibus catholicis.

*5:修道士の方から、故トーマス・ホプコ神父のフィリオクェ講義Youtube、および、『神の霊、キリストの霊』の著作を勧めていただきました。

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本の目次

第Ⅰ部 メモランダム
1 エキュメニカルな見地からみたフィリオクェ条項
緒言
1.序説
2.ニカイア信条とフィリオクェ条項
3.三位一体論と聖霊の発出
4.フィリオクェの神学的局面
5.問題の今日性
6.提言

第Ⅱ部 論文
A 歴史的省察
2 後期ビザンティン教父による「聖神○の発出」 (マルコス・A・オルファノス)
1.フォティウス
2.キプロスのグレゴリイ
3.グレゴリイ・パラマス
4.エフェスのマルコ
5.結論


3 フィリオクェ論争の歴史的発展とその意味(ディートリッヒ・リッチュル)
1.論争史の外的な経過についての簡単な説明
2.論争の背後にある神学的な諸問題
3.最近の論争が示唆するもの

B 諸教会の伝統におけるフィリオクェ理解の発展
4 聖霊の発出と信条へのフィリオクェの追加に関するエキュメニカルな同意を目指して (アンドレ・ドゥ・アルー)
1.公式の論議
2.新フォティウス命題
3.問題は動機
4.無意味な弁明
5.積極的意義
6.一致の教令
7.源泉としての教父
8.二つの相互補完的伝承
9.コンスタンティノープル信条
10.信条への追加
結論


5 フィリオクェ条項:聖公会の一つの姿勢 (ドナルド・M・オールチン)
1.1976年のモスクワ声明
2.17世紀の討論
3.19世紀における進展
4.現代の考察


6 フィリオクェと復古カトリック教会──神学的考察と教会宣言の主要段階 (クルト・シュタルダー)
1.1874~75年のボン再合同会議
2.1875年から1942年までの期間
3.ウルス・キュリ司教の業績
4.キュリ司教が到達した、神学的立場に基づく教会声明
5.復古カトリック教会と東方正教会間の「信仰対話」の始まり

7 最近の改革派神学におけるフィリオクェ (アレスデア・ヘロン)
1.フィリオクェに賛同する立場
2.批判・拒否する立場

C 聖霊の発出論における新たな論議の始まり
8 聖霊の発出問題およびその教会生活との関連 (ヘルヴィング・アルデンホヴェン)

1.フィリオクェ問題
2.キリスト教生活における三つの例
3.結論


9 フィリオクェ──その昨日と今日 (ボリス・ボブリンスキイ)
1.歴史的論争の論点の重要性と今日的意義
2.フィリオクェ付加の歴史的環境と事実
3.フィリオクェの積極的な神学的内容
4.「フィリオクェ主義」の欠陥
5.正教的三位一体観へのフィリオクェの超越、ないし統合


10 フィリオクェ問題──今日に至る状況に関するローマ・カトリックの見解 (ジャン・ミゲル・ガリグ)
11 フィリオクェ論争を解決するための神学的提言 ユルゲン・モルトマン
1.ニカイア信条の原文
2.ニカイア信条の原文は何を未解決のままにしているのか
3.神はご自身に真実であられる
4.父からの霊の発出
5.子の父からの霊の発出
6.聖霊は子から何を受領するのか
7.三位一体論における上位概念の問題


12 「神化」、「神の子とされること」の根拠としての聖霊のみ父からの発出と、み子との関係 (ドゥミトル・スタニロアエ)
1.一致への一歩としてのガリグ神父の見解
2.三位一体の関係、および聖霊によりこの世にもたらされる創造されたものではないエネルゲイアについての正教会の教理
3.み子における聖霊の活き活きした安らぎ
4.ビザンティン神学で定義づけられている聖霊とみ子との特別の関係の諸相
5.モルトマンの理論、および一つの位格と「他の」位格との関係によるその完成の可能性

*6:関連記事:

*7: